青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
さて、木の岡町の「レイクサイドビル」いわゆる「幽霊ホテル」の話題でした。

昭和43年の建築ということは前にも書きましたが、これは江若鉄道廃線の1年前です。1年間は共存していたことになり、実際、大津市歴史博物館などで見ることができる、廃線前をとらえた動画の中には、この「幽霊ホテル」が映り込んでいるものがあります。

↓解体前の姿をとらえた動画も



今も、関連するキーワードを入力すると当時の写真を見ることができます。
建物の爆破解体というのは、法規制が厳しく、国土が狭い日本では非常に稀で、後にも先にもこのビルの爆破以外はほとんど行われていないため、現在もこのビルの爆破が代表的な例とされているようです。

↓こういうアングルで撮影すると、濃い灰色のコンクリートの塊のような建物が、画面左奥の白いカネカの建物を覆い隠すように聳えている様子が写ったことでしょう。

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もう20年以上前のことで、今でもなかなか消化されない有給休暇の取得はまして少なかったのではないかと思いますが、それでも爆破を伝える爆破翌日の各紙の紙面を読むと、新聞記者のインタビューに、「休みを取って見物に」と答えているひとが結構いることに、驚かされます。住民は逆に見物どころでなく、同じく休みを取っていても、不測の事態に備えて自宅で待機するというケースもあったようです。

お祭りじゃあるまいに露店が出たり、勝手にひとの家に入り込んで撮影しようとするひととの小競り合いや、駐車違反の車が続出して、警察も大忙しの大騒ぎ。

国道161号線も通行止めの措置が取られたということなので、この日の江若交通浜大津線は、どのような運行体系をとっていたのでしょうか。

↓さて、こちらは南行きのバス停です。

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爆破までの間なら、このバス停の背後は正に幽霊ホテルの中心だったことでしょう。

↓大津駅行きが通り過ぎます。

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湖西線がない時代から建っていたということは、京阪バスの京都今津線の車窓からもよく見えたのでしょう。

↓跡地はビオトープになったと聞いていましたが、それほどきれいに整備されているようには見えません。

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↓こちらは、「木の岡レイクサイドビル」なき今、新たな「幽霊ホテル」として、廃墟マニアなどにはすっかり有名になっている、バス停の北の「ホテル祇園」

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早くきれいにして、イメージを一新したらいいのに、と思うのですが、「この近辺で店を経営していても、呪われていてうまくいかない」だのあることないことおしゃべり放送局のような書き込みが多数あり、そういう変な話が出てしまうと、売るに売れないのかな、とも思います。

驚いたことに、1968(昭和43)年の住宅地図では、既に「モーテルぎおん」という、前身と思われるホテルが書かれています。周囲には全く何の建物もありません。本当に田舎だったのでしょう。

↓団地に続く道沿いに…

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何だろう?と思ったら、キノコでした。

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↓団地からの眺め。

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次は、来迎寺鐘化前です。
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