青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
序章を除く、本格的な記事について、何から始めようかと思っていましたが、ちょうど折から、いつもお世話になっている「京阪グループバス交流広場」にて、瀬田の話題が出たので、そこから始めてみたいと思います。

この日の滋賀新聞(のちの滋賀日日新聞)によると、同日より浜大津-瀬田間で京阪バスの運行が始まります。記事に「國道二号線経由」とあるのは、今の国道一号線経由のこと。この当時の一号線は東京から伊勢神宮まででした。この年の12月には、二号線が一号線に改まります。
記事の「近鉄バス」はもちろん、近畿日本鉄道の「近鉄」ではなく、近江鉄道の「近鉄」。この前日、3月16日付の同紙によれば、守山-石山間の定期バス路線を浜大津まで延長するとのことであり、京阪バスと近江鉄道が、お互いのエリアに食い込みながら、熾烈な競争を展開する長い時代の幕開けともいえましょう。

戦後に発行された多数の京阪バスの観光パンフレットの一般路線図に「瀬田町」として記載され、大津周辺の京阪バス路線として、現在の路線網と最も大きく違っていて目立つ部分の一つですが、バス停の位置など、謎も多く、1回や2回では書き切れませんので、今後も継続的に取り上げようと思います。

昭和27年3月17日付滋賀新聞

昭和27年3月16日付滋賀新聞
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コメント
この記事へのコメント
瀬田番外編
木津川です。

瀬田の実地調査、興味深く読ませていただいています。
以前交流広場のほうで勘違いして書かせていたネタがあります。
昭和50年までの話です。神領団地の親戚をよく訪ねていたのですが、現近江バスの神領団地バス停の回転地において、近江バスのポールの反対側に、錆付いてぼろぼろになったバスポールが放置してありました。バス停名は「建部大社」です。
恥ずかしながら、私はてっきり昔京阪バスがここまできてたと勘違いしてました。間違いがわかった今、交流広場で取扱う話ではないのですが、あの「建部大社」のポールはどの会社のものだったのか
、かれこれ○十年気になってしかたがありません。

仮説1:近江鉄道が、「建部大社」から「神領団地」に改名した。
仮説2:帝産バスが、対応してここまで乗り入れたが、停留所名は    「建部大社」
仮説3:現在の「建部大社」バス停を取り替えた際に、古いポール      を近くに移動させてそのままになっていた

 仮説3は最近思いつきました。9月20日に兵庫県警交通安全運動 の催し物が、阪神バス西宮浜営業所であり訪ねたところ、なんと
 阪神バスとは関係のない、三宮~有馬温泉線の「箕谷」停留所(神姫、阪急、神鉄(当時)共同で神姫バスが管理している)のポー ルが置いてありました。 なんか「取りあえず置かせといて」と
 いったケースがありなのかなと、

 ああ瀬田は奥が深いですね。もちろん親戚の皆さんはバス停名な ぞ興味なく聞いてもわかりませんでした。
 






2010/12/19(日) 21:49:08 | 木津川 | #-[ 編集]
Re: 瀬田番外編
こんばんは、コメントありがとうございました。
確かに瀬田は奥が深くて、難しいですね。ブログを始めたばかりの時に、いきなりハードルの高いところに挑んでしまったなあと思っています。ご親戚にまでお尋ねになったり、いろいろして下さって、ありがとうございます。私も、現地調査や資料講読を進めて、何か分かったことがありましたら、取り上げて行きたいと思います。
2010/12/22(水) 00:50:25 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
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