青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
本題に入る前に、驚きのニュースです。この京都新聞のネット記事、ご覧になった方いらっしゃいますでしょうか?
大津比叡平発バス、JR石山駅まで 一部路線延伸へ

最初は、誰がふざけたカキコしてんにゃ…と思ったのですが、京都新聞の記事で、目を疑いました。

浜大津発着便が廃止されたのは2011(平成23)年3月19日で、既に5年の時が経過しています。

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浜大津や、更に昔存在した、「国道市民病院」(現 大津市民病院)ならともかく、石山駅て大胆だな…。
全線通しで乗るのはよほどのもの好きですね、と書いている私くらいでしょう、多分w

同記事の「市民病院に直接行けるように」という文言からすると、国道を回るのでしょう。
市民病院前に大津車庫があった時代は、市民病院発着で何の問題もありませんが、今は市民病院で運転を打ち切っても、結局長距離の回送をしなければならず、実際、現在の16号経路は、比叡平線の送り込みが基本なので、その運用を生かしている、即ち16号経路と66・66A号経路を合わせる、ということなのでしょう。

昔ほどに渋滞がないのも、こういう路線設定に踏み切れた理由かもしれません。

…それにしても、運賃いくらになるんだろう? 近江神宮前より向こうの対キロ区間制区間に、市民病院以南からの路線が入ったことは歴史上ないはずなので、どう計算するのかな。まあ、対キロ制しか仕方ないでしょうね。
尤も、1dayチケットで行けてしまうんですがw

あと、大きなお世話な話かもしれませんが、ほとんどの車両がLED表示化された今、経由地・起終点4つしか表示できないあのちゃちな側面表示で、最近類を見ない「長距離路線」のどの経由地を表示するのでしょうね。

延伸は4月実施だそうです。


では、本題に入ります。今回は上関寺の3回目です。

↓前回取り上げた国道1号線と161号線の連絡道の途中、気になるものが…

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↓2013(平成25)年9月の台風18号で氾濫を起こした吾妻川が流れています。

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写真では分かりにくいかもしれませんが、蹴上の南禅寺に抜けるトンネルなどと同様、「ねじりまんぽ」になっています。
これは昭和になってからの工事ではありません。この辺りの国道1号線は1880(明治13)年に東海道本線が最初に開通した時の線路敷と考えられており、このトンネルもその時に合わせて作られた遺構と思われます。

連絡路から京都方面に向かうと、京津線の「上関寺国道」踏切にぶつかります。
↓この踏切の両脇に、1972(昭和47)年まで「上関寺駅」がありました。

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「大津百町」写真展など、大津市や京阪電車の何らかのイベントがあると、駅があった時代の写真が展示されることがあるので、ご覧になった方もいるかもしれません。

ホームは踏切を挟んで互い違いになっていて、踏切の西側、浜大津寄りが三条方面、東側、三条寄りが浜大津方面でした↓

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「ホームがあったので線路脇が広くなっている」という意味のことが書かれているサイトさんもありましたが、特に三条方面は非常に狭いな、という印象で、本当にホームがあったのだろうかと思うほどです。

廃止のはっきりした理由についてはネットを見ていてもよく分かりませんが、電車が踏切を通過する前に駅があって、当時の技術では踏切の閉じられる時間が長くなり過ぎて、渋滞がひどくなる、ということがあったのかもしれません。

今も、車列がなかなか途切れない場所です。

なお、この辺りは2013(平成25)年9月16日の台風18号による豪雨で土砂が流入して大きな被害が出た場所の一つで、29日17時まで10日以上の長きにわたって全線運休を余儀なくされるという、京阪電鉄の歴史に残る大災害となりました。

現在ここには、宇治の白川口や、皇子山ランプ付近の山中越えの入口にあるのと同じような、異常気象時に交通を遮断する棒が、踏切とは別に踏切の大津側に設置されています。

踏切を渡って振り返ると、何だか大津の街とお別れのような気分になります↓

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上の写真の右手、軽自動車の後ろに写っている茶色い壁は、旧東海道線の橋台です。
アップで撮影↓

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国道を陸橋で渡っていたのでしょうか。

更に歩くと、右手に、現在京大の防災研究所の施設として使われている旧逢坂山トンネルが見えてきます。

↓よそのサイトさんで10年以上前に撮影されたと思われる、この立て看板の写真がありましたが、その時はまだサビがなくてきれいでした。

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↓その後ろに見えている案内標識がまた凄い年季の入りようです!

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標識が、現在のような青地に白文字が標準になったのは1971(昭和46)年です。この標識はその逆に、白地に青文字ですし、字体の雰囲気から見ても、それ以前のものでしょう。湖岸道路は既に存在していることになっているので、1967(昭和42)年頃からの4年ほどの間に設置されたのではないでしょうか。
限られたスペースで「湖南アルプス」を案内するなら「石山寺」を案内しろよ、と思いますが。

だいたい、この位置は、国道161号線に入った車にしか見えない(国道1号線を走る車からも、見えなくはないかもしれないが、かなりよそ見をする形になる)ので、市南部を案内するというのはよく考えたら変なんですね。石山方面に行くひとなら、道を間違えない限り、普通は161号線に入らないですし、そちらに入るということは、普通は大津旧市街以北に用事があるひとなのですから。

湖岸道路を経由してほしい、という意味なのかもしれませんが、それならもっと手前に標識を出さないと、石山方面に行く車は国道をそのまま走ってしまいます。

↓施設はあまり使われている形跡がありません。

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琵琶湖西岸断層や花折断層による大地震の可能性が取り沙汰されている今こそ、是非この施設を活用して研究を進めてほしいものです。

その奥に、トンネルの看板↓

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↓手前だけですが、入ることができるのは向かって左の方の入口です。

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↓奥は防災研究施設となっているので、部外者は立ち入れません。

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↓右手は閉まっています。

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↓平成20年に「近代化産業遺産」に指定されています。

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サイトさんによっては、先ほどUPした手前の看板を含め、国鉄時代からあるのではなかろうかと思うような案内板の写真をUPされているところもあって興味深いのですが、恐らく近代化産業遺産指定のタイミングで新しくされてしまったのでしょう。

↓本来「落成」と書くべきところですが、「落ちる」という字が「落盤」に通じるということで、「樂成」と書かれています。

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トンネルからふと振り返ると、ちょうど真正面が、先ほどご紹介したレンガの橋台があるビルです↓

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やはりあそこから線路が伸びていたのだろうな、と思います。

3回も上関寺の話題にお付き合い頂いてありがとうございました。そろそろ次のバス停に向けて出発します。

次は、片原町です。
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