青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
引き続き緑ヶ丘です。ここは前回も書きましたように、国道1号線の拡幅、名神高速道路の開通と京都東インターの設置、西大津バイパスの開通により、戦後、その景観が目覚ましく変化した場所です。地形上の峠(逢坂峠)は通り過ぎましたが、取材上の峠は寧ろ、ここと2つ先の国道山科が圧倒的に巨大で、大変でした。

↓まず、1979(昭和54)年頃のバス停推定位置。といっても、現在は歩道がなく、当時はなかったらしいこの掘り込みがあるため、近づくことができません。

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↓恐らく、この擁壁の向こう側か、もしくはもう掘り込みで掘れてしまっている位置だろうと思われます。
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1979(昭和54)年のこの位置は、あくまで仮だったのか、1974(昭和49)年頃から1978(昭和53)年にかけての住宅地図においては、更に東寄りにバス停があったことになっています。

最初の写真で、右手の防音壁に沿って、歩道が続いているのが見えますでしょうか?

↓そこにつながっているのが、掘り込みを渡るこの橋です。

IMG_7735.jpg

それを辿っていくと、ここに行きつきます↓

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現在の緑ヶ丘東行きのバス停の造りとよく似た、高架下の空間です。上を通るのは西大津バイパスです。

今は何もなくて、ここから先に進むこともできませんし、一体何のための通路なんだろうと思う方もいるかもしれませんが、実はバス停に向かうための道筋だったのです。


2010(平成22)年8月25日付拙稿 すったもんだの藤尾・小金塚 京阪バス路線開通②でもUPさせて頂いた、T.F.様ご提供の、藤尾・小金塚系統開通を伝える広告↓

藤尾開通1

↓よくご覧下さい。「緑ヶ丘」のところの但し書き。

藤尾開通2

「藤尾・小金塚行き無停車」 

そう、「緑ヶ丘」バス停がこの位置にあったのでは、道路の構造上、藤尾・小金塚行きが停まることができないのです。それで現在の位置に移転したのですが、その時のことは、1982(昭和57)年5月15日付京都新聞市民版に載っています。

京都、滋賀の府県境にある山科区小金塚と大津市藤尾地区へのバスの乗り入れは、五十五年(昭和 引用者注)五月に両地区住民の強い要望で実現した。ところが、府道四ノ宮・四ツ塚線と国道1号(五条バイパス)名神高速道京都東インタチェンジ(原文ママ)の出入り口、それに西大津バイパスの入り口などが立体交差で複雑に交差する付近では、浜大津方面行と山科、三条方面行きの路線で「緑ヶ丘」(大津市横木)停留所が旧来通りあったものの、せっかく「藤尾、小金塚系統」の路線バスが新設されても、同停留所付近は素通りせざるを得なかった。



このため、地元の要望を受け、京阪バス、大津市、山科区などが協議し、藤尾・小金塚系統も停車することができる、建設省(現・国土交通省)が管理する国道1号線の高架下の現在の位置にバス停を移すことになったということです。

因みに、大津管轄だったとみられる旧40号経路(西大津駅/浜大津-追分-藤尾・小金塚)は、緑ヶ丘に停車することは上下両方向とも物理的に無理で、藤尾小学校の次は追分とされています。

このバス停については取り上げることが多いので、もう2回お付き合いのほどお願い致します。
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