青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今回は、京津国道線を中心に、京都駅付近の懐かしい写真を取り上げて、京津国道線のフィナーレとしたいと思います。

↓B-1404 滋22か654 1978(昭和53)年式MP117M

滋22か654②

京都タワーの前ですね。京都タワーの1つ手前の建物の看板の「純喫茶」ということば、私もテレビなどで見て辛うじて知っている程度で、本当に目にすることは今ほとんどないですね。
後ろに続いて来ているのも京阪バスですが、経路番号が2なので、京都奈良線でしょう。

↓B-1380 滋22か628 1977(昭和52)年式MR470

滋22か628③

場所が分かりにくいですが、これも京都駅前です。「黄桜」の広告のあるビルは、京都駅前に今もある有名老舗旅館「松本旅館」です。T.F.様の京都駅前の写真にはここがよく写り込んでいるのですが、T.F.様がどのアングルで撮影されたのかが分かる目印となります。
前回書きましたが、新阪急ホテルがない時代なので、やはり横が空いている感じです。白い衝立があるということは、ちょうどホテルの工事が始まった頃なのでしょうか。

↓これは現在の写真ですが、黄色い細長い建物が松本旅館です。

IMG_8095.jpg

↓A-1413 滋22か681 MP117M いわゆるブルドッグですが、小型幕の時代です。導入当時は珍しかったであろう、冷房車です。

滋22か681②

「京阪三条」という停留所名が「三条京阪」になったのは1981(昭和56)年のことなので、それ以前、恐らく、54、55年頃の写真です。
背景は京都駅のはずなのですが、建物の高さが低くてあまりそういう感じがしません。

↓大型幕の時代に入ります。 A-1486 滋22か797 1980(昭和55)年式MP118M

滋22か797③

この頃になると、「京阪三条」が「三条京阪」になります。「西大津駅」にはなぜか「国鉄」の文字が入っていなかったと思いますが、「京都駅」は「石山駅」同様「国鉄」の文字が入ります。1時間に1回程度とはいえ、浜大津のみならず、大谷や片原町から京都駅に直接行けたことなど、もう夢のようです。

↓上の写真と同じ車両ですが、側面の広告が変わっているので、別の日ですね。どこか分かりますか?

滋22か797②

左の端にほんの少し写っている建物の一部は京都タワー、つまりこれは京都駅前の交差点を右折しようとするシーンです。
京津国道線の京都駅行きが右折するのはここだけしかあり得ないと思うのですが、なかなか京都駅前のように見えなくて、古い住宅地図を引っ張り出して調べたのですが、確かに昭和50年代は京都タワーから烏丸通を挟んで隣はパチンコ店などが並んでいました。

ここからは、京津国道線でなくて申し訳ないのですが、京都駅に出入りしていた懐かしい面々。

↓B-1496 京22か2589 1980(昭和55)年式MP118M

京22か2589②

何と、定期観光バスとして運用されています。Bタイプというのが本来、京阪バス社内で、路線用のAと観光用のCの中間で、「定期観光兼用」の意味だということを知っている方でも、本当に定期観光バスとして運行されている姿を見たり、写真を見たりした方はなかなかいないのではないかと思います。
グレードが違い過ぎるので、本当に定期観光バスとして運行することは遅くとも昭和末期にはなくなっていたようです。
まあ、こんなのが来て面白がるのはそれなりの趣味人だけでしょうね。

最近、均一区間用の500円の1日乗車カードが大人気で、定期観光バスが勢いを失いかけましたが、観光バスを利用するひとは、ワンランク上、プラスαの何か違うものを求めている観光客だと位置付けて、プレミアム感を出したコースを多く設定することで盛り返しつつあるようです。そうなるとますますB車の出番はなさそうです。

↓上の写真より古い車両。B-1199 京22か757 1971(昭和46)年式MR470

京22か757

「市内半日コース」 他にもB車での定期観光バス運用の写真を持っているのですが、だいたい「早回り」「半日」と書かれていて、短時間のコースに優先的に回され、「本物の観光バス」は長時間のコースに優先的に使用されたのかな、と思います。

それはそうと背景をよくご覧下さい。全体が写っているわけではありませんが、「新快速 大阪29分」の表記、懐かしいですね。また、地下鉄の工事をしていた時だということも分かります。

↓京津国道線と同じような格好でターミナルを出る…定期観光バス?

大阪22あ2369②

しかも、大阪ナンバーです。大阪22あ2369 1976(昭和51)年MR470 枚方営業所の所属だったようです。
この当時、定期観光バスはびわこ競艇、びわこ競輪の輸送と並んで、京阪バス総出の大仕事でした。多客期のためだけに山科や洛南だけでたくさんの車両を抱えるのは、収容能力上も効率が悪いので、大阪や大津にB車を振り分けて収容して、普段は路線や、本格的な観光バスを出す程でない貸切などに使用するようにするという意味もあったようです。

後ろには岩倉行きの市バス。この当時は65系統が京都駅に来ていたんですね。


今回で京津国道線の特集を終わります。浜大津・びわこホテルから、時代によっては近江今津からの長旅で、私も感慨深いです。読者の方、写真の提供や取材でご協力いただいたT.F.様、まんたろう様他皆々様、ありがとうございました。

「京津国道線・京都今津線ロス」の状態で、さあ、これから何をしようかな………?
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