青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今回は、T.F.様撮影の三条京阪付近の京津国道線の懐かしい写真をお届けします。

↓雨の三条京阪。車両はB-1620 滋22か1175 1986(昭和61)年式P-MP618M

滋22か1175

今の南郷や石山団地の日中の利用者数に匹敵するくらいの乗車があったようです。もちろん、人口密度が下がる四ノ宮や追分から東でもこの状態かどうかは分かりませんが。

↓A-1663 滋22か1246 1987(昭和62)年式P-MP218M 1つ上のB-1620と並び、当時最新鋭のエアロスターKです。

滋22か1246②-2

すこし昔の京阪バス写真集には、このバスが開通直前の京滋バイパスを背景に大浜付近を走行するシーンの写真があります。
そちらの方には「京阪」のエムブレムがありますが、今回の写真にはありません。もともとこの位置には三菱のオリジナルエムブレムが来るはずです。
私はエムブレムが全くない、この状態がはっきりと記憶にありません。ただ、新車なのに「京阪」と書かれているのが幼心にも妙に野暮ったく、せっかくきれいな新車なのに、と感じたうっすらした記憶はあります。
でも、今見ると、エムブレムがないと何だか間抜けな感じですね。

↓A-1018 滋22か1120 1984(昭和59)年式P-MK116J

滋22か1120

中型車の運用などというのがあったんですね。国分の細道から、天下の三条大橋まで、今の目で見るとものすごい不思議ですが、当時はこれで普通です。
経由地のない「浜大津」という行き先が新鮮です。簡素なのも良し悪しなのですが、まあ、九条山や日ノ岡、四ノ宮などのひとは、分かっているから、「このバスは乗れない」と判断するようなこともないのでしょう。

よく考えたら運転手さんが大変ですね。京都側の定期券や京都市域共通回数券、京都市敬老乗車証、1981(昭和56)年の烏丸線開通以降は地下鉄の連絡乗車券の知識まで必要になるわけですから(連絡券の実績はほとんどないと思いますが)。

↓いわゆるブルドッグ、A-1487 滋22か798 1980(昭和55)年式K-MP118M

滋22か798

型式(かたしき)に詳しいひとの頭ってどうなっているのかな、と思いますね。
私は意味も分からず、手元資料を丸写ししているだけですが、暗記しているひとはさらさらっと言うから、恐ろしいです。その方が分かりやすいというひとがいるというのがどうしても私には信じられません。私は、アルファベットも数字も大嫌いなのに、その大の苦手なものがタックを組んで並んで、こんな無機質な記号作られたら、もう化学式みたいなもんで、K代とかP代とか言われても、自分には関係ないこと、好きな方にお願い、となってしまいます。

これは何とか覚えた、MR470 滋22か628 ↓

滋22か628②

B-1380号車です。1977(昭和52)年3月21日 宇治川ライン線開通の記事では、このバスが宇治車庫にいる様子の写真をUPしています。B車なのできっと比叡山も普通に走っていたでしょうから、堅田にも出入りしていたでしょうし、宇治から三条から、とにかく大津営業所の端の端まで、走りに走った車なのでしょうね。

↓こちらは何と観光マスクの西大津バイパス線 滋22か439 昭和50年式です。

滋22か439

T.F.様が下さった写真の中に、比叡山線を中心にこういう車の写真がかなりあります。観光車を改造したのでしょうか?
私はバスと言えば路線なので、こういう車は邪道な気がして引いてしまいますが、でもこういうのが何かの都合でたまに南郷や石山団地なんかに来ると、やっぱり何だかんだ言っても釘づけでしょうか。

それにしてもこれもMR470だというのが不思議です。MR470はさっきのB-1380号車のような形ではないのか、と思うのですが。多分車体のメーカーは違うとかそういう奴ですね。

↓数年前のバスまつり会場で、大きすぎるので持ち帰って部屋にしまうのが大変だろうと思って買えなかった逸品。三条京阪で掲示されていたものだと思われます。

00001689.jpg

この時は、京津国道線は「国道山科西詰」に、三六線は西詰バス停の前を通らざるを得ないはずですが、そこには止まらずに「南詰」に停車していたということが分かります。

京津国道線も三六線も同じ図に描かれています。こういう時、管轄が違うと同じところを走るのに、わざわざ図や時刻を別にしたりする社局も多いと思いますが、京阪はまだ比較的営業所同士の垣根が低いというのか、本社が主導しているのか、あまりこだわらないのがいいところで、意図しているか否かは別にして、利用者の利便性には役立っていると思います。

山科駅を通らないというのが大胆すぎるけれど、これで普通だったんですね。
「合場川」の字が「相場川」になっているのはご愛嬌?

↓時刻表

00001690.jpg

だいぶ京津国道線が力を失っていますが、それでもまだ20時半頃までバスがあったんですね。三六線に至っては23時過ぎ!地下鉄がなくて、本当にバスしか交通手段がなかったから当然でしょうか。

↓一方こちらは、京都府立総合資料館に所蔵されている、『京阪観光』の時刻表。左が1955(昭和30)年6月号、右が1954(昭和29)年9月号で、いずれも「㈱京阪観光社」の発行です。

CCI20151231_00000.jpg

左右同じように見えるかもしれませんが、明らかに京都バスのはずのところを「京阪バス」と書いていたり、三六線に時刻の違いがあったりします。和邇行きと堅田行きが3回ずつあります。京津線があるのに、更に石山寺行きが概ね1時間に1回程度、これに浜大津行きや瀬田行きが重なるので、浜大津まではだいたい1時間4-6回も運転されていたようです。四条大宮始発と、京都駅始発が区別されているのも面白いです。瀬田行きや石山寺行きは全て三条京阪始発だったようですが、和邇や堅田はほとんど京都駅始発です。

末筆になりましたが、T.F.様、貴重な写真をありがとうございました。何度見てもいいですね。

三条京阪で時代によってはかなりの便が折り返していましたが、系統としてはまだ先がありますので、引き続き四条大宮、京都駅方面に向かいます。

次は、河原町三条です。
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コメント
この記事へのコメント
こんにちは。
さて、この記事を見て思い出したことがあります。
現在の山科営業所の門の横にある選挙ポスターを張る掲示板のような板の裏面が比叡山方面の昔の時刻表だったと思います。
変わってなければ今もあると思います。いつのころのものかはわかりませんが、ご参考までにお伝えしておきます。
2016/10/10(月) 02:46:56 | 若人 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
若人様、貴重な情報ありがとうございます。それは気になりますね。一般に公開されているようなものではないでしょうけれども、敷地外から見られるようなものか、一度確認してみたいと思います。
2016/10/10(月) 23:00:15 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
どうもご無沙汰しております。N-3899と申します。

懐かしい写真いっぱいで大変感激しました。

B-1380ですが、京津国道線・比叡山線のほか、宇治川ラインと広範囲の運用をこなしていたとは、これぞ本来の路線観光兼用車の使い方でしょうね。このタイプの車両は大阪地区各営業所も波動用として配置されていました。香里団地営業所にも1台在籍し(B-1377?)、1980年代初期まで[快速]【1】<枚方市駅~新香里>で度々見かけた記憶があります。

観光マスクからの改造車ですが、富士重ボディ架装のやつでしょうね。これが一般路線にも入っていたとは驚きました。

2016/10/23(日) 22:48:06 | N-3899 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
N-3899様、こちらこそご無沙汰しております。

> B-1380ですが、京津国道線・比叡山線のほか、宇治川ラインと広範囲の運用をこなしていたとは、これぞ本来の路線観光兼用車の使い方でしょうね。このタイプの車両は大阪地区各営業所も波動用として配置されていました。香里団地営業所にも1台在籍し(B-1377?)、1980年代初期まで[快速]【1】<枚方市駅~新香里>で度々見かけた記憶があります。
>
> 観光マスクからの改造車ですが、富士重ボディ架装のやつでしょうね。これが一般路線にも入っていたとは驚きました。

私は自身の記憶にこういった車両は全くありませんでした。他にも石山方面の一般路線に充当されていた写真があった気がするので調べておきます。
2016/12/19(月) 19:41:06 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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