青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
久しぶりに、交通に関係のない記事です。記事内容の都合上、あまり画像もなく、随想的になりますので、ご興味のない方は申し訳ありませんが、また別の記事をお待ち下さい。

2月16日から3月15日まで約1か月にわたって、大津アレックスシネマで「滋賀ご当地映画祭」というちょっとしたイベントが開かれておりました。

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反射していて見にくいと思いますが、第1作目から順に、

『雨月物語』(溝口健二監督 1958 大映)
『幻の湖』(橋本忍監督 1982 東宝)
『青い山脈』(西川克己監督 1963 日活) 
『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』(山田洋次監督 1994 松竹)

の4作を1週ずつ交代で上映するという形です。
2作目の「幻の湖」が上映されているときは、どうしても都合が合わなくて行けなかったのですが、普段映画を見る習慣がない私としては珍しく、残り3作全てを見ました。前にもどこかで書いた気がしますが、昔の日本人が何を考えながら、どんな景色を見て、どんなふうに生きていたのか、ということに興味があったので、いい機会だと思ったのです。

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栄町の「東劇」(東洋映画劇場)が閉まった20数年前は、滋賀県ではまともな映画館がほとんどないような状態でしたが、その後アレックスシネマ大津やユナイテッドシネマ大津などの開館により、平成21年度現在で人口当たりスクリーン数は全国9位となっています。

第1作『雨月物語』はもちろん、上田秋成のあの『雨月物語』を題材にしています。

筋はほぐせば決して難しいものではありません。今の朽木を治め、織田信長に滅ぼされた朽木氏の最後の生き残り…のはずだった「若狭」という娘の死霊との恋に溺れて、命は助かったものの自分が恋に溺れている間に妻を殺されてしまう湖北の陶工・源十郎と、戦国の世でとにかく武士になりさえすれば出世できると安易に考えて、結果的に妻が遊女とならざるを得なくなった、その義理の弟・藤兵衛の、欲に溺れる浅はかさと世の無常を描いています。もちろん、その陰で犠牲となる女の人生の物語でもあります。

基本的人権もかもくそもない世の中の恐ろしさの中でも、いやそんな中だからこそ、どうやったら生き抜けるのか考えるというのも、一つの自己保存の欲求であって、それ自体は否定されなくてもよいと思うのですが、その方向を誤ると、とんでもないことになります。あまり教訓めいた話のように見てしまうと面白くないですが、いつ何が起きて命を失うか分からないという緊張感が常に画面から伝わってきて、こちらも思っていたよりずっと集中して見てしまいました。

京マチ子(1924-)の「若狭」という姫は、美しいというより、気持ち悪かった(死霊であるという怪しさではなく、今の目で見ると、化粧が「バカ殿」ならぬ「バカ姫」のように見える)のですが、それが逆に、今なら変に今風の美人に仕立ててしまうところを、ちゃんと当時の貴族女性として描いているリアルさもよかったです。

モノクロなのにカラーなのではないかと思うくらい美しい映像で、特に一家総出で琵琶湖を渡る場面など、どう撮影したのだろう、と不思議なくらい神秘的で迫力がありました。

最後に残された源十郎の一人息子の幼子が、母親の墓に手を合わせる姿に泣かされます。

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第3作『青い山脈』

私は、『青い山脈』というと藤山一郎(1911-1993)の歌しか知らず、そもそも石坂洋次郎の小説であり、それを基にした映画で、それらがあって初めて映画の主題歌としての『青い山脈』があるということを知りました。
…いや、私の世代だと歌の『青い山脈』も、分からない方が普通なんでしょうね。

因みに、もともと東北を舞台としている小説ですが、作曲は、服部良一(1907-1993)(『自由の大地』で有名な服部克久の父)で、阪急電車に乗っている時に北摂の山並みを見て思いついたということです。作詞は何と『赤い鳥』に多くの童謡を寄せて中心的な役割を果たした、私たちの世代から見るともはや歴史上の人物である西條八十(1892-1970)です。

あらすじは一言でなかなか説明しにくいのですが、恋愛問題から転校せざるを得なくなったと噂される吉永小百合演じる寺沢新子に対する、松山浅子をはじめとするクラスメイトのいたずらや、これに対する担任・島崎雪子の断固たる対応、更に追い打ちをかけるような、新子がどこかの男とキスをしていたという噂で、クラスのみならず学校中が揺れ動き、やがて校長と、癒着したPTA総会まで巻き込む大騒ぎに発展します。

歌と、ハイライトシーンはこちらから↓



「父も母も、むやみに知らない男性と話したりしてはいけないと言っています」
なんて素朴なことを当然のように言っている女子高生、この時代ってこんなものなんでしょうか?今の女子高生に聞かせたい、と嘆息する親御さんもいるかもしれません。

学期初めの健康診断の時以外、普通顔なんて見せない校医がなんでこんなにしょっちゅう学校に深く出入りしているのかとか、いろいろ今の目で見ると不思議な部分もありますし、最後の新子と浅子の仲直りはじめ、全体に青臭い茶番のようで、落ち着かなく思われました。反面、正に、『青い山脈』の歌詞通り「古い上着よさようなら」して、どのように新しい日本に脱皮していくのか、ということを、男女交際の問題を通して分かりやすく描いています。

この映画について男女交際の問題を描く、と書いている説明が多いですが、私はそうではないと思います。それを通して、戦後の日本を描いているのでしょう。

戦後の日本の歴史年表の中にも楔(くさび)のように深く刺さる戦前の家父長制社会(ひいては天皇を中心とする大日本帝国の社会)と西欧近代主義的民主的な社会(GHQが戦略的に導入した?)、そして、男と女、都市と地方といった二元的構図の中で、時代を変えようとする日本人と変化について行けない、或いは変化させるまいとする日本人の姿を活写している点が興味深いです。

先述の通り、もともと東北地方の話ですが、今回公開された1963(昭和38)年版は、3月16日付拙稿熊野神社前【京都比叡平線開通30周年記念特集21-1】で取り上げた三島由紀夫の『絹と明察』のモチーフとなった「近江絹糸労働争議事件」(1954)の舞台である彦根で、その事件の約10年後に撮影されているというのが大変象徴的です。

保守的な古い城下町で、金儲け主義の権化のようなPTA会長・赤牛こと井口甚蔵を、「生意気なインテリ女教師」と陰口を叩かれる雪子が、結果的には間接的ながらやり込める痛快さ。

「学校の名誉のためとか、母校を愛する熱情とか言いましたが、そういう立派な名目で他人を圧迫することが、本当に学校を愛する精神なのかしら」
という雪子のセリフは、戦前の社会を象徴しているのでしょう。

でも、井口の「行き過ぎた民主化」ということばも、何か聞き捨てならないものを感じさせます。『絹と明察』の駒沢社長の言うことの方がもっと極端ですが、それを思い出させます。

「かれらも亦(また)、かれらなりの報いを受けている。今かれらは、克ち得た幸福に雀躍(こおどり)しているけれど、やがてそれが贋もののほうせきであることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で考えるなどという怖ろしい負荷を駒沢が代りに負ってやっていたのに、今度はかれらが肩に担わねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に生きてゆかなければならない。(中略)再び人間全部の家長が必要になるだろう」(P283-285)



今の日本、政治も経済も社会も文化も、どこかに迷走していってはいないかと、心の奥底で不安を抱えるひとも少なくないことでしょう。これは「行き過ぎた民主化」のせいで、やはり駒沢社長が60年前に言った通りの世の中になってきているということなのでしょうか?彼が言うように、「再び人間全部の家長が必要になる」のでしょうか?しかしやはりそれは民主化が行き過ぎたというより、そもそも日本の民主主義が「勝ち取った民主主義でない」というところが大きいのか、とも思われます。

堅い話が続きましたが、キャストについて、私は最初、島崎先生が吉永小百合だと思って、やっぱりきれいだなあ、とため息ついて感心していました。ところが、先生役は芦川いづみなんだそうですね。名前は聞いたことがあるようなないような。今でいうと綾瀬はるかが近い顔かもしれないけど、もっと理知的です。本当にきれい、大好きです。この先生に英語を教わったら、きっともっと英語ができたと思う(???)。

吉永小百合は、この映画では新子役で、目がきつく見えてそんなにきれいに感じられませんでした。家庭科教員役の北林谷栄は、影が薄いのですが最後の最後に重要な役どころがあり、家庭科の先生だな、という雰囲気たっぷりで上品に理知的に話しますが、その前年には「おとぼけばあさん くみ」役で『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』なんていう映画に出演しているそうです。見てみたいです。どっちかというとそういう系統の方がよくある役みたいです。

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ちょうどびわ湖開きの日に、第4作、『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』を見に行きました。

私は去年、この作品のことなど何も知らずに、遠方から来た友人と一緒に琵琶湖を一周する道すがら、この作品の主要なロケ地の1つ、琵琶湖の北の岬の突端にある菅浦(すがうら)に行きました。ここは島ではなく陸続きであるにもかかわらず、1971(昭和46)年の奥琵琶湖パークウェイ開通まで陸路で行く方法がなく、交通手段は船だけという驚くべき土地でした。



残念な写真ですが、俯瞰した写真はこれしかないので。

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ここは(住んでいる方に迷惑なら申し訳ないですが)、悲しい恋や、さびしい心がよく似合うところだという気がしました。遠藤周作が、芝木好子の『群青の湖』の舞台となったこの付近の冬の琵琶湖を絶賛していて、ぼくも真冬の、普通ならだれも行かないような季節に、売れない作家かカメラマンか何かのような顔をして、ひとりで菅浦に泊まって、退屈してみたいような気分になりました。
「退屈」―――久しく、「退屈」なんてしていないなあ。「退屈」を悪いことと思いすぎるんですね。

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到頭どこに書かれていたことばだったか見つけられなかったのですが、曽野綾子が、「男はつらいよ」のシリーズの映画を見て、
「これは家族にこういうひとがいたらどれほど大変かということが分からないひとが作った映画だ」
というようなことを書いて批判していました。ちょっと厳しすぎる気もしますが、一理あるでしょう。
寅さんは暴力を振るったり、ひとのお金を使い込んだりしている様子はありませんが、家族親戚にああいうひとがいると、いつ警察の厄介になったり、のたれ死んだりしないかと不安にはなることでしょう。たびたび起きる騒ぎも、はたで見ていたら笑えるけれど、本当にあの場にいたら大変でしょう。

それでも日本人の多くがこのシリーズの映画に対して並々ならぬ魅力を覚えて、40年ほども毎年のように見続けてきたのはなぜなのでしょうか?

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↑何も意識せずに撮影しましたが、映画の中では、この店でかたせ梨乃演じるマドンナ・宮典子がサンドイッチと牛乳を買います。店の名前そのままではっきり映っていました。

私なんかよりずっと映画好きのひとが、もう既に書き尽くしていて、まともに「男がつらいよ」を見たのが初めての私が言うことなんて、滑稽かもしれませんが…。

現代の日本社会で普通とされている生き方のレール―――いい学校を出て、就職して真面目に勤めて、結婚して子どもを育てて―――の上に載って、でもそれだけで飽き足らない男のアドレナリンみたいなものが、ああいう自由な人生を見ていると出てくるのでしょうか。自分には無理だけど、でも寅さんが映画の中でやってくれている、という「同一化」というのか。

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↑撮影の都合で位置は変えられたようですが、バス停もはっきり映っていました。当時は「近江バス」のポールでした。現在のダイヤでは永原駅経由の木ノ本駅行きという、結構な長距離路線が1日6本、この環境からすれば、意外と本数がある、と思うべきか…。

あと、単純ですが、日本人が失いつつある、家族やご近所の濃密な共同体関係に対する郷愁もあるのかもしれません。暑苦しくて、疲れるけれど、懐かしい。
寅さんはそこから離れてしまって、結局一匹狼で、たまに帰ってきても受け入れる側も、寅さんの側も何となく落ち着かなくてまた離れてしまう。そこが現代の日本人を象徴しているような気さえしてきます。帰りたいけれど、帰れない。その居心地の悪さを、正に主題歌の通り「顔で笑って 腹で泣く」姿を、見ているひとは自分に重ね合わせるのでしょうか。

めったに聴くことのない「男はつらいよ」の4番の歌詞は、こんなふうなのだそうです。

あても無いのにあるよな素振り
 それじゃあ行くぜと風の中
止めに来るかとあと振り返りゃ
 誰も来ないで汽車が来る
男の人生一人旅 泣くな嘆くな
泣くな嘆くな影法師 影法師


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コメント
この記事へのコメント
四作とも見ました。
御無沙汰しています。
私も映画を見る習慣など全くないのに、「ご当地映画祭」は通いました。
四作とも見られるかどうか微妙でしたが、頑張って時間を作りました。
それぞれブログ記事にしていますが、しっかりとした洞察力がないので喜撰猿丸さんのように書けてはいません。。。

雨月物語の琵琶湖を舟で渡るシーンは本当に神秘的でしたし、ドキドキしてしまいました。四作の中で一番古く、モノクロだったのに一番印象に残った作品です。

「幻の湖」は 雄琴が主な舞台で ソープ全盛期の頃 あの奥の琵琶湖岸はあんなに自然があったんだなぁ。。と 驚きました。
空撮も多く、大津市内なのでなかなか興味深く、背景を見ていました。
1982年というと、つい最近のようでありながらも、変化の著しい30年だったので小道具等も懐かしく思いました。。

 また暫らく、映画館へ行く事はなさそうな私です。
2013/03/29(金) 20:55:34 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 四作とも見ました。
yume様、こちらこそお久しぶりです。

> 私も映画を見る習慣など全くないのに、「ご当地映画祭」は通いました。
> 四作とも見られるかどうか微妙でしたが、頑張って時間を作りました。

どの日も10:00からの1回きりなので、確かに意外に見に行くのが大変でした。

> 「幻の湖」は 雄琴が主な舞台で ソープ全盛期の頃 あの奥の琵琶湖岸はあんなに自然があったんだなぁ。。と 驚きました。
> 空撮も多く、大津市内なのでなかなか興味深く、背景を見ていました。

そうでしたか。見られなくて残念です。

> 1982年というと、つい最近のようでありながらも、変化の著しい30年だったので小道具等も懐かしく思いました。。

今の生活にあるものの基本はもうできているはずで、1952年からの1982年までの30年の方が変化は大きい気もしますが、でも、ファッション、家電製品のデザインなど、その当時は最新で、これ以上変化のしようがないと思っていたものも、今の目で見ると、「昭和」「1980年代」の雰囲気たっぷりですね。

ところで、全然違うことですが、前にyume様が2月16日付拙稿「座れない補助席」http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-464.htmlに寄せて下さった「補助席」に関することで、今朝B-3246号車に乗ったら、補助席に「補助いす使用できません」というシールが張られているのを見つけました。前はこんなのなかったと思います。土曜ダイヤの新浜8:07発、9:18発の南中経由石山駅行きは、特に事情がなければほぼB-3245号車か3246号車のどちらかが使用されていますので、何でしたら一度ご覧下さい。
2013/03/30(土) 21:36:43 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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