青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
(今日は交通関係の話題は少ししかありません。ご興味のない方はスルーして下さい)

昨年の10月頃だったと思いますが、2月7日(土)びわ湖ホールでJ.S.バッハの大作『ヨハネ受難曲』(BWV245)が聴けるというので、早速予約をしようとしたら…何と4か月も先の話なのにもう満席!?

びっくりしました。
「マタイ受難曲」(BWV244)が3時間がかりの超大作として扱いが派手なのに対して、「ヨハネ受難曲」は2時間ほどの作品で、演奏される機会も、CDの種類もやや少ないので、却って聴きたいひとが集中するのかもしれません。

「マタイ受難曲」を聴いたことは、2012(平成24)年3月7日付拙稿マタイ受難曲を生演奏で聴いたことが、あるか、ないかで書きましたが、マタイを聴いたらヨハネも生で聴かないと、と思っていたのに…。

しかし、あまりの人気ぶりに何とかしないといけないと思ったのか、6日に追加公演を実施することが決定しました。そちらの方は無事に予約が取れたので、寒い中いそいそとお出かけ。

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同じくバッハの「マタイ受難曲」は新約聖書の『マタイによる福音書』に書かれたイエズスの受難の物語を描いた曲ですが、「ヨハネ受難曲」は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」を題材にしています。

新約聖書に4つある福音書のうち、「ヨハネによる福音書」だけは情報源が全く異なると言われていて、書き方や視点の置き方がかなり違っているためか、それを音楽にした結果としての受難曲も、マタイとヨハネでは雰囲気がかなり違います。

ごく大雑把にいうと、どんなひどい目に遭っても、イエズスは尊く、光り輝いている!と歌い上げ、またどこか達観したような雰囲気なのがヨハネ受難曲で、短く緊張感にあふれ、ドラマチックにまとまっています。嘆きと悲しみに満ちていて、しかし登場人物相互のやり取りを詳細に書き取った、ルポタージュに近い雰囲気なのがマタイ受難曲なのではないかと思います。

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配られたプログラムを見て、歌詞対訳がないことにショック!
会場を見回すと、やっぱり好きなひとは楽譜や対訳歌詞集をもってきてる。…あちゃ~…楽譜を持ってくりゃよかった…。
でもさすがびわ湖ホール!舞台の上に歌詞が映写されたので一安心。
たいていのコンサートで、何らかの形で歌詞を示すようになっているようです。

期待高まる中始まった第1曲。不安を掻き立てるようなメロディを聞くと、私はいつも、新約聖書に含まれる「ヨハネによる福音書」とは直接関係ありませんが、旧約聖書の「創世記」に記載のある「ノアの方舟(はこぶね)」が大嵐で揺れに揺れて、自分もどこかに流されていってしまうような錯覚に襲われます。

それでも実は、主の栄光は全世界に輝き渡っている、辱めの底にあっても栄光を受けていたことを、あなたの受難を通してお示し下さい、という意味のことを繰り返し言っています。嘆きで始まるマタイ受難曲とは対照的です。

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◆第1部
ユダの裏切りの場面はこの曲が始まるより前に既に終わっていて、聖書のことばに関係ない第1曲を別にして、本格的に内容に入る第2曲はいきなり、ユダが祭司や兵士を連れてイエズスを捕まえるところから始まります。
最初は剣で祭司の手下の耳を切り落として、イエズスを守ろうとしていたペテロも、やがて裏切りに走り、預言通り、ニワトリが鳴くまで3回、イエズスの弟子であることを否定します。



ここで一旦休憩。

外に出ます。

↓汚い変なダイヤになってしまいましたね。

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この日は帰りだけ臨時バスが出ることになっていました。

↓いつ見てもびわ湖ホールからの眺めは素晴らしい。

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では会場に戻って、第2部スタートです。

◆第2部
有名なローマ総督、ピラトの尋問の場面から始まります。ピラトはイエズスに罪があるとは思えないのですが、ユダヤ人の群衆は彼を救世主と認めたくないため、イエズスがユダヤの王を自称していると騒ぎ立てます。
過ぎ越しの祭(現在の暦ではたいてい4月に行われるユダヤ教の祭)で1人罪人を恩赦する習慣があったのですが、それをイエズスにしようとしたピラトに対して、群衆は人殺しのバラバを許せと叫びます。
結局イエズスは十字架に磔(はりつけ)にされ、あとは多くの方がご存知のように、「ゴルゴタの丘」に連れて行かれて、最期を迎えます。



合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブルの16人。こじんまりしているようですし、マタイ受難曲よりも合唱の比率が高い(群衆の声を表す合唱)ので、大人数なら大人数なりの迫力がありますが、そもそもマタイに比べてあまり大人数で歌う曲ではないようです。

イエズス、ピラトの、梵鐘がぶつかり合うような強いバスのソロのやり取り、これを押し返すような叫びにも似た合唱―――合唱はたくさんの声を積み重ねて厚みを出すことで、群衆の圧力を巧みに表現しています。これらを結びつけるのは、時に熱く語りながらも透徹したテノールソロのエバンゲリスト(福音史家)です。


大満足して帰りです。

↓今回の臨時バスはB-3246による運行です。

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今年に入ってから車両運用が変わったのか、石山駅20:10発南郷二丁目東行きなど、夜間の石山方面のB車固定運用がなくなり、比叡平以外では今までにも増して乗りにくくなった車です。

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歩くにはちょっと遠いので、大助かりです。


学生時代に聴いて、胸を打たれた旋律が目の前で繰り広げられていることに、感激するとともに、久しぶりに全体を通して聴くと、群集心理の怖さ、自分と違うものをただ排斥することしか考えない頑迷さといった、テロや差別がなくならない現代社会にも通じる問題を改めて深く考えさせられました。人間は実は根底で何も変わっていないのではないか?と思われてきます。

短くも美しい第23d曲↓

http://youtu.be/5PaIWoURhLM?t=1h8m48s

原曲のドイツ語では、

Weg,weg mit dem,Kreuzige ihn!

と言っているんですが、日本語では、

殺せ、殺せ!十字架につけろ

です。こんなにきれいに、殺せ!と言えるのが恐ろしいです。

各パートが一見不規則に、しかしバッハらしく緻密に計算された絶妙なタイミングで、折り重なるように、声の微妙な強弱バランスとフレーズの歌いだし、歌い終わりの時間差で、前に出たり後ろに下がったりを繰り返すところが、群衆の叫びをより一層臨場感溢れるものにしています。

「ヨハネによる福音書」の中で、受難曲に出てくるシーンよりずっと前、第8章に、姦通の罪で捕えられた女は律法では「石を投げつけて殺す」ということになっている、と頑迷な律法学者たちに詰め寄られたイエズスが、
「あなたがたのうち罪を犯したことのないひとが、まずこの女に石を投げなさい」
と返答する有名な場面があります(ヨハネ8・7-8)。
そう言われるとさすがに皆、何も言えず、一人、また一人と立ち去ったと言います(8・9)

※訳はフランシスコ会聖書研究所訳1984年版による

こんなひとたちでも、何らかの自制心と、罪がないと胸を張って言えない後ろめたさのようなものを感じる心はあったのでしょう。

しかし、日本も含め、世界中の様々な過激な思想やテロ行為のニュースを見ていると、同じことを言っても、立ち止まれず、石を投げ始めるひとが結構いるのではないかという気がしてきます。


今日が、追加ではない本公演。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーはじめ演奏者たちは、また多くのひとに感動を与えることでしょう。
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