青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
熊本地震、恐ろしいですね。被災された方にお見舞い申し上げます。
熊本は、数年前に旅行に行ったばかりなんです。「あそBOY」や「SL人吉号」「いさぶろう・しんぺい」といった名物列車を総なめにするいい旅で、拙ブログでも取り上げたいと思っていました。食べ物もおいしかったのに、今は飲み水にも困っていらっしゃるとのこと、心配です。一日も早い終息と復旧を祈念しております。

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2010(平成22)年11月にNHKで放送された『こだわり人物伝』によると、芥川賞作家・平野啓一郎がショパンの生涯を描いた『葬送』執筆時、ショパンの生きた時代をしらみつぶしに調べて、年表というよりスケジュールと言ってよいようなものを作って、この日は雪だった、誰と会った、どんな出来事があった、と全部整理してから書いていたそうです。

私のやっていることのレベルとは比べ物になりませんが、でもひとでもものでも、何かの歴史を紡ぎ出して「伝えたい」と思った時、そういう手法を取りたいという気持ちは分かります。
目立った出来事がない日であっても、その1日1日の積み重ねが歴史を作って、今を作っていき、人も、社会も変化していくものだからです。

でも、時々、過去の中に沈潜し過ぎてしまって、今日この日も未来から見たら歴史なんだ、ということを忘れてしまっていることがあり、ふと気づけば新車が入っていたりして驚くことがあります。もともと車両写真を撮ることを重視している人間ではないのですが、それにしても全く撮影しなくなってしまったので、この春は、もうちょっと写真もやってみようかな、と思ったりします。

てなことを言いながらまた古い話で恐縮ですが、今から60年前の今日、1956(昭和31)年4月18日の読売新聞滋賀版↓

S31.4.18Y 授業の邪魔をするバス 長等b

長等小学校付近に観光バスが1日300台も乗り入れて、その騒音で授業も満足にできない、と報じられています。当時の小学校1年生は今年67歳、6年生で72歳、こんなことがあったことを覚えていらっしゃるでしょうか?

京阪バスの三井寺停留所、というのはもちろん今の三井寺バス停ではなく、拙ブログでは「旧大津市内線」としている、石山方面に向かう旧市街の循環線の三井寺バス停です。



左の写真は、京阪バスの路線バスのように見えるのですが、よく分かりません。右は完全によその会社ですね。一瞬霊柩車かと思いました。凄いデザインです。

今は観音堂側ではなく、金堂側の土産物店・食堂などが並んでいるところに立派な駐車場があるので、こんな駐車の仕方自体する必要がなくなっています。それにしても狭いところでどうやって観光バスが出入りしていたのでしょう。

一方、こちらはその2日後、1956(昭和31)年4月20日付京都新聞滋賀版の記事↓
S31.4.20KS 堅田町のバス道路に一考を(投書)b

2012(平成24)年4月14日付拙稿1956(昭和31)年5月1日 国鉄バス・江若バス若江線開通で書いたことが、図らずもこの記事でも確かめることができました。
そして何より、やはりこの時代は長距離の路線も町内を走行していたのだ、ということが分かります。

別の新聞ですし、一見何の関係もないようですが、少しずつ戦後経済の復興の兆しが見え、ひとの往来も盛んになったにも関わらず、道路や駐車場の整備のスピードが追い付いていない当時の状況が見えるようです。

占領軍から独立して5年、自賠責保険の強制加入が始まり、「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれた年でした。

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コメント
この記事へのコメント
こんばんは
熊本地震お見舞い申し上げます。

堅田の新聞記事、ありがとうございます。
堅田に住まいして、今年で30年。もっとも妻は、この地の産まれですので、この記事の全てについて記憶はなくとも断片だけはと思うのですが、記憶にないそうです。
しからば、近所の商店主はどうか。
コレも世代交代が進み、と言うより廃業も多く話になりません。
記憶のある方に頼ってみても、海津へ行くのは、京阪だけだった、とか、国鉄は、来ても乗せてくれなかったとか、よくわからない昔話です。
新たな発見に期待しています。
これからも頑張ってください。
2016/04/23(土) 21:15:43 | kit | #-[ 編集]
Re: こんばんは
kit様、コメントありがとうございました。

> 堅田の新聞記事、ありがとうございます。
> 堅田に住まいして、今年で30年。もっとも妻は、この地の産まれですので、この記事の全てについて記憶はなくとも断片だけはと思うのですが、記憶にないそうです。

もうご覧になっているかもしれませんが、堅田関係の以下のような記事もご覧頂ければ幸甚です。何か思い出されるかもしれません。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-211.html
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-288.html

> しからば、近所の商店主はどうか。
> コレも世代交代が進み、と言うより廃業も多く話になりません。
> 記憶のある方に頼ってみても、海津へ行くのは、京阪だけだった、とか、国鉄は、来ても乗せてくれなかったとか、よくわからない昔話です。

海津へ行くのは江若だけのはずです。京阪バスの社史、その他の資料を見ても海津行きはまずないと思われます。あったなら世紀の大発見(?)です。国鉄が乗せてもらえない、というのもどうかと思いますね。
証言というのも大事なんですが、ことバス関係はよほど興味があるひとや注意深いひとでないと覚えていないのが現実です。公営交通は役所らしくまあそれなりに資料が残っているのですが、民営は本当に資料が少なくて大変です。
でも、こんな思いもよらない励ましを頂いて、ありがたいです。またお気づきのことがありましたらお知らせ頂けると嬉しいです。宜しくお願い致します。
2016/04/23(土) 21:48:13 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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