拙ブログで何度か触れておりました、琵琶湖河川事務所の公式サイト内「B-BOX」に所収されております写真をUPする許可を頂きましたので、文中で触れた約20枚を紹介させて頂きたいと思います。
南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】で私が言及したのはこの写真です。
「瀬田川洗堰竣工時の周辺の様子(A04009B00001)」より
![A04009B00001C00004[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331122fd.jpg)
圧縮その他の加工は何もしていないのですが、残念ながらこれ以上大きくならないので、もっと大きいサイズでご覧になりたい方は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内B-BOXをご覧下さい。他の写真についても、一部を除いてサイズは大きくなりませんのでご了承願います。
なお、立て看板の内容は、南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】でも書きましたように、道路橋ではないから工事関係車両以外は原則通行禁止、やむを得ず通る時は最徐行、荷重は7トンまでなどという内容です。
↓浜大津行きがやってきました。
![A04009B00001C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331113e2.jpg)
南郷洗堰 【石山外畑線・宇交石山線13‐2】で私が言及したのは以下の写真です。
南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】で私が言及したのはこの写真です。
「瀬田川洗堰竣工時の周辺の様子(A04009B00001)」より
![A04009B00001C00004[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331122fd.jpg)
圧縮その他の加工は何もしていないのですが、残念ながらこれ以上大きくならないので、もっと大きいサイズでご覧になりたい方は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内B-BOXをご覧下さい。他の写真についても、一部を除いてサイズは大きくなりませんのでご了承願います。
なお、立て看板の内容は、南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】でも書きましたように、道路橋ではないから工事関係車両以外は原則通行禁止、やむを得ず通る時は最徐行、荷重は7トンまでなどという内容です。
↓浜大津行きがやってきました。
![A04009B00001C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331113e2.jpg)
南郷洗堰 【石山外畑線・宇交石山線13‐2】で私が言及したのは以下の写真です。

「瀬田川洗堰付近(琵琶湖工事事務所)の様子(A07013B00003)」より↓
↓1967(昭和42)年頃の旧大津市立南郷中学校。
![A07013B00003C00074[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232652239.jpg)
現在の南郷グリーンハイツからの眺めであることは、南郷に住んでいれば誰にでも分かるアングルなのですが、GH内を歩いても、このように見える場所はありませんでした。強いて言うなら、GHでも疏水にいちばん近いブロックの家の2階から撮影すると、このように見えるのかもしれませんが、もう少し標高が高い位置のようにも思われます。この辺りは宅地造成で地形が大きく変わってしまったので、このアングルでの定点撮影はもはや不可能かもしれません。
![A07013B00003C00080[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062022500060d.jpg)
↓下流から見た琵琶湖河川事務所(当時は「琵琶湖工事事務所」)です。
![A07013B00003C00082[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306202250020a7.jpg)
![A07013B00003C00077[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212326501f3.jpg)
↓現在もこのスペースがあるのでイメージしやすいと思います。
![A07013B00003C00075[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620224935c23.jpg)
こちらは昭和33年頃における瀬田川洗堰新設工事の様子(A04007B00001)から。
↓ボンネットバスが走っています。石山駅行きでしょうか?浜大津行きでしょうか?
![A04007B00001C00008[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620225005f2f.jpg)
![A04007B00001C00004[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232654aed.jpg)
![A04007B00001C00010[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232803157.jpg)
昭和37年頃の旧瀬田川洗堰の様子(A07131B00001)↓
![A07131B00001C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232805b41.jpg)
![A07131B00001C00001[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232804209.jpg)
昭和55年に撮影された瀬田川の航空写真(瀬田川洗堰付近)(A07229B00010)↓
![A07229B00010C00001[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212328083f3.jpg)
南郷小学校が開校した翌年ですが、まだ中学校の旧校舎らしいものが残っていて、現在の校舎が完全にできていたわけではないようです。更に驚くべきは、その北の南郷プラザはできているのに、今の南郷グリーンハイツのメインストリート、つまり南郷中学校系統のバスが通っている道は未完成らしいことです。まだグリーンハイツは造成中です。
瀬田川洗堰放水時の様子(A07009B00008)↓
![A07009B00008C00117[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306231424009b3.jpg)
![A07009B00008C00116[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062314235884b.jpg)
![A07009B00008C00129[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062123311631a.jpg)
年代不明とのことですが、現在南郷グリーンハイツになっているものと思われる丘陵が禿げ上がった状態で、開発前の様子で、写真はカラーなので昭和45年前後の可能性が高いと思います。
ただ、いやにその丘が近く見えて仕方ありません。間に旧南郷中学校と疎水が挟まっているはずなのですが。
↓H25.6現在

↓こちらは洗堰の上流側。
![sA07009B00008C00121[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621233151910.jpg)
↓H25.6現在。田上側の旧洗堰付近から、ほぼ同じアングルで撮影できます。

こうして見ると、もう少し北寄りから、首を左に振った方が良かったかもしれませんが、様子がいかに変わったかよく分かります。古い方の写真で、袴腰山の中腹が禿げたようになっているところが、数年前の南郷上山町とそっくりですが、これが今の晴嵐台(南郷四丁目)だということが分かります。
![A07009B00008C00166[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621233119d4c.jpg)
↓この信号機は、洗堰への進入を整理する信号なのでしょう。片側通行だったようですね。
![A07009B00008C00118[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331139d6.jpg)
↓H25.6現在。琵琶湖河川事務所の前あたりで撮影しました。

立木観音前【石山外畑線・宇交石山線18】で言及したのは以下の写真です。
「昭和59年の瀬田川の様子 その3(A07132B00003)」より
![A07132B00003C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212328090e9.jpg)
小さいですが、ブルドッグらしい姿が、大石方面に走り去っていくのが見えます。駐車場がだいぶ広がった感じがしますが、基本的な光景は変わっていません。
鹿跳橋【石山外畑線・宇交石山線19】で言及したのは以下の写真です。
増水時の瀬田川鹿跳橋付近の様子(資料番号A07009B00012)より
![A07009B00012C00221[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306202249369a6.jpg)
![A07009B00012C00219[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620224935b97.jpg)
上が平常時、下が増水時の写真です。下の写真は何だか恐ろしい感じがしますね。1964(昭和39)年、天ケ瀬ダム建設をきっかけに今ある橋にかけなおされる前の姿です。
以上「H25.6現在」と記している3枚を除く、計22枚全て国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所提供です。
なお今回の掲載は、本ブログをお読み頂いた琵琶湖河川レンジャーの方にご協力のお申し出を頂き、実現致しました。末筆ながら御礼申し上げます。ありがとうございました。
もっとご覧になりたい方は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内B-BOXをご覧下さい。
↓1967(昭和42)年頃の旧大津市立南郷中学校。
![A07013B00003C00074[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232652239.jpg)
現在の南郷グリーンハイツからの眺めであることは、南郷に住んでいれば誰にでも分かるアングルなのですが、GH内を歩いても、このように見える場所はありませんでした。強いて言うなら、GHでも疏水にいちばん近いブロックの家の2階から撮影すると、このように見えるのかもしれませんが、もう少し標高が高い位置のようにも思われます。この辺りは宅地造成で地形が大きく変わってしまったので、このアングルでの定点撮影はもはや不可能かもしれません。
![A07013B00003C00080[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062022500060d.jpg)
↓下流から見た琵琶湖河川事務所(当時は「琵琶湖工事事務所」)です。
![A07013B00003C00082[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306202250020a7.jpg)
![A07013B00003C00077[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212326501f3.jpg)
↓現在もこのスペースがあるのでイメージしやすいと思います。
![A07013B00003C00075[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620224935c23.jpg)
こちらは昭和33年頃における瀬田川洗堰新設工事の様子(A04007B00001)から。
↓ボンネットバスが走っています。石山駅行きでしょうか?浜大津行きでしょうか?
![A04007B00001C00008[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620225005f2f.jpg)
![A04007B00001C00004[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232654aed.jpg)
![A04007B00001C00010[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232803157.jpg)
昭和37年頃の旧瀬田川洗堰の様子(A07131B00001)↓
![A07131B00001C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232805b41.jpg)
![A07131B00001C00001[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621232804209.jpg)
昭和55年に撮影された瀬田川の航空写真(瀬田川洗堰付近)(A07229B00010)↓
![A07229B00010C00001[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212328083f3.jpg)
南郷小学校が開校した翌年ですが、まだ中学校の旧校舎らしいものが残っていて、現在の校舎が完全にできていたわけではないようです。更に驚くべきは、その北の南郷プラザはできているのに、今の南郷グリーンハイツのメインストリート、つまり南郷中学校系統のバスが通っている道は未完成らしいことです。まだグリーンハイツは造成中です。
瀬田川洗堰放水時の様子(A07009B00008)↓
![A07009B00008C00117[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306231424009b3.jpg)
![A07009B00008C00116[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062314235884b.jpg)
![A07009B00008C00129[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/2013062123311631a.jpg)
年代不明とのことですが、現在南郷グリーンハイツになっているものと思われる丘陵が禿げ上がった状態で、開発前の様子で、写真はカラーなので昭和45年前後の可能性が高いと思います。
ただ、いやにその丘が近く見えて仕方ありません。間に旧南郷中学校と疎水が挟まっているはずなのですが。
↓H25.6現在

↓こちらは洗堰の上流側。
![sA07009B00008C00121[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621233151910.jpg)
↓H25.6現在。田上側の旧洗堰付近から、ほぼ同じアングルで撮影できます。

こうして見ると、もう少し北寄りから、首を左に振った方が良かったかもしれませんが、様子がいかに変わったかよく分かります。古い方の写真で、袴腰山の中腹が禿げたようになっているところが、数年前の南郷上山町とそっくりですが、これが今の晴嵐台(南郷四丁目)だということが分かります。
![A07009B00008C00166[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130621233119d4c.jpg)
↓この信号機は、洗堰への進入を整理する信号なのでしょう。片側通行だったようですね。
![A07009B00008C00118[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212331139d6.jpg)
↓H25.6現在。琵琶湖河川事務所の前あたりで撮影しました。

立木観音前【石山外畑線・宇交石山線18】で言及したのは以下の写真です。
「昭和59年の瀬田川の様子 その3(A07132B00003)」より
![A07132B00003C00002[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306212328090e9.jpg)
小さいですが、ブルドッグらしい姿が、大石方面に走り去っていくのが見えます。駐車場がだいぶ広がった感じがしますが、基本的な光景は変わっていません。
鹿跳橋【石山外畑線・宇交石山線19】で言及したのは以下の写真です。
増水時の瀬田川鹿跳橋付近の様子(資料番号A07009B00012)より
![A07009B00012C00221[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201306202249369a6.jpg)
![A07009B00012C00219[1]](http://blog-imgs-58.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20130620224935b97.jpg)
上が平常時、下が増水時の写真です。下の写真は何だか恐ろしい感じがしますね。1964(昭和39)年、天ケ瀬ダム建設をきっかけに今ある橋にかけなおされる前の姿です。
以上「H25.6現在」と記している3枚を除く、計22枚全て国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所提供です。
なお今回の掲載は、本ブログをお読み頂いた琵琶湖河川レンジャーの方にご協力のお申し出を頂き、実現致しました。末筆ながら御礼申し上げます。ありがとうございました。
もっとご覧になりたい方は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内B-BOXをご覧下さい。
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