青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
石山小学校前 いしやましょうがっこうまえ
所在地:大津市石山寺三丁目
開設年月日:(京阪バス)?
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:大津市立石山小学校 石山市民体育館
 



ここから、2011(平成22)年12月、ICカード導入時に新たに設定された「南郷地区」の区間に入りますが、それ以前から、これより南「蛙岩」までが新たな特殊区間制1区でした。

下の写真のバックにも写っている、京滋バイパスがすぐ北側を通っています。長い間、石山学区住民が、学校の環境が悪くなる、騒音がひどくなる、と、バイパス建設に反対し続けてきました。

IMG_5988_20130414183034.jpg

起工式の実施を伝える1984(昭和59)年6月7日付毎日新聞滋賀版によると、何とこの時点で既にルート策定から12年半も経っているということでした。昭和47年頃には既に計画があったことに驚かされます。

当時の山田豊三郎市長は、
市南部山岳地域の発展など大きな期待がかけられる。早期完成を願っている」
とコメントしたそうですが…、「南部山岳地域」!?南郷や大石は「山岳地域」なんですね。私は山岳に住んでいるんだ…。

↓大浜に続き、ケンジ様が提供して下さった、石山小学校前の南行きのバス停と思われる写真。バス通学らしい子どもが写っています。赤い点は、大浜の時と同様、カビ汚れの跡ということです。

s石山小学校前S48~49 1

最初、ブロック積みの待合所が南郷洗堰の待合所にそっくりだと思い、洗堰ではないか?と思いましたが、看板に「下流一八〇〇メートルの所にある瀬田川洗堰」と書かれていることから、石山小学校であることが分かりました。

40年ほど前のこの看板が、多少の修正が施され、何と現役なのです↓
これには舌を巻きました。こんなもの雨風ですぐにダメになるだろうと思うのに、よくもったものです。

IMG_5997.jpg

今は、河岸が遊歩道として整備されたからか、道路の方でなく、川の方を向いています。

木の枝ぶりが似ているので、やはり場所はここなのかと思います。

IMG_6312.jpg

ケンジ様の写真では、瀬田川の向こうの瀬田丘陵の稜線の更に後ろに、太神山の稜線も見えますが、今は見えないので、現在の写真を撮る時に困ったのですが、瀬田丘陵の木が成長しているのかと思われます。また、車道に出て撮影するわけにはいかないので、道路の拡幅で、この当時と完全に同じアングルにすることができないということはご了承願います。

敷地の外から撮影してもこの程度しか写らないのですが、石山小学校と言えば何と言ってもこの特徴的な六角形の校舎です。もっと鮮明な絵をご覧になりたい方は、学校の公式HPをご覧下さい。

IMG_6040.jpg

中に入ったことがないので、中でどんな感じなのかは想像ができません。

バス停名は「石山小学校前」ですが、バス停のそばにある門はあくまでも通用口です。

IMG_6027.jpg

正門は「石山幼稚園前」のバス停に近い西側の門で、住宅街が川沿いより奥側にあることもあってか、子どもが出入りしているのはほとんどそちらの方です。

1979(昭和54)年の南郷小学校開校までは、現在「南郷学区」とされている、千町、南郷、赤尾町なども石山学区の一部で、遠く、外畑や内畑の子どももここまでバス通学していました。

1965(昭和40)年5月15日付滋賀日日新聞では、瀬田川沿いの観光開発を進めるため、小学校を今の滋賀大付近に移転する計画が掲載されていました。今の感覚では分かりにくいのですが、この当時の石山や南郷というのは「観光地」「行楽地」として認識されていました。結局移転は実現しなかったようですが、本当に滋賀大のそばに移転していたら、その後の学区割にも影響していたかもしれません。

↓南行きのバス停

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↓この南の「石山寺三丁目東」という辛気臭い名前の交差点で、石山団地行きと南郷中学校系統が右折して分かれます。

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昔は、ここを流れる瀬田川の支流の名前を取って「多羅川」交差点だったのだからそれでいいのに、最近、大津市内では「何とかやら何丁目東」だの「西」だの、歴史も文化も踏み潰した、わざわざ市民や観光客に分かりにくく煙に巻いたりするような交差点名に挿げ替えられているのが実に不愉快です。

この交差点にはまた信号機設置にまつわる興味深いエピソードがあります。

1977(昭和52)年12月1日付滋賀日日新聞↓

県道大津・上野線(引用者注・現国道422号線)と同千町・石山線が交わる三差路。千町・石山寺辺線の東側(引用者注・「北側」の誤りと思われる)には多羅川を挟んで県内一のマンモス校・石山校(千八百二十人)があり、同校の東通用門が大津・上野線に面している。同校のバス通学児童約三百六十人が同通用門の向かいにある京阪の石山前バス停(原文ママ)を利用しているが、一日の交通量が約一万三千台もあり、同校のPTAや石山学区の住民から「子供たちの安全を守って」との要求が出され、大津署も三年前に交通安全施設整備事業の候補地にあげていた。



こんなところで信号がないんだったら、そりゃ他の交差点でも信号なんてないわけですね。

それなら信号を早く設置すればいいのですが、そうは単純にいかない事情があって、まず、私の写真にも写りこんでいる高圧線はこの当時もう既にあって、一般的な高さの信号柱は設置できないことになっていました。また、橋の上に信号を設置するには強度に問題があるということでした。そしてバス停も邪魔になっているということでした。結局、

①送電線の下に歩行者用だけの低い信号機を設ける②京阪バス停を約三十メートル北寄りに移し、車両用信号機をそのあとに設置する――などの点で合意に達した。京阪バス側もバス停を移すことに協力の姿勢を見せており、瀬田川の河川敷を拡幅して新しいテント型式のバス停を作る考え。



(傍線筆者)

という形で落ち着きそうだということです。

思いがけない発見でした。

今でも、ここでバスが右折するにはかなり厳しい位置だな、と思っていましたが、もともとは交差点のほとんど真下だったんですね。ただ、ケンジ様の写真では真下のようには見えません。
ここは道路の拡幅で、昔の様子とかなり変わっていて、私も昔のことを思い出すのが難しいので、完全に位置を特定するのは困難です。

それにしてもバス通学の子どもが360人?外畑や内畑以外に、石山団地などもバス通学だったとしか思えないすごい数字ですね。ここでバスを「待つ」というと石山駅行き側の方が断然多いのに、南行きのバス停の方にだけ上屋があるのは、この当時のバス通学の名残でしょうか?

↓河川敷から

IMG_5995.jpg

南行きの話題ばかりだったので、北行きも↓

IMG_5985_20130414183300.jpg

私も知らなかったのですが、バス停のすぐ南に大津市民憲章が掲げられています。

桜がちょうどきれいな時期でした。

IMG_5986.jpg

このバス停は京滋バイパスの側道の歩道から俯瞰するのも面白いです↓

IMG_6025.jpg

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ケンジ様、貴重なお写真ありがとうございました。

次は、滋賀大前(南郷・大石方面)/石山幼稚園前(石山団地・南郷中学校方面)
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