青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今からちょうど60年前、1955(昭和30)年3月16日付朝日新聞滋賀版より↓

S30.3.16A 救急車も兼ねる葛川村営バスb

今は大津市となっている、市最北端の葛川(かつらがわ)学区、この当時は滋賀郡葛川村という独立した村でした。
この年の4月1日に堅田町と合併するので、この時は村がなくなる直前です。しかし、合併に関わるようなことは何一つ書かれていません。



何と救急車が村営バスを兼ねて1日2往復、途中までしか行かない…この「途中」は一般名詞の「途中」ではなく、現在の「大津市伊香立途中町」当時の伊香立村途中のことです…にもかかわらず、1往復あたり40人ほどが利用するという活況・
運賃無料??

と言いつつ、結局村人が維持費のために50円ほど出し合っているとのこと。
救急車がバスを兼ねるなんて、多分、今は法律上も物理的にも絶対無理だと思いますが、古き良き??時代です。

今は、江若交通と土日祝日だけの京都バスが足となっている葛川学区。大津市民である私も、小学校4年生と中学校2年生の宿泊学習で「葛川少年自然の家」を訪れただけです。私と同じくらいの世代以下で、大津市内で小中学生時代を過ごしたひとなら、たいてい行ったことがあるのではないかと思いますが、そうでなければ大津市民でも足を踏み入れることがないまま一生を終えるかもしれません。

何しろ堅田駅からのバスは1日3往復、安曇川駅からは6.5往復、大津市内で唯一「へき地教育振興法施行規則」によって、「へき地2級」に指定されている、国のお墨付きの陸の孤島なのですから。

↓1枚だけ写真がありました。こんなバスで登れるのかな?

IMG_0201_201412062110017fe.jpg

まあ登れるから使っているんでしょうけど、心配になりますね。
葛川線は、堅田町内線とともに最後までボンネットバスが現役で活躍した路線でした。

この記事を書くまでに私も一度江若交通で行ってみようと思いながら、寒いしかなんなあ、とグズグズしているうちに今日になってしまいましたw 春、秋の登山シーズンは、続行便を出すほど盛況なのだそうです。

昭和30年の新聞記事中では、「バス会社からは問題にされなかったほどの辺地」とひどい書き方がされていますが、その4年後、1959(昭和34)年9月6日付産経新聞滋賀版では、昭和32年から京都バスと江若交通が競願していた途中以北葛川方面の路線が、両社が交互に運行するという条件で免許された、とあります。

S34.9.6Sa 葛川江若・京都両社乗入b 

この記事で、救急車兼用か分かりませんが、「町営バス」として村営だったバスが存続していたことが分かります。

尚、伸びゆく滋賀県の交通産業を読み返すと、「問題にされなかった辺地」と言われつつも、この時点で既に安曇川からのバスは通じていることが分かります。

できれば今年の秋、紅葉が美しい時期に江若交通で葛川に行ってみたいですね。もちろん下手なりに自分で車を運転できるのですが、1日数本のバスで峠を越えてやっとやってきた、というのが値打ちがある気がします。
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