青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

浮御堂とは、近江八景の一つで、眺めもよく由緒もある寺だという程度のこと。塩月にとっての浮御堂とは、むしろ、短艇訓練のゴールの名であった。(中略)
「琵琶湖はこの辺で一番狭くなっている。だから、船の航行安全と衆生済度(しゅじょうさいど)を祈って、千年前にこの寺が建てられたんだ」
「どっちも縁がないな。航行安全も衆生済度も、、おれたちにはどうでもいいことだ。どうせ死ぬ体だ。早いか、おそいかの差があるだけだからな」
(城山三郎『一歩の距離』より)



出町の続きです。

↓湖族の郷資料館

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堅田は、「殿原衆」といういわゆる地侍と「全人衆」という商工業者や農民からなる「堅田衆」による自治が行われ、琵琶湖が最も狭くなっているという地形の関係で、交通の要衝となり、大いに栄えたそうです。
司馬遼太郎などの小説による造語だという説もありますが、その「堅田衆」を「堅田湖族」とも呼んだそうです。
この資料館は、堅田観光協会など4団体が共同運営しており、1997(平成9)年に開館したということです。

時に、「海賊」のような行動もあって恐れられたという堅田衆ですが、既にある種の自治制が確立していたところは、ヨーロッパ中世の自治都市などを彷彿とさせ、興味深いです。

↓漁具や農具の数々。

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末広町【京都今津線 堅田町内系統1-2】の回で取り上げた、「居初(いそめ)家」は堅田衆の草分け的な存在なのでしょう。
他に、堅田が舞台となっている文学作品の作家のプロフィールと作品の断章が紹介されています。

↓本ブログでは何度も引用した三島由紀夫の『絹と明察』

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↓中学校の教科書に載った『しろばんば』をはじめ、『夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)』などに中高生の頃夢中になった井上靖も、堅田や比良が登場する小説を書いていたことを、ここで知りました。

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そういえば彼は京大の哲学出身なので、この辺の地理にもある程度通じていて、遊びに来たこともあったのかもしれません。

2階の窓から見た町並↓

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↓この先が浮御堂です。

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これがあの浮御堂かと思はれるやうに、ぽつかりそこに浮び出して見えた。『ふむ、これがさうかぇ?存外小さいんだね?』初めて見たものは、誰もかう言はずにはゐられなかつた。
(中略)
この浮御堂といふのは、恵心僧都(えしんそうづ)の創建で、中には千體(=千体)の阿彌陀佛が安置されてある。堂は岸から湖面に十四間ほど突出してゐて、それを連絡するために棧橋がかゝつてゐる。
(中略)
此處等あたりまで來ると、いくらか俗な世間的な氣分から離れて來たやうな氣がした。比叡はもう後に、比良がもう餘程(=余程)前に近くなつてゐるのを目にした。
(田山花袋「堅田の浮御堂」『京阪一日の行樂』P635-636)



※読み仮名、新字への書き換えは引用者による

間違いなく滋賀県を代表する景観の一つでしょう。一方で、冒頭の小説の塩月のような思いで見るひともまたいたのですね。

塩月たちには、そもそも、死ぬのでも勝つのでもなく戦争が終わるということが解(げ)し難いことなのだ。(中略)日本には勝利か滅亡しかなかったはずではないか。そのように教えこまれてきた。いまさら、そのどちらでもないと言われても、ついて行けない。(中略)
この男とは、議論ができない。それより、死んだ奴はどうなるのだ。小手川も死んだ、英(はなぶさ)も死んだ。みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、死んだ。(城山三郎『一歩の距離』より)



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次は、仰木道です。
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