青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
石山学区の皆様、長らくお待たせ致しました(?)。

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1993(平成5)年の大津営業所移転以降、4号経路(石山駅-大石小学校)に徐々に本数や運行時間帯の利便性の面で水をあけられつつも、今も同営業所を代表する路線の1つと言って間違いない1号経路(石山駅-石山団地)を取り上げる機会が本ブログ開設から6年目にして漸く巡って参りました。

1966(昭和41)年、当時の大津市の一大プロジェクトと言える、石山団地の開発が始まりました。
↓京滋バイパス側道からの眺め。一番奥のバスロータリー付近で標高約150mで上千町より若干高め。その他の主要部はだいたい130-140mで、周囲よりグンと高いところであることがよく分かります。

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『日本図誌大系 近畿Ⅱ』(山口恵一郎他編1973)に、
「刑務所に隣接する石山団地の造成は、刑務所に送る電気・ガス・水道施設費のコスト低下などと関連して計画されたものである」(小林 P82)
とあり、滋賀刑務所を膳所から移転させる時に、団地もセットで造成されたのだということが分かります。

「団地」というと、皆さんはどんなものをイメージされますでしょうか?やはり、同じような鉄筋コンクリートの住居用の建物が並んでいる光景でしょうか?

↓UR(旧住宅公団)の石山団地

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一方で「国分団地」「比叡平団地」など、京阪バスの沿線でもそうした集合住宅は全くなく、一戸建てだけが並んでいるところも「団地」と呼ばれています。
法的に明確な規定があるわけではないようですが、もともと効率よくインフラを整備するために立てた集合住宅に団地と名付けられることが多かったので、今も集合住宅のイメージが強いのではないかと思います。「団地」で画像検索しても、圧倒的に集合住宅の写真が多いですね。中にはバスのロータリーが写り込んでいるものもあり、「団地」にバスは欠かせない「小道具」かとも思われます。

石山団地は、市営、県営、UR(旧公団)と、一戸建ての住宅地から成っています。

石山団地バス停の南側は、大津市内、特に石山駅以南では珍しい「第1種低層住居専用地域」で、店舗もほとんど作ることができない、閑静な住宅地を意図した計画区域となっています。

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そして、50年前の今日、6月1日、現在の1号経路に相当する路線が開通しました。

↓N-6221号車

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定期バス路線としての石山団地系統のみならず、石山団地そのものが50周年なのにこれを取り上げないわけにはいきませんので、今までに撮りためた僅かばかりの写真、ご提供頂いた写真をUPさせて頂くとともに、2・4号経路と重複しない、石山幼稚園前以西の6停留所の現状を今回を含めて7回にわたって簡単にルポさせて頂こうと思います。

なお、現在の31号経路の石山高校前-石山団地口間は、開通の経緯が異なるので別途取り上げます。ご了承のほどお願い申し上げます。


ところで、せっかく開通した石山団地系統のバスですが、運行開始当初はその本数が非常に少なく、1969(昭和44)年から1970(昭和45)年頃にかけて、石山団地の「路線バス問題」が各紙で繰り返し報じられるようになります。

住民たちは、昨年からことしにかけ数回におよび京阪バス大津営業所に増発を陳情してきたが、そのつど「善処する」という回答だけ。いまでは怒りの声さえ聞かれるため同団地県営住宅自治会は二日、全住民の署名を集めた「定期バス・ダイヤ増発について」の陳情書を京阪バス大津営業所に手渡した。
(1969(昭和44)年10月3日付滋賀日日新聞)



二十四日の県議会運輸通信対策特別委員会で、大津市石山寺辺町、石山団地(県、市営など約八百三十戸)へ乗入れている京阪バス回数が非常に少ないことが取上げられた。同団地の足は京阪バス国鉄石山駅-大平山線だけで一日十一往復だけ。朝夕のラッシュ時に満員となり、団地住民から苦情が相次いでいた。
(1970(昭和45)年3月25日付朝日新聞滋賀版)



5月のダイヤ改正に合わせて、朝5本、夕方4本増発するように陸運事務所が指示した、というくらいひどい状態だったようです。

「主婦は買ったばかりのタマゴを割られたり、幼児は押しつぶされそうになって、住民の不満は爆発点にきている。見かねた帝産バス会社は、京阪が増発しないなら、うちが路線申請してもよいといっている。陸運事務所はどう指導するのか」



と、同委員会が問いただすような場面まで。
この時点で既に帝産バスが湖南高校の通学バスの運行を行っていたからこそ、この発言が出るのでしょう。

とはいえ、まあ5月にダイヤ改正があるのだから、これで一件落着だろうと思っていたら、そうは問屋が卸しませんでした。

同団地は現在、県・市営住宅、分譲住宅、雇用促進事業団住宅など八百三十戸、約三千人が入居している。来年には住宅公団の四百戸などふえ、総戸数は千三百戸近くになる見込み。同団地への”足”は京阪バスだけで、国鉄石山駅-大平山行きの定期ダイヤが一日十一本組まれているが、午前十一時、午後一時、三、四時台は一本もないという状態、他の時間帯でも一時間に一本の割り。
(1972(昭和47)年3月17日付滋賀日日新聞)



2年も経っているのに、ほとんど内容の変わらない記事が掲載されています。ということは何も状況が変わっていないんですね。
県営住宅の住民は、毎日のように大津営業所に「回数を増やして」という内容のハガキを送る、ハガキ陳情運動に乗り出した、ともあります。

石山団地内の湖南高校へ学生を送っている帝産バス会社も見るに見かねて「京阪で増発出来ないなら、帝産定期バス乗り入れを陸運事務所へ申請してもよい」と計画をねり始めている。



歴史にもしもはありませんが、この時、本当に帝産が路線免許を申請していたら、どうなっていたんでしょう?瀬田川右岸も帝産エリアになってしまっていたのでしょうか?

その後どう解決したのかは残念ながら私が調べた限りよく分からないのですが、恐らく、帝産に牙城を切り崩されたら大変だ、とやっと本気になったのか、T.F.様が撮影された1977(昭和52)年頃の写真では、もう既に湖岸道路経由で浜大津に直通する便が設定されるほど成長していたことが分かります↓

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いや、もしかすると昭和30年代は浜大津発外畑行き・大石行きが標準的な運転区間だったように、本数は少ないなりに浜大津直通で当たり前だったのかもしれません。
この当時は今のような経路番号ができた直後だと思われます。もうこの時点で石山団地は25号経路だったんですね。

T.F.様、いつもありがとうございます。

明日からは皆さんと一緒に、石山小学校前を右折して、短い距離ですが、石山団地までの道をたどりたいと思います。

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次は、石山幼稚園前です。
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