青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
膳所公園 ぜぜこうえん
所在地:(石山駅方面)大津市本丸町 (浜大津方面)大津市丸の内町
開設年月日:1967(昭和42)年頃?
付近:膳所城址公園 膳所市民センター(大津市役所膳所支所・大津市立膳所公民館) 大津警察署膳所交番
キロ程:丸ノ内町から0.4キロ
 



旧大津市内線の膳所神社前(時期により「膳所公園前」)の代替バス停と考えられるのがこの「膳所公園」バス停です。
旧大津市内線には「膳所」がつくバス停が多数ありましたが、現在は湖岸道路沿いではこの「膳所公園」だけ、国道を含めても「国道膳所」と合わせて2か所だけです。

「膳所公園」はもちろん、膳所城の跡です。

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膳所城の詳細は、私が下手くそな解説をつけるまでもなく、Wikipediaその他数多のサイトで書き尽くされているので、そちらを見て頂く方がいいかと思いますが、石鹿(せきろく)城という別名に関する逸話だけ紹介させて頂きます。

膳所城10代目藩主本多康慶(やすよし)の時代、膳所藩は6万石でしたが、10万石以上でなければ許されない外濠があり、また中大手門も10万石以上でなければ認められない四脚門となっていて、この旨、幕府に密告した者がありました。

幕府が現地調査のために巡検使を遣わしましたが、巡検使が到着するより前に、康慶は瀬田口総門から中大手門に通じる街道に大きな石を置いて、犬の血を塗った菰をかけておき、出迎えた家老に、
「今朝、山から鹿が城下に紛れて暴れましたので射殺しました。道が血で穢れておりますのでこちらから案内します」
と言わせて、南大手門から巡検使を入らせ、饗応して送り出したそうです。
外濠は、そもそも堀川だったので問題にはならなかったといいます。
これで鹿の代わりの石が城の危機を救った、として以後、膳所城を「石鹿城」と呼びならわすようになったといいます。
(膳所歴史資料室運営協議会編『膳所城』)

一般の人間が立ち入ることなど到底考えられなかったであろう城も、今は市民の憩いの場です。

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「ゆとり創造宣言都市」…聞いたことないなあ、そんな宣言。この碑(看板?)がもう少しきれいだと、背景の釣り人や、ボートと絶妙なバランスで絵になるなあと思いますが、この汚さだと、宣言ももう忘れられてしまっているのでしょうか。ゆとりも何も、肝心の市長が日付が変わるころまで働いているのですから。

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↓近くにある膳所市民センターは城郭をイメージしているようです。

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中には、膳所城に関する展示室もあります。

↓現在の石山駅方面のバス停

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↓同じく石山駅方面のバス停を石山向きに撮影

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石山駅方面のバス停は、1989(平成元)年まで今より南寄りにありました。住宅地図中にある消火栓との位置関係から考えて、この辺りではないかと思います↓

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ただ、この付近は湖岸道路自体が拡幅されており、もしかするともう車道になってしまっているかもしれません。また、工事に合わせて細かい移動が繰り返された可能性もありますが、私もそう滅多に通るところではないのでよく分かりません。

IMG_1327.jpg

1962(昭和37)年4月9日付読売新聞に掲載されていた膳所公園付近のびわ湖を撮影した写真↓

S37.4.9Y 京都今津線開通b2

モロコ釣りをする船の群れだそうです。今、こんな船、まずいないですね。モロコ、おいしいんですけど、獲れないですよね。

『機械』『春は馬車に乗って』で知られる横光利一(りいち)は随筆『琵琶湖』の中で、

青年時代に読んだ田山花袋の紀行文の中に、琵琶湖の色は年々歳々死んで行くやうに見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、といふやうなことが書いてあつたのを覚えてゐる。私はそれを読んで、さすが文人の眼は光つてゐると、その当時感服したことがあつた。今も琵琶湖の傍を汽車で通る度毎に、花袋の言葉を思ひ出して、一層その感を深くするのだが、私にもこの湖は見る度に、沼のやうにだんだん生色を無くしていくのを感じる。



などと書いています。彼はこの写真が出る15年ほど前に亡くなっていますから、少なくとも終戦直後の文章です。
これじゃあ田山や横光が今の湖を見たら「腐海」だなんて言い出しかねないことでしょう。

浜大津方面は次回別途取り上げます。
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コメント
この記事へのコメント
昔の停留所
いつもお世話になっております。
膳所公園前の交差点、昔は南行きの右折レーンがなかったため、交差点中心部に向かって幅員がふくらんでいませんでした。記事の通り、信号のすぐ近くに停車帯なしで設置されていました。

その後右折レーンが設置され(交差点から南側の歩道に道路拡幅跡が見られるかもしれません)、停留所は北へ移動して停車帯も設置されました。とはいっても現在の姿とは違って歩道は申し訳程度でしたが。

私も久しく湖岸道路を通っていませんが、北行きの場所はそのままのようですね。マクドナルドも石山駅前同様に健在のようで、懐かしく思いました。
2015/01/27(火) 23:15:09 | METEOR | #-[ 編集]
Re: 昔の停留所
METEOR様、久しぶりのコメントありがとうございます。

> 膳所公園前の交差点、昔は南行きの右折レーンがなかったため、交差点中心部に向かって幅員がふくらんでいませんでした。記事の通り、信号のすぐ近くに停車帯なしで設置されていました。

やっぱりそうでしたか。そう滅多に通るところではないので、もう完全に忘れてしまっていました。

> 私も久しく湖岸道路を通っていませんが、北行きの場所はそのままのようですね。マクドナルドも石山駅前同様に健在のようで、懐かしく思いました。

でも、マクドの最近の苦戦ぶりは、ひどいですね。「枝葉」を切り落とそうとしているのか、寺辺の平和堂の中の店も撤退しました。

今調べたら、2011(平成23)年時点で、全国で一番人口当たりのマクドナルド店舗数が多いのは何と滋賀県なのだそうです。
おっしゃっている石山駅前のマクドも、1981(昭和56)年頃、全国のマクドの数が現在の1割もなかった時代に開店した、実は歴史ある店舗です。
余談で失礼しました。
2015/01/29(木) 00:29:51 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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