青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
48年前の今日、1963(昭和38)年5月30日、京阪バス京都八日市線が開通します。

滋賀県に住んでいても、湖東の方はなじみが薄く、12月4日付拙稿むらさきでも書きましたが、永源寺に初めて行った時まで、八日市にも全く行ったことがありませんでした。2005(平成17)年2月11日、永源寺町、湖東町、能登川町と合併して、東近江市になりましたが、まだピンときません。八日市は八日市だと思っています。

旧八日市市自体は、合併前の時点で5万人も住んでおらず、特に大きな都市というわけではありませんでしたが、それでも、湖東地方の内陸の中心で、JR線がない代わり、名神高速道路が通り、近江鉄道の本線と八日市線の合流地点でもあります。



つい一昨年開通し、好調の京都松井山手線(直Q京都号)以前としては、京阪バス最後の、そして京阪バスを代表するといってよい中距離路線の歴史を、今回は主に新聞で辿りたいと思います。

近江鉄道という京阪バスにとって強力なライバルが立ちはだかる八日市乗り入れは、5月19日付拙稿1962(昭和37)年5月19日 京都今津線開通で取り上げた「京都今津線」に比べ、困難なものでした。
従って、こうした背景についてしっかりめに書きませんと理解しにくく、現地取材の画像などは今回は取り上げきれませんので、ご了承願います(沿線の現在の様子などは来月以降、順次掲載予定です)。

開通の前年、1962(昭和37)年10月19日付京都新聞第一滋賀版では、その日滋賀会館で開かれることになっていた、京阪バスの八日市乗り入れに関する公聴会の記事↓

さきに近江鉄道バスが京都市乗り入れを実施したのをきっかけに今度は京阪バスが京阪三条から八日市市への乗り入れを申請、バス合戦が展開されていたが、この公聴会で大詰めを迎えたわけ。



便利になることにだれも反対なんてしないだろうと思いましたが、やはりいろいろなしがらみがあったり、便利になりすぎてみんな京都に買物に出てしまうのでは?という危惧が抱かれたのか、反対も根強かったようです。

一方この記事にもある近江鉄道バス八日市京都線は、1962(昭和37)年4月15日に、日野京都線とともに運行を開始し、現在は名神高速道路経由で、毎年11月だけ、定期観光バスの送りこみを利用するという形で運行を続けています。

開通に先立つ4月12日付の滋賀日日新聞↓

同社(引用者注 近江鉄道)はさる三十四年三月、八日市-京都間、日野車庫-京都間の定期路線バスの運行免許を申請、その後、京阪バス、京都市バスなどの反対で難航したが、さる二月七日付けでやっと運輸大臣の本免許交付までこぎつけた。
ところが同社が免許を受けた京都三条の停留所(京阪三条停留所)をめぐって京阪バスなど既得権を持つ交通業者との調整で難航、結局、近鉄バスは花見小路から京阪バス京都営業所前を通り、京阪電鉄京都三条駅南口に停留所をおくことでけりがついたもの。



すったもんだがあったんですね。
「京阪バス京都営業所」というと、現在の「山科営業所」の旧称のように見えますが、ここでは恐らく、今も三条京阪にある、案内所のことではなかろうかと思われます。

京阪バスも黙って指をくわえて見ているわけではありません。八日市乗り入れを企図し、迎えた公聴会の模様は、公聴会翌日の10月20日付の朝日新聞滋賀版と京都新聞滋賀版で報じられています。朝日新聞の記事↓

三年前、近江鉄道が京都三条乗入れを申請したとき、京阪バスが反対したいきさつもあって、この日は京阪バス側二十余人、近江鉄道側七十余人の公述人のほか、それぞれ傍聴者をどっとくり込ませ、会場の中ホールはぎっしり満員。



バス全盛期とあって、注目度は今の比ではなかったようです。

京阪バス側が、当時の滋賀大学の学長や、守山町長(現・守山市)を立てて、

「八日市地方は工場誘致が盛んになり、京都と結ぶ路線はますます必要となってきた。また湖西の観光地と湖東を結ぶためにも必要」



と主張すれば、近江鉄道側は近江八幡、八日市両市長を立てて、

「八日市地方の道路は狭く、これ以上大型バスが走ると交通が危険だ。いまのままで十分交通の便はよい」



と猛反対。こうなるともはや泥仕合ですね。

京阪バス側の「湖西と湖東を結ぶ」というのがよく分かりませんでしたが、同日付の京都新聞滋賀版によると、京阪バスが申請しているのは、三条-八日市間(五十二キロ)の他、「大津市坂本-八日市間(五十キロ)」というのもあるので、そちらのことだと思われます。

今の目で見ると、坂本と八日市なんて結んで何になるのか?と思いますが、50年近く前は、大真面目に考えられていたんですね。

一方で、京阪バスの乗り入れに反対する近江八幡市長に対抗して、乗り入れ賛成の姿勢で、署名活動をする近江八幡市議も現れます(1962年11月7日付朝日新聞滋賀版)。

こうした後押しもあってなのか、何とか無事に1963年3月、正式に認可が下り、無事に48年前の今日の開通の日を迎えたわけです。

開通を前にした1963(昭和38)年5月25日付京都新聞滋賀版↓

区間は京阪三条南口から八日市の近江鉄道八日市駅の間で、延長五十二キロ。停留所は京阪三条南口から石山駅口間は現行通りで、石山駅口からは久保江、月ノ輪、東草津、大篠原、近江八幡(六枚橋)八日市の六ケ所だが、クローズドドア制をとっているので、京都から八日市へ向かう場合、久保江-八日市間は下車できるが乗車できない。逆の場合は八日市-久保江間は下車できず、乗車だけ。



先ほど引用した、1962(昭和37)年4月12日付滋賀日日新聞によると、近江鉄道の八日市京都線は、札の辻(大津赤十字病院)から京都三条行きは降りるだけのクローズド・ドア式、となっているので、その逆なわけですね。

驚いたのは予定されていた開通式の派手さです。

三十日午前七時二十分の始発バスで、八日市駅で開通式を行ないミス八日市から運転手、車掌に花束をおくる。また関西航空機が三色の煙幕を流し、ビラをまいて祝賀飛行する(後略)



飛行機でビラ!?八日市は大凧が有名だったり、戦時中は軍の飛行場とそれに続く近江鉄道八日市線の支線(御園線)があったりして、空にはなにかと縁が深い街ですが、バスの開通で飛行機まで飛ばすとは…。

余談ですが、この飛行機がまた驚いたことに京阪系列のようなのです。
一通り書いた後で、今年3月に刊行されたばかりの、『京阪百年の歩み』(京阪電気鉄道株式会社 2011)を読んでいたら、琵琶湖の遊覧飛行をしていた「関西航空」という社名が出てきました。ほぼ間違いなく、この会社なのだと思われます。同書によると、「関西航空」は、1960年発足、本路線開通直前の1961年の増資の際に京阪電鉄の子会社になった会社だそうです。1976(昭和51)年に社名を「関西航測」として航空測量事業に軸足を移し、1994(平成6)年から「株式会社かんこう」という現在の社名になりましたが、京阪系列であり続けており、建設コンサルタントなども行っているそうです。


記事には時刻も掲載されていました。

八日市発 7:20   8:20  9:20  16:20  17:20
京阪三条南口発 9:28  10:28  17:43   18:43  19:43


朝の八日市発の送りこみや、夕方の八日市着の入庫は、長距離の回送をしていたものとみられ、効率が悪いですね。相当採算性がよくないと、このダイヤは維持できないと思います。

尚、名神高速道路は、この直後の1963(昭和38)年7月16日に、日本初の高速道路として、栗東-尼崎間が開通し、八日市まで通じるのは翌年のことです。引用した記事中にある、京都八日市線が停車したバス停名をご覧になればお分かり頂けると思いますが、当然、開通当初の京都八日市線は、名神高速道路が未完成なので、国道1・8号線と、八風街道を経由しております。

先ほども書きましたが、沿線の現在の様子等については、来月以降、断続的に取り上げたいと思いますので、ご興味がおありの方は、またお読み下さい。

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コメント
この記事へのコメント
No title
喜撰猿丸様、いつも懐かしく拝見しております。滋賀里の件ではご丁寧なレスを
頂き、こちらこそ宜しくお願い致します。朝日ガ丘住宅線につきまして思い出話で長くなりそうですので、簡単な年譜が出てきましたので・・
八日市線残念ながら乗車することはありませんでした。末期は朝に八日市発、
夕方三条発の1往復でしたね。大津営業所の担当で送り込みは京津国道線でした。
普通のBタイプのS53年式のMP117M(B1404が専用車で予備で同型が・・??)が充当されており、後部扉の後ろに「このバスは高速道路では座席定員制です~」の趣旨のサボを装着して、間合い運用でも活躍してましたことを思い出します。

さて路線に戻しますが、八日市線ですが八日市支所をS38.5.30~S55.4.8の廃止まで置かれてましたね。場所は・・現在の八日市第一タクシーの辺りでしょうか? しかしかなりの広さ(1000坪以上)だったそうです。

なかなか共用PCのため、的確にレスができなくて申し訳ありません。

では失礼します。
2011/07/14(木) 11:48:27 | 19系統 | #-[ 編集]
Re: No title
19系統様

またお越し頂けてうれしいです。

> 八日市線残念ながら乗車することはありませんでした。末期は朝に八日市発、
> 夕方三条発の1往復でしたね。大津営業所の担当で送り込みは京津国道線でした。

ええ、1982年版の「京阪時刻表」に載っていますね。
大津管轄だったということは、最近知り合いから聞いて驚きました。
京都-八日市間は、公共交通なら近江鉄道または自家用車+JRという流れができてしまっているのかと思いますが、京都駅でなく、四条河原町に直結するなら、まだバスが入り込める余地があるのではないか、と思われてなりません。

> 普通のBタイプのS53年式のMP117M(B1404が専用車で予備で同型が・・??)が充当されており、後部扉の後ろに「このバスは高速道路では座席定員制です~」の趣旨のサボを装着して、間合い運用でも活躍してましたことを思い出します。

!!
すごい情報ありがとうございます。社番まで覚えていらっしゃるなんてすごいですね。

> さて路線に戻しますが、八日市線ですが八日市支所をS38.5.30~S55.4.8の廃止まで置かれてましたね。場所は・・現在の八日市第一タクシーの辺りでしょうか? しかしかなりの広さ(1000坪以上)だったそうです。

残念ですが、それは諸資料と少し異なります。
1963(昭和38)年12月1日、京都八日市線(国道回り)開通より約半年してから、八日市営業所が業務を開始した旨、「京阪バス五十年史」の年表にはっきり書かれております。その前日の京都新聞第一滋賀版にも、7月末から建築が始められ、10月29日に竣工式を行った旨が書かれています。
ただ、位置はおっしゃる通りです。村田製作所の真向かい、旧滋賀京阪タクシー(第一タクシー)の八日市営業所です。現地には既に行っておりますので、また折を見て写真をUPしたいと思います。

今後も宜しくお願いします。
2011/07/14(木) 22:43:53 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
2017年湖東三山定期観光バス
今年も京都と湖東三山を結ぶ観光バスの運行がおわりました。管理人さんおよび私はじめバスファンの多いこのブログの読者の皆様の「お楽しみ」はこの時期のみ運行される八日市発京都行きの路線バス。だが今年は・・・やってない!ついに近江鉄道撤退か?と思いきや今シーズンは京阪バスの定期観光バスとダブルトラック扱いで京都駅発着となってました。従って三条通の各バス停および浜大津駅、大津プリンスホテルには寄らず、八日市京都線の運行もなかったようです。

このダブルトラック、数年前からこの状態だったようで既に三条京阪バス停は近江鉄道(そういえば三条案内所は大分前に無くなってますね)のものでなく京阪バスの三条営業所発着でした。

そもそも京阪バスの湖東三山観光バスも1980年代からツアーバス(大津管内の車内に告知が出てました。)を走らせていたのが始まりで、その後大津比叡山の定期観光バスと同じカテゴリーで京都駅、三条京阪駅、大津駅、浜大津駅で客扱いをして湖東三山を回遊していました。その後近江鉄道のほうも大津プリンス開業と同時に大津に寄るようになったように覚えてます。

結局これらの観光バスの起源はこちらの記事で取り上げた路線バスだったのかもしれません。それにしてもこんな競争状態だったのがいまや手を握るとは(京都市内のバス停もポールを共用化してます)。

ところで湖東三山には大人になって足を運びました。私飲酒するので電車とバスを利用したのですが現地の路線バスはほぼ壊滅状態で、一応臨時のシャトルバスはありましたが本数も限られまたお決まりの渋滞で結局タクシーを呼ぶ羽目に(彦根、長浜、近江八幡からタクシーをチャーターするのが一般的なようです)。そのタクシーにも「八日市駅」に行きたいといえば「JR能登川に行ったほうが」と言われる始末。近江鉄道の存在感って・・・

そして真横に走る名神高速。やっぱり高速路線バスを有効に活用できないものか、とつくづく実感したのでした。
2017/12/30(土) 12:16:09 | はぐれダイバー旅情篇 | #IT3q897.[ 編集]
Re: 2017年湖東三山定期観光バス
はぐれダイバー旅情篇 様、久々のコメントありがとうございます。

> 今年も京都と湖東三山を結ぶ観光バスの運行がおわりました。管理人さんおよび私はじめバスファンの多いこのブログの読者の皆様の「お楽しみ」はこの時期のみ運行される八日市発京都行きの路線バス。だが今年は・・・やってない!ついに近江鉄道撤退か?と思いきや今シーズンは京阪バスの定期観光バスとダブルトラック扱いで京都駅発着となってました。従って三条通の各バス停および浜大津駅、大津プリンスホテルには寄らず、八日市京都線の運行もなかったようです。

蹴上や九条山のバス停ポール自体はまだ残っていたような気がするのですが…いや、そう言われてみたらなかった?ちょっと確認しておきます。
そう言えば確かに京阪バスの広告も出ていた気がしますね。


> 結局これらの観光バスの起源はこちらの記事で取り上げた路線バスだったのかもしれません。それにしてもこんな競争状態だったのがいまや手を握るとは(京都市内のバス停もポールを共用化してます)。

路線ももう大津市内では何か考えないと仕方ないのではないかと思いますね。共同運行の話題が出ると、必ずどちらかが「定期券の利益配分が…」とか言い出すのですが、もう石山駅より北で定期券を買えるほどの本数があるのかよ、と突っ込みたくなりますし、京阪バスと江若交通の間で既にやっていることができないというのは説明になっていないですね。グループだから、そうでないから、も理由になりません。利用者の立場からすればどうでもいいことですし、グループであろうがなかろうが、税務上・会計処理上は関係なく、恐らく会計士や税務署に聞いても、「準じたやり方をすればいい」としか言われないはずなので。そこをする気があるかないかだけの問題だと思います。
定期観光バスから始まった提携が広がるといいなと思うのですが。

> ところで湖東三山には大人になって足を運びました。私飲酒するので電車とバスを利用したのですが現地の路線バスはほぼ壊滅状態で、一応臨時のシャトルバスはありましたが本数も限られまたお決まりの渋滞で結局タクシーを呼ぶ羽目に(彦根、長浜、近江八幡からタクシーをチャーターするのが一般的なようです)。そのタクシーにも「八日市駅」に行きたいといえば「JR能登川に行ったほうが」と言われる始末。近江鉄道の存在感って・・・

私もずいぶん前に永源寺に行きました。その時はそれほどの渋滞ではありませんでしたが、やっぱり遠いですね。
名神のバスストップについて、百済寺は少し遠かった気がしますが、歩けなくもなかった記憶があります。春秋だけでも、臨時駅ならぬ臨時バスストップとして使えないものでしょうかね。
2017/12/31(日) 10:57:09 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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