青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
さて、四条大宮と言ってもう1つ忘れてはならないものがあります。京阪バスの本社跡地です。
1988(昭和63)年5月6日に現在地に移転するまで、京阪バスの本社は終戦直前の1945(昭和20)年8月12日から四条大宮にありました。因みに登記は終戦記念日のようですが、こんな時、法務局なんてまともに動いていたのかな?とか、引っ越しどころの騒動ではなかったのではないか?と不思議になります。なお、その更に前の暫くの間は京都駅前に本社があったようです。

本社跡は1991(平成3)年に「京阪バス四条大宮ビル」となり、アークホテルが入居しています。Wikipedia等の記述を見る限り、今も所有権を手放しているということでなく、賃貸借しているという形のようです。

IMG_7066.jpg

自社グループにホテル会社があるのに、なぜわざわざ競合するような他社を入居させたのが分かりませんが、何らかの考えがあってのことなのでしょう。

ここからは京津国道線や四条大宮の京阪バスに関わる新聞記事をいくつかご紹介して、四条大宮の回を終わりたいと思います。

↓1956(昭和31)年9月1日の読売新聞滋賀版

S31.9.1Y 京津国道線全車大型車にb

間近に控えた東海道線全線電化に、京阪電車も京阪バスも臨戦態勢です。
マイカーが普及していないのと、当時の国鉄と今のJRとでは利便性が全く違うので、勝負になったのでしょう。興味深いのは、それまで石山寺から京津線の直通は1日3回しかなくて、これを機会に終日運行になったということですね。また、既に浜大津を総合駅化しようという目論見はあったようですが、実現するのは25年後の1981(昭和56)年のことです。

↓こちらは1950(昭和25)年11月5日の京都新聞。

S25.11.5KT 太秦‐京都駅・四条大宮京阪バス開通b

京津国道線ではありませんが、四条大宮に絡むことで、今回を逃すとまた取り上げるのがいつになるか分からないのでUPしました。今の京阪京都交通のように、京都駅の西に向かう路線があったというのが驚きですが、今一つ、どういう系統だったのかが分かりません。市バスや京都バスのエリアではないかと思うのですが、普通に延伸しているのが不思議です。

↓1965(昭和40)年12月12日付滋賀日日新聞。

S40.12.12S 四条大宮直通を増やす新ダイヤb

枠は私が描きこんでしまいました。近江鉄道の日野浜大津線も興味深いので、敢えてそのままにしています。
日野から浜大津だと、六枚橋回りや竜王を縦断する方がイメージしやすいのですが、水口経由の方が距離が短いというのが意外です。

本題の京津国道線に関わるところでは、何と四条大宮-南郷直通を走らせる、というのが注目されます。後の旧48号経路(外畑ボート乗場-四条大宮)に通じるのでしょう。その他、柳ケ崎、新唐崎・坂本ケーブル直通もできるとあります。柳ケ崎は後の琵琶湖ホテル発着に通じるのでしょう。京都八日市線も1本が四条大宮発着になる、とあります。

今の運転手さんに、外畑から四条大宮まで通し運転というスタフを渡したら、どう思われるのでしょう。
観光や貸切で長い距離を走るというのとはまた意味が違うから、いやだなと思う方もいるかもしれないですね。でも、こういう仕事が実際存在したのです。

四条大宮については今回で終わります。次回から、「もう1つの終点」京都駅に向かって行きたいと思いますので、本シリーズとしては河原町五条を取り上げたいと思います。
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