青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
四ノ宮 しのみや
所在地:山科区四ノ宮神田町
開設年月日:1928(昭和3)年3月14日設置、同26日営業開始(但し旧道上)
付近:京都市四ノ宮児童館・四ノ宮の家 四ノ宮さくら広場 山科警察署四ノ宮交番(旧山科検問派出所) 滋賀銀行四ノ宮支店 京阪四宮駅 京阪電鉄四宮車庫 志賀直哉旧居跡 (現在ないもの)京阪バス四ノ宮回転場
キロ程:緑ヶ丘から0.7キロ 音羽から0.6キロ




かなり以前に全てのバス停について、予めタイトル、つまりバス停名だけ入力して用意をしていたのですが、なぜか四ノ宮だけ漏れていて、さあ書こうと思った時に驚きました。片原町とか薬大前とかもっと影の薄いバス停は用意していたのに。

緑ヶ丘のように、ポールが大津市と京都市にまたがる、ということでなく、両サイドともしっかり京都市に入るのはここからです。ここから京都八日市線(特急)も合流します。名神大津から約4年間お待たせしました。

複雑に絡まり合う名神、国道1号、旧京津国道(府道四ノ宮四ツ塚線)などをかいくぐって、やっと落ち着いて、少し街らしくなったところです。浜大津方面全景↓

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京阪電車の駅と同名の停留所はたくさんありますが、大抵駅が見えるような位置です。しかし、ここは本線や石山坂本線を含めて考えても、珍しく駅とバス停が離れています。

…いや、厳密にいうと、バス停は「四ノ宮」で駅は「四宮」で、別名なんですね。
なお、四ノ宮については、以下の記事もご覧下さい。
1949(昭和24)年8月7日 京阪四宮車庫火災と代行バス
↓W-6222の48号経路山科駅行きがやってきました。

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2012(平成23)年夏から秋にかけての新車導入ラッシュ時に入った車のうちの1台です。当時、高槻のN-6201を皮切りに、京阪バスとしては約40年ぶりのいすゞ車導入と、ちょっとした話題になりました。

バス停の右に見える木立は児童館とその庭で、1974(昭和49)年の段階ではもう児童館の前身の「子供と婦人の家」になっていました。学校のない日・時間帯にはたくさんの子どもたちが遊んでいます。

湖西線開通前の最盛期は、京阪バスの京津国道線、京都今津線、京都八日市線、山科北部循環線の他、滋賀交通、近江鉄道バス、帝産湖南交通が停車していたことと思われますが、今は京阪バスの山科北部線と西大津バイパス線(社内呼称は山科大津線)だけになってしまいました。

それでも、意外に山科駅との1バス停間だけの利用があります。私も藤尾・小金塚系統や西大津BP線なんて10回も利用したことがないと思うのに、それでもその何回かでほぼ必ず、四ノ宮で乗り降りするひとがいるのです。
山科駅から800mあって、歩くと意外と時間がかかりますし、疲れます。たいてい高齢者なので、京阪電車と違って敬老・福祉乗車証が使用できるというメリットを生かしているのでしょう。

↓三条京阪方面全景

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↓西行きのバス停 東向きに

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↓こちらは東行き 西向きです。

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現在の乗場は東行きと西行きがほぼ向き合っています。

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東行きは少なくとも1982(昭和57)年頃には現在の位置になっているようです。西行の方が動きが多く、現在の位置になったのが確実なのは1990(平成2)年以降です。

このバス停で、何よりも忘れてはならないものは、今のバス停前のローソン山科四ノ宮店の位置に存在した「京阪バス回転場」です↓

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確認ができる最後の年度は1988(昭和63)年ですが、何と1957(昭和32)年の段階で既に「京阪バス四宮駐車場」という記載が見られます。

UP日現在で、これに関する資料や証言は未発見です。しかし、30年以上にわたって住宅地図に記載され続けて、何もないということはあり得ないでしょう。
例によって国土地理院の公式サイトで確認できる、古い空中写真を何枚かチェックしましたが、残念ながら、比較的鮮明なものを見ても、ただの空き地のような感じで、舗装すらされているようには見えませんでした。ましてバスが止まっていたりする気配もありません。

全くの推測ですが、朝のラッシュ時に山科駅だけで捌ききれないバスをここに留置したりする一種の操車場のような形で使っていたのかと思ったりします。それなら空中写真を撮影した時間帯にはたまたま使われていなかったのだと考えれば不思議ではありません。
尤も、実際にはほとんど使われていなくて、単に京阪バス所有の土地だったというだけなのかもしれませんが。そういうのは今も、蚊ケ瀬あたりにあって、乗務員が社用車を止めて交替したりするのに使っています。

↓この辺りが収録されている最も古い住宅地図は1957(昭和32)年版、1960(昭和35)年版なのですが、その時点ではこの「四ノ宮」交差点付近にバス停があったことになっています。

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右手の旧道を通称・地蔵道というようなのですが、1962(昭和37)年頃、ここに京阪バスの山科駅-勧修寺系統が通ることになり、沿線の音羽小学校の児童の通学が危険だとか議論を巻き起こしました。

西行きは、はっきりと位置関係が確認できる版を見る限り、少なくとも1974(昭和49)年から1979(昭和54)年までは近くの歯科医院の前(下の写真では手前のポール)に、1982(昭和57)年から1988(昭和63)年までは、それよりは東寄り(奥のポール)にありました↓

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↓1965(昭和40)年から1971(昭和46)年までの図面では、このお米屋さんの前に停留所があったことになっています。

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↓東向きに撮影すると、1976(昭和51)年から1979(昭和54)年までの東行きのバス停も視野に入ります。

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ただ、確認できる限り、時代がずれているので、このような形で同時に存在していたことはないのだろうと思われます。
東行きは残念ながら、なぜか1975(昭和50)年以前のはっきりした位置が分かりません。西行きしかバス停の記載がないのです。

↓上の写真で撮影している東行きのバス停を西向きに眺めています。

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現在のバス停との距離感が分かって頂けるかと思います。

また、1965(昭和40)年現在の住宅地図では、現在のバス停のバス停の南方、愛生会山科病院の「むつみ寮」の北側に「京都国際自動車KK」という記載があり、恐らく京阪系の「京阪国際観光自動車株式会社」の前身、「京都国際観光自動車」のことではなかろうかと思われます。この前年に京阪宇治交通と琵琶湖汽船自動車京都営業所の貸切バス部門と合併したり、あくる年に社名を「京阪国際観光自動車」に変更したり、様々な動きがあった時期です。

長くなりましたので、その他の付近の様子については次回別途取り上げます。

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コメント
この記事へのコメント
いつも記事楽しみに拝見しています。
近江鉄道バスの京阪三条線(季節運行)のバス停は今も現役のようで安心しました。八日市駅始発では無くなってしまい、菩提寺にも止まらなくなって久しいようですが、ほんとは朝一便だけでも走って欲しい存在です。
2016/04/29(金) 17:59:42 | じゅうしまつ | #k8iHNcPM[ 編集]
Re: タイトルなし
じゅうしまつ様、コメントありがとうございます。

八日市京都線は、もう3年前から立命館大学始発になっているんですね。知りませんでした。

各地の高速バスの隆盛を見ていると、絶対需要があると思うんですけどね。八日市と三条なんて、パークアンドライドを定着させたら、本当は最高だと思うんですけどね。
MKのハートシャトルはあっという間に廃線に追い込まれましたが、これが、JRでは行けない三条・四条河原町方面だとまた結果が違ったのではないかと思います。
2016/04/29(金) 22:25:58 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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