青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
s-IMG_1615.jpg

前回に続き、新浜です。

前回は石山駅方面のことばかりでしたので、大石小学校方面↓

IMG_5259_20130217213609.jpgIMG_5260_20130217213608.jpg

IMG_3548.jpg

向かいは田上(たなかみ)の太子(たいし)です。

この「新浜」というバス停名も一体なんなのかよく分からないネーミングです。毎日ここを通る京阪バスの運転手さんたちも、上の「石山南郷団地」の住民の方も、何がどう新浜なのか全く分からず、「バス停が新浜だから新浜」と思っていらっしゃるかもしれません。

私もいろいろ調べたのですが、小字でさえもありません。小字は法務局で公図を見ると「岡の平」になっています。単に、古くからの「通称」のようです。

ただ、何を調べても皆目見当もつかない大浜と決定的に違うことは、国土地理院発行の地形図の中に「新濱」という記載のある版があるということです↓

新浜

この「大正11年測図昭和28年資料修正」版が、「新濱」と書かれている最後の版で、これ以降の版には記載がありません。

国土地理院発行の地形図に書かれるということは、一応それなりに認知されていた地名だということでしょう。

この他、『大津市天ヶ瀬ダム水没地区調査報告書』(菅沼晃次郎編 1965)には、

薪や柴などはチユウシヨ車(荷車)で南郷の新浜の問屋まで運んで納めた。(菅沼晃次郎「生業の概要」P23)

(南郷の鯉神輿などの竹工芸で有名な清水風外は)石山南郷町新浜に和船をつないでそこを仕事場兼住居ともしていた。(宇野茂樹「文化財(2)」P6)



という記述があり、古くから用いられてきた通称であるらしいことが分かります。

↓岡の平の項でもUPさせて頂いた図ですが、近江学園の「裏坂」の末端は新浜のようです。

s-Scan0026.jpg

新浜バス停の北のこの辺りのことだと思われます。

sIMG_7490.jpg

↓そばの階段から見ると、右手奥の方に、2011(平成23)年9月20日付拙稿新浜にうどん屋さん?で取り上げた「輝良里(きらり)」が見えます。

IMG_7488.jpg

また、1950(昭和25)年、近江学園から分かれた「社会福祉法人椎の木会落穂寮(おちほりょう)」という施設も新浜にあり、1972(昭和47)年現在の「大津・宇治市街図」では、新浜バス停が「落穂寮前」となっています。↓

S47 大津・宇治市街図 近江学園前
(1972(昭和47)年9月 大津・宇治市街図より)

同施設は1970(昭和45)年に現在の湖南市に移転しましたが、同施設公式サイト内落穂寮のあゆみに、沿革や南郷にあった当時の写真が掲載されています。

↓地番を確認する限り、新浜バス停の南にある空き地、この辺りか、もう少し山手が「落穂寮」だったものと思われます。

IMG_3552_20130127111617.jpg

もともと料亭だったそうですが、今となっては信じられません。

同様に近江学園にルーツのある「一麦寮」も近くにあり、南郷は障害者福祉のメッカだったと言えましょう。これらの施設がもしそのまま存在していたら、南郷は関西でも屈指の福祉の実践と研究の一大センターとなっていたかもしれませんし、ひょっとすると路線バスの低床化がワンテンポ早く進んだり、実習や研修で訪れる人々の利用もかなり伸びるなど、何らかの影響があったかもしれません。

↓セブンイレブンが完成しました。

IMG_7261.jpg

地元住民の利用もないとは言えませんが、人口が少ないので、寧ろ通りかかる車が利用することを前提とした店でしょう。

南郷は今日も新しく何かが生まれています。

次は、蛙岩です。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
セブンイレブンの建物
こんばんは。いつもお世話になっております。
京阪バスとは関係ない話ですが、セブンイレブンがなぜ一般的な箱形ではなく三角屋根なのでしょうか。
少し調べてみましたが、バス停付近は「屋外広告物禁止地域」「南郷・瀬田丘陵地区丘陵地景観地域」「立木山風致地区」に指定されているので、いずれかが引っかかるのでしょうか。いや、考えすぎでしょうか。
京都市内では地味なコンビニが当たり前ですけどね。
2013/05/30(木) 21:36:41 | METEOR | #-[ 編集]
Re: セブンイレブンの建物
METEOR様、こちらこそいつもありがとうございます。

> 少し調べてみましたが、バス停付近は「屋外広告物禁止地域」「南郷・瀬田丘陵地区丘陵地景観地域」「立木山風致地区」に指定されているので、いずれかが引っかかるのでしょうか。いや、考えすぎでしょうか。

面白い情報、ありがとうございます。1番目はよく見かけますし、3番目も「岩間山」「園城寺」などの風致地区の杭をよく見るので分からなくはないのですが、2番目はすごいですね。大津市の都市計画図か何かで確認されたのでしょうか?
確かに、平屋根より工事費用はかかりそうで、わざわざという感じがしますから、何か意図があるのでしょうね。
…でも、どうなのかと思うような建物や雑草やゴミだらけの汚い空き地や河原も周囲にたくさんあると思うのですが。

最近、『街並みの美学』(芦原義信 1979 岩波書店)を読みましたが、日本人は家の内部の秩序を保つことには多大な注意を払ってきた反面、建築の外部には無関心だったと、述べられていました(P10)。土地の広さ、気候といった物理的条件はもとより、長年の間にしみついてしまった文化、思想からか、いくら景観に注意を払っているつもりでも、京都の一部や妻籠宿、橿原今井町など、特別に力を入れて保護されているようなところ以外、何とも野暮ったいですね。せいぜいおっしゃるようにコンビニを地味にする程度で、役所の自己満足じゃないのかと思ったりします。
2013/05/30(木) 22:30:31 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
追伸
今気づいたんですが、新浜の住宅地(石山南郷団地)は、南郷学区内では南郷三丁目や上千町などと並んで、都市計画法上の「用途地域」が無指定で、逆に市街化調整区域でもない、いわゆる「白地地域」なんですね。原則として容積率400%までOKなので、何とでもされてしまいそうで、でもそうならないのは農地法で土地の譲渡が簡単にはできないことや、他のいろいろな規制があるためなのでしょう。また、用途地域となっているところの方が優先的にインフラ整備が行われるとかそういうこともあるのかもしれません。

余談ですが、南郷バス停周辺だけは南郷学区では異例の「商業地域」となっていますが、これはこうしておかないと旅館の営業ができず、旅館の方が指定よりはるかに前からあるから、指定の方を地域の実態に合わせたのでしょう。
2013/05/30(木) 23:51:42 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
突然すいません。
開寮当時の落穂寮の関係者の親族です。
当時の事を、知りたくてこの記事に、たどり着きました。
知り得なかった情報、有り難く拝読いたしました。
ありがとうございます。
2014/02/22(土) 08:40:12 | 白雲洞 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
白雲洞様、初めまして、こちらこそありがとうございます。
逆に、私の方こそ落穂寮がここにあった当時のことをもっと知りたいくらいなので、昔を知っている方のこういうコメントが大変ありがたいです。
私は記事にUPしている地図を見て初めて、「新浜じゃないのか?落穂寮とはいったい何なのか?」と思って、初めて「落穂寮」の名前を知った次第です。
何かありましたら、今後とも宜しくお願い致します。
2014/02/22(土) 10:10:06 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/785-ee4eb162
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック