青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
藤尾小学校 ふじおしょうがっこう
所在地:大津市茶戸町
開設年月日:1980(昭和55)年5月11日
付近:大津市立藤尾小学校 藤尾市民センター(大津市役所藤尾支所・大津市立藤尾公民館) 藤尾市民運動広場
キロ程:稲葉台から0.2キロ


「稲葉台」バス停が、「藤尾小学校前」を名乗っていた時代がありますが、本項では現在の藤尾小学校バス停について書きます。

長等山の西側に位置しながら、れっきとした大津市である藤尾は、平家の残党、片岡六郎が開いた土地だと言います。



もともと横木にあった藤尾小学校ですが、1971(昭和46)年に現在地に移転します。この辺りは行政上の地名は「茶戸町」という大津市内でもあまり知っているひとのいなさそうな町名ですが、通称は「象ケ鼻」で、『藤尾の歴史』(西口英雄他編 1995)にしばしば現れます。同書によると、1966(昭和41)年頃には、手狭になっていた藤尾小学校・藤尾幼稚園の新築に関する請願陳情が市議会で採択されたということです(P56)が、いずれにしろバイパス工事で移転せざるを得なかったことでしょう。

↓大津市立藤尾小学校

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その1966(昭和41)年当時の住宅地図については、公共施設や商店などは電話番号が載っているケースがあり、移転前の藤尾小学校の番号も掲載されていましたが、同じ市内局番の範囲での移転だったためか、頭に52を付け加えると現在の番号と同じだということが分かりました。移転前からの歴史が連綿と引き継がれているのです。これは石山小学校なども同じです。

↓藤尾・小金塚方面バス停。山科駅方面を望んでいます。

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西大津バイパス線は左に見えるガードから出てきます。逆に、山科駅行きは左折してガードに入ります。

2010(平成22)年8月10日付拙稿すったもんだの藤尾・小金塚 京阪バス路線開通①において、藤尾・小金塚の山科駅寄りにある坂道の末端が、ここがノンステップバス入線禁止となっている理由だろうか?と書きましたが、取材に付き合って下さった膳テツさんは、寧ろここの背景に写っているすり鉢状の道路形状こそ、床が低いノンステップ車両には危険なのではなかろうか、と仰っています。

なお、その後京都橘大学のノンステ禁止は、ルート変更によって解除となっています。

↓ここで撮影した西大津バイパス線のブルーリボンの写真が残っていました。

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この車両は後に京阪宇治バス(京都京阪バス)に移籍したようです。

↓逆に「すり鉢の底」の側から藤尾・小金塚方面を望んでいます。

IMG_7815.jpg

↓もう少し近づいて、藤尾・小金塚方面。

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中央奥に、山科駅方面のバス停が写っています。

↓日中40分間隔 需要はもっとあるはずなのに、国分団地の35分間隔より長いスパンです。

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所要時間の関係で、30分間隔にすると慌ただしいか、台数を増やさないと物理的にダイヤが組めないのでしょう。また、少しの間ですが、どうしても三条通を走らざるを得ないので、その渋滞による遅れをカバーできるようにしようとすると、藤尾・小金塚の余裕をかなり持たせないといけないということもあるのかもしれません。

もっと上の方まで路線を延ばしてほしいという要望もあるようなので、逆にそうなると間隔がもっときれいに揃えられるのかもしれません。ただ、道路の幅や折り返し方法が問題になります。

尚、2回だけある「藤尾・小金塚~山科駅行」という謎の記述は、西大津バイパス線のことです。一旦藤尾・小金塚に立ち寄ってターンしてから山科駅に向かうのです。

↓こちらは山科駅方面のバス停です。

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西大津バイパスの擁壁の一部を切ったような形で、バス停が歩道の行き止まりになっています。

↓反対側から。

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小学校の敷地の端と、門のそばの昔懐かしい丸いポストが見えます。

↓時刻表

IMG_7810.jpg

↓平日と土曜の朝に1本だけある48号経路の書き方が特異です。

IMG_7839.jpg

こんなので分かるひといるかな?まあ、山科駅には行けるんだな、ということが分かればそれでよいということでしょうか。
思えばこの系統だけが、本当の開通当初に運転されていた系統旧30A号経路(藤尾・小金塚→国道山科→山階校前→国道大塚→藤尾・小金塚)の形状をほぼ保って運行されている、いわば「生きた化石」なのです。
どういう意図があるのかよく分かりませんが、固定客がいるのかもしれません。

とだいぶ前に記事を書いて保存していましたが、今や48号経路もありません。

次は、藤尾・小金塚 終点【48号経路】/藤尾・小金塚【西大津バイパス線山科駅行】/追分【旧40号経路】です。
※本シリーズにおいては、藤尾・小金塚を取り上げます。
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コメント
この記事へのコメント
1時間パターンがわかりやすい
京阪バスは枚方・交野地区にも40分間隔がありますが、
40と60の最小公倍数は120とあって2時間パターンでわかりにくいですね。

35分間隔だと60との最小公倍数は420ですから7時間パターンです。

3時間パターン(18分間隔等)、
4時間パターン(16分間隔等)
も混乱します。

60の約数にある(例外は7分半間隔もOK)分間隔に統一して欲しいですね。
2017/11/10(金) 09:10:12 | 安田 | #1t1ExJwE[ 編集]
Re: 1時間パターンがわかりやすい
安田様、コメントありがとうございます。

> 35分間隔だと60との最小公倍数は420ですから7時間パターンです。
>
> 3時間パターン(18分間隔等)、
> 4時間パターン(16分間隔等)

18分間隔だと3時間後に、16分間隔だと4時間後に同じ分に戻る(正時起算ならそれぞれ3時間後、4時間後の正時になる)ということですね。今まで1時間の枠内でしか考えたことがありませんでしたが、もっと長い時間で見るとそういうことも見えますね。気がつきませんでした。
ただ、私の身の回りではあまりそういう運転間隔は見たことがありません。16分間隔にするぐらいなら15分間隔に、18分間隔にするぐらいなら20分間隔にしてしまうことが多いのでしょうか。

需給関係はもちろんのこと、所要時間や運転手さんの勤務時間・乗務時間の都合、車両の保有台数などにも左右されるのでしょうけれど、

> 60の約数にある(例外は7分半間隔もOK)分間隔に統一して欲しいですね。

というのは確かですね。60は10と12の最小公倍数だというのも意味深く感じます。約数が多くて便利で不思議で美しい数字のように思えます。

7.5分は実際の一般向けの時刻表上では、a分、a+7分、(a+7)+8分、(a+7+8)+7分、(a+7+8+7)+8分……というように7分と8分の間隔が交互に来ますが、京阪石山坂本線の日中の近江神宮前以南など、多数の例がありますね。
2017/11/10(金) 21:35:38 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
1時間パターンがわかりやすい
青いバス停さん、ありがとうございます。

やっぱり鉄道やバスの本数は1時間パターンがわかりやすいですね。

60の約数分間隔と、7分半間隔のいずれかが。

>16分間隔なら15分間隔に、18分間隔なら20分間隔に。
それは同感です。
JR片町線(学研都市線)の同志社前~木津間は1989年3月~97年3月当時、
昼間は40分間隔、
夕方以降は32分間隔
(32と60の最小公倍数は480分→8時間パターン)
でわかりにくかったが、
JR東西線開業を機に両時間帯とも30分間隔へ増発されわかりやすくなりました。

大阪市営地下鉄中央線~近鉄東大阪線(現・近鉄けいはんな線生駒以西)は長らく7分間隔でしたが、
2006年3月のけいはんな線学研奈良登美ヶ丘開業を機に7分半間隔となりました。

40分間隔は30分間隔への増発が望まれます。
2017/11/14(火) 23:15:14 | 安田 | #1t1ExJwE[ 編集]
Re: 1時間パターンがわかりやすい
安田様、お返事遅くなりました。

> JR片町線(学研都市線)の同志社前~木津間は1989年3月~97年3月当時、
> 昼間は40分間隔、

そんなに少なかったんですね。

> JR東西線開業を機に両時間帯とも30分間隔へ増発されわかりやすくなりました。

今もその程度なんですね。まあ、近鉄と並行しているから仕方ないのかもしれませんね。大きく屈曲していて、距離的に結構無駄足させられる変な通り方していますしね。

2017/11/16(木) 21:10:37 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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