青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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国分団地 こくぶだんち
所在地:大津市国分二丁目
開設年月日:1968(昭和43)年10月18日(免許日) 営業開始日不明
付近:滋賀県バスケットボール協会 国分二丁目自治会館
キロ程:幻住庵から0.4キロ




終点、国分団地に着きました。
「団地」と言っても石山団地の公団(UR)や県営・市営住宅のような集合住宅は、個人が建てたアパートを除いて存在せず、一戸建てばかりの団地です。

国土地理院の公式HPから見ることができる1967(昭和42)年5月15日撮影の空中写真MKK673X-C8-10を見ると、現在のこのバス停からほぼ真南に下ろした直線から西側、つまり奥側にだけ家が建っていて、東半分は更地です。
これが、翌年の5月24日撮影のMKK682-C10-4になると、東側の更地だったところにも家が建てこみ、前年からあった家と合わせて100軒ほどになっていて、既にバスロータリーの原形のようなものもあります。

バスが開通するのは、その約5か月後なので、開発当初からここをロータリーとしてバスを乗入れさせるつもりだったのでしょう。

1966(昭和41)年11月16日付滋賀日日新聞には、「国分団地分譲受付」の記事が掲載されています。

石山国分団地は市が三十九年度から開発している分譲住宅団地で、すでに三十九年度十戸、四十年度二十戸の分譲を終わり、四十二年度には五十戸を計画している。
(中略)
木造かわらぶき、平屋建て、ガス、水道、フロ、ステンレス流し台、水洗便所付き



大津市の下水道普及率は1969(昭和44)年時点で何とたった7.6%!それ以前は0%なのに、どう水洗便所を作ったのでしょうか?浄化槽など、この当時既にあったのでしょうか?

新聞の写真に写っている団地は、今の私たちの目で見ると、仮設住宅のようにしか見えませんが、当時としては画期的だったのでしょう。

住宅の増加を反映し、この前年、1967(昭和42)年4月1日付でそれまでの「石山国分町」が現在の「国分一丁目」になり、住居表示制が施行されます。

↓南側の高台から見た、現在の国分団地。

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さすがに初期の分譲当時そのままの家というのはもうないでしょうか。

瀬田川支流の三田川沿いに形成された谷底に広がっていることが分かります。現在はこのアングルからは全く見えない、一部に残る田畑が、かつてはほぼ全体に広がっていたのでしょう。

るうパパ様が撮影されていた国分団地で折り返し待ちをするA‐1020号車 P-MK116J 

A-1020 

車両にあまり関心がない私ですが、エアロスターKと並んで好きな車両です。
狭隘路線用に開発されたこの車にとって、国分団地は最高の働き場所だったことでしょう。私の中では、国分団地と言えばこの車、この車と言えば国分団地です。

↓大津営業所管内で一番好きな終点です。そう滅多に行くわけではありませんが、特に、秋の昼下がりが好きです。

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↓大型は徐々にLED表示の新車が増えていったのに、中型車についてはエアロミディ以後、長らく大津生え抜き0、ガタガタのレインボーが使われていたので、レインボーⅡが初めて導入された時はかなり目立ったことでしょう。

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4月1日から、大津を含む4営業所でバスロケーションシステムが導入され、遂に始発時に発車時刻表示が現れるようになりました。大津は、導入の当日になってやっと車内にパンフレットが置かれるような有様で、碌にPRもありませんでした。大丈夫なのでしょうか?

それにしても、ロータリーの中央の木はきっと桜だろう、と期待して出掛けたのに、違うことが分かって、ショックを受けました。

↓ここは、バス停ポールの位置と、上屋の位置が大きくずれています。

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↓上屋の横には最近少なくなった電話ボックス。

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↓後ろから望む。

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上屋の方の木は見事な桜です。

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↓バスは車体が重たいのでサイドブレーキの掛け方が少しでも甘かったりすると、転動事故が起きやすいため、最近特に注意しているようです。

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↓国分団地の奥には、「へそ石」と呼ばれる石があります。

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藤原仲麻呂の建議によって造営されたと言われる「保良宮」(ほらのみや)の礎石と言われています。

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「大津のかんきょう宝箱」によると、願を掛けてからこの石を焼くと雨が降るという言い伝えがあるそうです。
竜門 【宇交石山線23】で書いた「びんずるさん」の話もそうですが、雨を待ち望む気持ちは、現代人とは比べ物にならないのでしょう。

↓へそ石は、当初開発された場所のほぼ西端に近い住宅街ですが、その更に奥の西の谷にも、住宅開発が進んでいます。

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もう1、2か所奥にバス停が設けられてもおかしくないくらいです。

↓更に奥、「大津のかんきょう宝箱」で「赤ずきん通り」と紹介されている道。

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童話の「赤ずきんちゃん」で、赤ずきんちゃんがオオカミに出会う森同様、薄暗いからこう呼ばれているようですが、地元で本当にどのくらい浸透しているのかは不明です。オオカミはいないと思いますが、本当に薄暗くて、これより奥にまだ民家があることを思うと、小さい子どもには危険な道のりに見えます。

↓バス停の西側を見てきましたが、南側、三田川にかかった橋の上から東側を眺めると、「良弁の足跡石」と呼ばれる、岩があります。

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私が訪れた時は水が少ない時期だったので、「大津のかんきょう宝箱」に出てくる写真ほど、水が岩を噛むような迫力のある水流ではありませんでしたが、川の規模と、周囲にあまり岩らしい岩がない環境のわりに立派過ぎる岩です。
「大津のかんきょう宝箱」によると、南郷の古代製鉄跡との関連が考えられ、金属を採取していた跡なのかもしれないと言われています。
尚、良弁とは奈良時代の僧で、東大寺の初代別当ですが、石山寺の開基にもかかわっていて、その良弁の「足跡」なのだとされていても、地理的になんら不自然はありませんね。

国分はもともと小さな農村だったのだと思いますが、歴史が古くて新興住宅街となった今も意外な発見があり、調べてみるとなかなか面白かったです。

バス停より奥の方が意外なほど広く、思っていたより住民が多そうですし、更にバス空白地帯の北大路中学校付近とも絡めて、もう少し路線を延長するとか、何か工夫をすると利用が伸びるのではないかと思います。

社員でも何でもない私が好き勝手なことを言うようですが、もう既にモータリゼーションがどうのこうのという問題を通り越して、日本全体として人口が減少し、世代構成が変わりつつあり、お客さんが来るのを待つのではなく、お客さんを探しに行かないといけないのではないかと考えています。

国分系統については今回で特集を終了します。
お読み頂きありがとうございました。

次回からは予告の通り、京都今津線に入ります。
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