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青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
25年前の今日、1993(平成5)年5月13日 まんたろう様が信楽高原鉄道に乗車された記録を写真撮影されていましたので、今回と次回はこれらをUPしたいと思います。

※現在、まんたろう様が撮影されたのと同じような場所、アングルで安全に撮影しようとしても不可能になっていたり、立入禁止になっていたリする可能性があります。事故やトラブルが起きても責任は負えません。あくまでも25年前なのだと思ってご覧下さい。

信楽高原鐵道は1987(昭和62)年7月13日、JR西日本から運行を引き継いだ第三セクター鉄道です。国鉄から直接引き継いだのではないということが意外でした。この年の4月1日に国鉄が分割民営化されているので、僅か3か月半の間だけJRの路線だった時代があるんですね。民営化された後、その年のうちに第三セクター化された路線は他に鳥取県の若桜鉄道などがあります。

↓起点は国鉄時代からの名残で今も貴生川駅ということになっています。

貴生川駅

もともとがJR(国鉄)だった関係でホーム、駅舎は共用しています。信楽高原鐵道といって避けて通れないのは1991(平成3)年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車事故で、この時から同鉄道とJRとはその責任問題で関係は良好と言えない状態でしたが、連絡乗車券は米原―大阪間、草津線内など一定の範囲内で信楽駅発着分のみ発売している他、ホーム上でのICOKA精算用の自動改札設置など、乗客に対する利便性は考慮されています。

線路は繋がっていますが、直通運転は中止されたままです。検査などはどうしているのかという気がしますが。

↓信号機は使用停止。今はどうなっているのか分かりませんが、全線で一閉塞なので、残されていたとしても使ってはいないことでしょう。

紫香楽宮跡-貴生川 信号機 使用停止中

駅は旧信楽町内にしかなく、本当に信楽町民の足です。貴生川を出ると9.6キロという本州ではなかなか珍しいのではないかと思うくらい長い距離走らないと次の紫香楽宮跡駅に着きません。駅を出るとすぐ田園風景で、あまり集客の見込めるようなところはないのでしょう↓

貴生川-紫香楽宮跡

向こうに見える高速道路のような防音壁、まさかこの時代に新名神なんてないはずだし、何だろう?と思ったらどうも「近江グリーンロード」のようです。

↓一番の難所の急こう配に差し掛かります。

急勾配 貴生川 紫香楽宮跡間

道路もそばを通っていますが、この山間部を越える勾配が信楽と水口方面を行き来する際のネックで、信楽線の廃止が取りざたされるたび、この辺りの冬期の凍結の問題が取り上げられ、凍結の影響を受けにくい信楽線が必要とされる大きな理由とされてきました。

↓運転席付近の造作 

紫香楽宮跡-貴生川 運転席

今はどうなっているのか分かりませんが、運賃箱や整理券発行機はバスのそれのようです。

↓車内掲示の運賃表

車内掲示運賃表

現在、信楽-貴生川間は450円になっています。

↓旧水口町と旧甲南町の境界線に沿うような位置、峠の真ん中辺りに小野谷信号所があります。

小野谷信号所 信楽方面

奥に写っている信号機に×が施されています。現在も信号機は残っているようですが、横向きにされているようです。

↓反対方向から見ると、新設した待避線側のバラストが新しいのが何とも生々しいです。

小野谷信号所

原因は複合的ですし、ここはそれを解説するブログではありませんので詳しくは他を当たって頂きたいですが、ここで交換するはずの列車が来ていなかったのにJR側の列車が発車してしまったということも、いくつか重なった不幸の1つでした。

峠を越えて信楽の街に入りかけるところ、ちょうど現在の新名神高速道路信楽インターチェンジの前辺りが、1991(平成3)年5月14日に発生した信楽高原鐵道衝突事故の現場です↓

衝突地点2

こんなカーブで反対から列車が来てもどうすることもできません。42名もの方が亡くなりました。

衝突地点

慰霊碑にはまだカバーがかかっています。確かめたわけではありませんが、もしかするとこの翌日がちょうど事故から2年目なので、その時に慰霊祭と除幕式が行われたのかもしれません。

慰霊碑には、「二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう、鉄道の安全を念願し建立されたものである」と、遺族一同、そして信楽高原鐵道株式会社と西日本旅客鉄道株式会社、つまりJRとが連名で刻んでいますが、この事故から14年経過する直前の2005(平成17)年4月25日、福知山線脱線事故が起きてしまいました。

今年も明日、事故の日が巡ってきます。27年目です。
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コメント
この記事へのコメント
あの事故の日
もうあの事故から25年なんですね。丁度あの日は、高校一年の授業中に先生から聞きました。そして家に帰ってみるとJRとSKRの車両がくのじに曲がっている映像を見てビックリしたのを覚えています。その日特別番組中怪我人のテロップで知り合いの名前が出て更にビックリしました。その方は、JR側の先頭車両に乗っておられて
衝突の際人の下敷きにならず骨折だけで
奇跡的に助かってます。でも退院後夜中に事故の瞬間がよみがえる(PTSD)で苦しんでおられました。あの当時の報道映像は、今では流せない血だらけにの亡くなっているだろう犠牲者の映像、そしてJRとSKRの先頭車両を引き剥がす時の映像にSKRの先頭車両で乗務中の三名の社員さんのボカシ無しの映像見たときは涙が止まりませんでした。
2018/05/13(日) 13:44:28 | 京阪バスが大好きな滋賀県人 | #EBUSheBA[ 編集]
Re: あの事故の日
京阪バスが大好きな滋賀県人様 コメントありがとうございました。
> もうあの事故から25年なんですね。

いいえ、27年経っています。まんたろう様は事故から2年経ってから撮影に行かれているので。

> 奇跡的に助かってます。でも退院後夜中に事故の瞬間がよみがえる(PTSD)で苦しんでおられました。

この当時はPTSDなど知られていなかったでしょうから、ご本人も何がどうなっているのか分からず苦しまれたことでしょうね。

この事故の遺族で元鉄道安全推進会議会長だった吉崎俊三氏も今月亡くなり、時代の流れを感じます。

2018/05/13(日) 19:07:22 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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