青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
有楽座前 ゆうらくざまえ
所在地:大津市松本二丁目(旧甚七町)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:改称時期不明 帝国座前→有楽座前
      (「平野神社前」だった時期がある可能性あり)
付近:滋賀県立琵琶湖文化館 滋賀県警察本部 関西アーバン銀行びわこ営業部(旧びわこ銀行本店、旧滋賀相互銀行本店) 正徳寺 連合福祉会館 (現在ないもの)有楽座(旧帝国館)




松ヶ枝町を出たバスは、現在の湖岸道路経由のバスと同様、一旦琵琶湖の方向に向かいます。大津インターチェンジから市街に下りてくるこの道の、少なくとも前身となる道はこの当時既にあったようです。

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湖岸道路はまだありませんから、その手前、現在の「中央4丁目」交差点で右折します↓
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↓右折してすぐに左手に見えるマンション(パデシオン大津アクアテラス)が、有楽座の跡地のようです。

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有楽座とは1912(明治45)年に竣工した稲荷座という芝居小屋に始まり、1920(大正9)年に帝国座となり、映画館を始めるようになった劇場のことで、後に日活の直営になったと言います。映画館は他にもあったようですが、特にここはバス停名に採用されているところを見ると、歴史の古さや人気、知名度が他より勝っていたのかもしれません。

「稲荷新地」という花街だったので、そういうバス停名でも不思議ではなかっただろうと思います。

大津市歴史博物館公式サイト内の第17回 映画館・帝国館古写真についてというページで、この場所が取り上げられています。

建物の前にバス停があることにすぐ気が付きます。
「乗合 帝国館前 京阪バス」
と書かれています。写真自体は1938(昭和13)年からその翌年にかけて撮影されたものだろう、ということですが、これが有楽座の前身です。今回取り上げているところの「旧大津市内線」が走るより前に、もうここには既にバス路線があったということが分かります。
これについてはサイト本文中でも触れられています。

というか、石山外畑線が飛地のようになっていたわけではないので、循環運転が始まるのが戦後、ということであって、今の国道1号線が開通する前は、膳所を介して浜大津と石山外畑線がつながっていたのでしょう。

「京阪自動車株式会社」が正式社名のこの時代もすでに、利用者向けには「京阪バス」と案内されていたことがはっきりと分かります。社名が「京阪バス株式会社」になるのは、1972(昭和47)年と、ずいぶんあとのことです。

↓その写真と同じようなアングルで撮るとこうなります。

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浜町方面まで見通せます。

1966(昭和41)年版の弘報社版の住宅地図では、ここに「有楽バッティングセンター」があったことになっています。今、ネットで検索しても何もこれといったものがヒットしませんが、名前からしてここが有楽座の跡地で間違いないでしょうし、1962(昭和37)年の「京阪神市街地図集」に示されている「有楽座」の位置もほぼこの辺りです。

写真では有楽座の真ん前にバス停があることになっていますが、地図では少し石場寄りの四つ角にあったということになっています。
しかし現在この付近に四つ角らしい四つ角はなく、川沿いの、ほんの路地に過ぎず、きっちり相対しているわけではないここが、強いて言うなら「候補」です↓

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地図よりは昔の写真の方が説得力がある気もしますし、反面、有楽座が今のパデシオン大津アクアテラスの位置だとすると、交差点に近過ぎてバス停の位置としてはあまりよくないというのもまた確かかとも思われます。
もはや地元で長年住み続けている、最低でも55、56歳以上の方でないとどこにバス停があったのか、記憶がないことでしょう。

この辺りはもともと「甚七(じんしち)町」という町名で、今も自治会名に残っています↓

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↓この辺りは細かい路地が多く、先ほどの路地とは別に、有楽座跡の南側にあるこの路地はこんなに細くて短いのに、何と「御歯黒辻子」(おはぐろずし)という名前がついています。

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間に正徳寺というお寺がある、何の変哲もない路地です。なぜお歯黒なのか全く分かりませんが、どこの路地にも名前があって当たり前だったのかもしれません。今、そんな呼び方をするひとがどれほどいるでしょう。ネットで検索しても何も出てきませんでした。

通り抜けると中町通りです。振り返りました↓

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「パデシオン大津アクアテラス」が見えます。ということは、昔はここからこうして覗くと、帝国館(有楽座)が見えたのでしょう。

↓今度は北側に続く別の路地を覗き込むと、サビ猫。

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乳が大きかったので妊娠中か子育て中のメスだったのでしょう。そもそもサビ猫は、三毛猫がほぼすべてメスであるのと同様、必ずメスなのだそうです。
こういう街にはネコが似合います。

↓道が細すぎると、防火上の問題があるのは確かですが、こういう佇まいも味があります。

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↓さっきの交差点が遠くなってきて…

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踏切の音が近づくと、もう間もなく石場です。

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その前に少し寄り道をします。
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コメント
この記事へのコメント
はじめまして
こんにちは、はじめまして。
大津に関心を寄せる者の一人として書き込みさせていただきました。

この甚七町は(貼られておられる歴博のリンク先にもある通り)稲荷新地(または甚七町遊郭)として、一時期栄えていた様です。今現在でも美容院、寝具屋、仕出屋、酒屋、医院と、あらゆる店舗が脇を固めていますから、当時の名残が今なおひっそりと息づいているのでしょう。お歯黒の意図も、恐らくこの遊郭から来ているのではないでしょうか。

余談ですが、石場駅の脇・現在宗教施設が建っている場所にも、大きな建物が昔あったのですが、幼なかったゆえ、それが何か分からずいつも「旅館みたいな大きな建物だ」と眺めていた記憶があります。それも恐らく、甚七町遊郭の遺構だったと思うと少し残念に思ってしまいます。
2014/04/08(火) 15:51:49 | 古建築 好男 | #UbCtKfmc[ 編集]
Re: はじめまして
古建築 好男様、初めまして、コメントありがとうございます。
列挙されているお店の種類は、なるほど、と思わせるものがありますね。
御歯黒辻子の由来は何ともですね。稲荷新地として栄えた時代についた地名なのか、それより以前なのか、何ともよくわかりません。
郊外での生活が長く、旧市街のことはよく分かりませんので、また何かお気づきの点がありましたらご教示頂けると幸甚です。

2014/04/09(水) 00:15:01 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
このあたりから。
このあたりから先は、日常的な場所では全くなく近年になって「大津の町」に興味を持つようになって歩き始めた場所ですが、だからこそ、この先どこをどう走っていたのか、おおいに興味があります。

浜通を走るなら、川口町からそのまま直進しかくれば良かったのに、 やはり「浜大津駅」「大津駅」は通るべき中心地だったのだと、当然の事ですが 納得です。
2014/06/06(金) 22:21:30 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: このあたりから。
> 浜通を走るなら、川口町からそのまま直進しかくれば良かったのに、 やはり「浜大津駅」「大津駅」は通るべき中心地だったのだと、当然の事ですが 納得です。

それがまた、昭和39年の路線図を見ると、「境川町」「葭原」など、大津駅や浜大津に立ち寄っていたのだろうか?どう走っていたのだろうか?と思うようなところをバスが走っていたことが分かって、また謎なんです。
もうネットで検索してもほとんどそれらしいことがヒットしないし、調査の先が思いやられます。
2014/06/07(土) 22:20:05 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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