青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

四條通に出る。矢張賑かな通だ。デバートメントストア(原文ママ)が其處にも此處にもある。夏は暑いので、此方の軒から彼方の軒に葭簀(よしず)を張つたり何かしてゐる。
(中略)
鴨川は小さな川で、平生は水がちよろ〱流れてゐるばかりだが、京都の人が鼻にかけるだけ水の綺麗なのが取柄である。しかし、河原に塵埃をすてたり、草が生立たりしてゐるのは餘り好い感じがしないから、あれは何とかして貰ひたいと思ふ。
(田山花袋「東海道 畿内」『田山花袋の日本一周 前編【近畿・東海】』P439)



四条河原町 しじょうかわらまち
所在地:(京津国道線四条大宮・京都駅方面)京都市中京区下大阪町 (京津国道線四条大宮始発)京都市下京区御旅町 (京津国道線京都駅始発)京都市下京区稲荷町 (京都比叡山線 新線)
開設年月日:不明
付近:阪急河原町駅 タカシマヤ京都店 京都マルイ みずほ銀行四条支店 河原町OPA コトクロス阪急河原町 三井住友銀行四条支店
キロ程:河原町三条から0.5キロ


京都の繁華街の中の繁華街、四条河原町にやってきました。
当バス停の京津国道線の乗場について、その位置の変遷を正確に追うことは非常に困難(ポールの数が多くて、どこが京津国道線の乗車位置か特定できない)ですので、基本的に1981(昭和56)年発行の『京都公共交通時刻表』掲載の乗場と考えられる位置を中心に書かせて頂きます。

また、取材は2013(平成25)年5月、歩道拡幅工事の話題すらなかったような時に行っておりますが、工事前の景観の方が京津国道線があった時代に近いと判断し、わざわざ工事中の混乱している状況下で補足取材するようなことはしておりません。ご了承願います。



四条通は平安期から見える通り名で、平安の末期頃には七条と共に、既に一大繁華街として知られており、特に堀川以東は商工業の発展が著しかったようです。

河原町通りは比較的新しい通りで、『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』では、「江戸期から見える」としています。また、今より短くて、区間は荒神口から松原などとされているそうです・明治以後通りが今のように南北に延びて、三条と四条の間が屈指の繁華街となったようです。

↓まず南行きは、現在も京津国道線の成れの果てである、19号経路が停車している河原町通沿い、四条河原町交差点北のバス停に停車していたようで、ほぼ位置は変わっていない様子です。

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↓北を望む。

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↓対向車線から。

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京津国道線に、京都駅行きと四条大宮行きがあり、ここ四条河原町がその分岐点であったことを考えれば、両方面とも停車できるこのポールを使っていたというのはいたって自然です。

なお、1973(昭和48)年版の『京都のりもの案内』では、もう1筋北の通りの北側にバス停があったことになっています。

↓写真は醍醐BT行きですが、かつて、京津国道線の京都駅行きも、こうして四条河原町交差点を南北に渡っていたのでしょう。

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しかし、浜大津方面については、少なくとも1981(昭和56)年の段階では、2か所に分散していたことが、「不便な特徴」です。
今なら、四条大宮から来ても、京都駅から来ても停車できる交差点の北側にある京都比叡山専用のポールの辺りに集約させそうな気がするのですが、この当時はなぜか、四条大宮から来た浜大津方面行は、交差点の東、現在、醍醐、大宅、京阪六地蔵方面の京阪バスが使用しているポールを使用していたようです↓

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↓対向車線から望む。

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↓東、つまり進行方向を望んでいます。

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対向車線側に高島屋のアネックス出入口が見えます。

そのそばのポールは、四条山科醍醐線(旧東山国道線)の83・85・88号経路など、四条通を経て西に向かう系統が使用しています。
『京都公共交通時刻表』では、この辺りに京阪バスのポールはないことになっています。意外なことに、1990(平成2)年時点の路線図でも、四条河原町には京津国道線と京都比叡山線以外、京阪バスの定期一般路線はなかったことになっています。

ただ、この当時は京都比叡山線が今と違って四条烏丸経由であったこと、また四条大宮行が存在したことから、ひょっとするとこのポールはそれを引き継いでいるのではないかと思います。

逆に、そのポールから、東行きのポールを眺めています↓

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京都駅始発の浜大津方面行用のポールを忘れておりました。

↓古い住宅地図と『京都公共交通時刻表』を照らし合わせると、恐らく高島屋の建物の南端付近だろうと思われます。

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北の繁華な方向を望んでいますが、少し離れるだけでここは驚くほど静かです。

↓対向写真から望む。

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この辺りには京都交通のポールもあったようです。
ただ、1973(昭和48)年版の『京都のりもの案内』(京都総合プラン)には、四条通側の乗場は示されていますが、この南側の乗場はありません。四条通側の乗場は、書き方は住宅地図よりアバウトですが、それでも他のポールとの相対的な位置関係から、ほぼ現在の位置と変わっていないことが明らかで、40年以上も前から同じだということに何だか嬉しくなってしまいます。

↓旧乗り場付近から南を見ると、現在醍醐BT・六地蔵方面と、京都比叡山線が停まっている乗場が見えます。

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例えば醍醐新町は同じ山科駅行きでもポールが2カ所に分かれていて、ポールに双方の時刻を載せて乗場を案内していますが、そのように両方の乗場の時刻を掲示していたのでしょうか。

次は、四条烏丸【京津国道線四条大宮方面・京都比叡山線(旧線烏丸通回り)】/河原町五条【京津国道線京都駅方面】/京都駅【京都比叡山線(新線河原町通回り)】終点/四条高倉【四条山科醍醐線】/河原町松原【四条山科醍醐線】/四条京阪【四条山科醍醐線】です。
※現在は四条烏丸との間に「四条高倉」、河原町五条との間に「河原町松原」バス停がありますが、京津国道線があった当時は存在しませんでしたので、ここではこれらを取り上げません。

本シリーズとしては次回は四条烏丸に進みます。
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