青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

南郷近く來ると、あたりのさまが、石山を持つた丘陵よりも、ぐつと開けた丘陵で取卷かれてゐるのを私は發見した。いかにも靜かな、のんきな、落附いた心持を誘はれるやうなところであつた。やがて、その大きな南郷の洗堰―――これと淀の洗堰と大阪の閘門(こうもん)とで、この水を調整するやうに出來てゐる大きな洗堰を前にして、私逹の乘つて來た汽船は留つた。
私逹は岸に上つた。(田山花袋「南郷の洗堰」『京阪一日の行樂』P610 博文舘 1923)



まんたろう様がこの付近で宇治交通の写真を撮っていらっしゃいました。1989(平成元)年2月11日撮影です↓

H1.2.11 南郷洗堰‐南郷一丁目

この写真の右端にもちらっと写っていますが、南郷は観光船の乗り場でもありました。

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私が子どもの頃はまだ定期船があったようなうっすらした記憶があるのですが、現在定期船はなく、「南郷港」などという表現もめったに使われなくなりました。対岸の「“南郷港” 大津 ‐アクア琵琶」(大津の南郷港で、対岸の「アクア琵琶」に併設された「アクア琵琶南郷港」を除いた、つもりで)検索すると、たった20数件しかヒットせず、うち2件が私の記事でした。
時代により、南郷-外畑間の路線バスと組み合わせて定期船を利用するような観光ルートもあったようです。

ふとしたことで冒頭に引用した本を見つけ、作者が田山花袋(たやまかたい 1872-1930)となっていることに驚き、彼がこんな本を書くのだろうか?と半信半疑で手に取りました。この本が出版された年、大石自動車商会に南郷-螢谷間の免許が交付されました。
中高生の頃、彼の代表作『田舎教師』『蒲団』『重右衛門の最後』を夢中になって読んだのですが、実は紀行文の名手でもあるということを不覚にも知りませんでした。

当時そのままではないと思いますが、正にこの港で、花袋は南郷の土を踏んだのでしょうか?
一昨日、5月13日は奇しくも花袋の命日でした。

さて、前回、待合所の話で終わったのでしたね。

↓大石方面のポールと待合所

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これが実はなかなかすごいものだということを思いがけないところで発見した、という話でした。

琵琶湖博物館公式HP内の湖と人のくらし写真アルバムから「写真で見る生活史」→「自由検索」の順に進んだ上で、写真登録番号〔00025595〕を検索キーワードに入れて下さい。この待合所だということがはっきり分かる写真が掲載されていて、撮影時期は1972(昭和47)年とされています。
穴が開いているブロックの位置がぴったり同じであることがお分かり頂けると思います。

当時はまだ新しかったのだと思いますが、既に老成したような風格が漂っています。ただのブロック積みの待合所なのに、40年以上も前からこんなところにこうして在るなんて、感激と興味深さを通り越して、何だか不気味ですらあります。一体何を見てここで40年余りも過ごしてきたのでしょう?

ここから南に向かう客などどれほどいるのか、と思いますが、もともと今の南郷小学校が南郷中学校だったころ、南郷一丁目のバス停など影も形もないので、ここが南郷中学校の最寄りバス停とされていて、中学生の利用がかなりあったころの名残なのかと思っています。通学のため、「南郷洗堰行き」もあったということです。

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『南郷中学校 30年の歩み』(1981)によると、1971(昭和46)年8月9日にこのバス停が移転したことになっているのですが、どこからどこにどう移動したのかはよく分かりません。恐らくそのタイミングでこの待合所ができたのではないかと思われます。

かつての南郷中学校の建物の様子は国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内「B-MAP」及び「B-BOX」「瀬田川洗堰付近(琵琶湖工事事務所)の様子(資料番号A07013B00003)」などで見ることができます。この写真は1967(昭和42)年頃だそうです。この頃の中学2年生は今年還暦になるはずです。

この写真が懐かしいというひともいるんですね。私の世代だと南郷だということは洗堰で分かっても、どうしてもこれが実際にあった風景だと信じられません。

↓なお、その写真の本命の被写体である琵琶湖工事事務所の建物は、洗堰を渡って田上側にあります。これまた驚いたことに、当時とほとんど変わっていないようです。

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あまり意識したことがありませんでしたが、よく考えると滋賀大と並んで、大津市南部では珍しい国の機関であり、「住む町」であって働く場所が極端に少ない石山寺以南では貴重な、事務所らしい事務所です。あまり大口の利用は見込めないものの、長い歴史の中では多少の通勤利用者もいたかもしれません。

↓その向かいのアクア琵琶。

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洗堰の歴史を中心に、琵琶湖や瀬田川に関して展示を行っています。スコールのような大雨を体験できることでも有名です。記事を書いてしまってから無料だということを知りました。タダなら行っておけばよかった。

なお、B-BOX内の「昭和33年頃における瀬田川洗堰新設工事の様子(資料番号A04007B00001)」には、京阪バスだろうと思われるボンネットバスが写っている写真がある他、「昭和37年頃の旧瀬田川洗堰の様子(資料番号 A07131B00001)」、「昭和55年に撮影された瀬田川の航空写真(瀬田川洗堰付近)(資料番号 A07229B00010)」「瀬田川洗堰放水時の様子(資料番号A07009B00008)」など、興味深い写真が多数ありますので、ぜひご覧下さい。

↓洗堰を渡って瀬田川左岸、田上側には1966(昭和41)年滋賀県漁業協同組合連合会が作った「南郷水産センター」があります。

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「探偵ナイトスクープ」や「モヤモヤさまぁ~ず2」でも取り上げられた、閑散としているのになぜか潰れない「謎のパラダイス」で、「違う意味で怖ろしい」と評判だったまさかの「手動ジェットコースター」は惜しまれつつ(?)2008(平成20)年に撤去されたそうです。帝産バスのバス停が脇にあったのですが、数年前廃止されました。

5月5日は、大津市内のあちこちで祭が行われますが、南郷ではるうパパ様の写真の下の私が撮影した写真にも幟が写り込んでいる「鯉まつり」が行われます。学区全体規模で取り組まれていますが、特に南郷の旧集落を中心とした祭です。

↓私もまともに見たことがなかった鯉みこし。南郷の御霊神社境内で。

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↓普段はバス停すぐそばの祠の中にあります。

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昔、天皇が重い病にかかった時、目の下一尺三寸の生きた鯉を紫宸殿に供えて祈願すれば治るとの占いの結果を受け、全国で大きな鯉が探された結果、南郷でその条件を満たす鯉が網にかかり、早速帝に献上したところ、たちどころに病が平癒したという伝説に基づいています(『大津の伝説』P124 1987)。一尺三寸というと約40センチ、そんな鯉おるか!?と思うのですが、まあ、いたのでしょう。

↓UP日時点では季節外れですが、紅葉が美しい瀬田川沿いを南下します。

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次は、南郷(外畑・大石方面)/立木観音前(宇治川ライン線)
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