青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
次の九条山との間には、石碑が並んでいるところがあります。

↓一番東側にあるのが、「名号碑」と木喰上人(もくじきしょうにん 安祥院開基木食養阿、1687~1763)の像です。

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山科区役所の公式サイトと、石碑そばの掲示板↓などによると、上人は冬の30日間、寒中回向を行って、中でも最大の刑場だった粟田口近くにこの碑を建立して、刑死したひとびとの霊を慰めたということです。

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↓そのそばにある「南無阿弥陀仏」の碑。

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1933(昭和8)年、京津国道改修工事の際に折れた上半分が発見され、1965(昭和40)年に、下半分を復元して国道工事の犠牲者も合祀して、この場所に据えられたそうです。

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↓こちらは一番西側にある「紀念」碑。京津国道、現在の府道四ノ宮四ツ塚線の改良工事を記念して建てられたもので、「紀念 京津國道改良工事 昭和八年三月竣工」とあります。

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「紀念」と「記念」の違いが気になるところですが、ほぼ違いはないようです。中国では今でも「紀念」が一般的だそうですが、日本でも戦前は「紀念」がよく使われたようです。

この改良以前から京津国道線は存在するのですが、改良によって、日ノ岡峠はそれまでより遥かに通行がしやすくなり、やましなを歩く東海道3 日岡によると、京都‐大津間は12分ほども短縮され、僅か17~18分で行き来できるようになった、とあります。この当時は渋滞も信号もほとんどないから、自動車の性能がはるかに良い今よりも所要時間が短いのだろうと思います。
このタイミングで日ノ岡・九条山付近が拡幅され、御陵以東は現在旧三条と呼ばれている旧道とは別に、現在の府道四ノ宮四ツ塚線に相当する道路が開通し、京津国道線も1933(昭和8)年10月8日から新国道上に路線が載せ替えられます。

↓ここにはつい最近まで、もう1つ京阪系の遺構がありました。比叡山ホテルの日ノ岡寮です。

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できるだけ自社グループの沿線に寮を設けて、通勤交通費を支払ってもグループ内に戻ってくるようにしようと思っていたのでしょうか。

↓パレスサイドホテルは、現在あるパレスサイドホテルとは別のようで、京阪系でした。

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↓長い間誰も入っていないようです。

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ここを、最後の入居者が後にしたのは、いつのことだったのでしょう?
2014(平成26)年3月頃に気づいた時には、建物が全て取り壊されていました。京津国道線と直接の関係はありませんが、京阪グループの施設の最後の姿を収めておくことができたのは良かったです。

なお、その後セブンイレブンに生まれ変わってしまいました↓

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建物の背が低いせいか、それまで見えなかった後ろ側が見えるようになりました。

次は、九条山【京津国道線】/石塚町【四条山科醍醐線17号経路】です。
※本シリーズでは次回は九条山に進みます。
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