青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
膳所浜田町 ぜぜはまだちょう
所在地:大津市本丸町(旧膳所浜田町)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:不明(刑務所前→膳所浜田町)
付近:膳所公園団地 大津市科学館 大津警察署ぜぜ寮 (現在ないもの)滋賀刑務所




江戸期から続く地名で、膳所城築城以前からここが陪膳(おもの)の浜田であったことに由来するということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P569)。つまり、皇室に献上する魚を獲っていた場所、ということなのでしょう。

一方で吉田金彦は「浜田」という言葉を素直に、
「浜で稲田を作って天皇の御料に献上した、その祭儀の行われた場所が膳所神社だった。だからこの神社は『膳所』の発祥を物語る存在だ、と考えてよい」
と解釈しています。
「膳所の浜田は今、本丸町という行政名である。膳所城をイメージアップした市民センターや浄水場の建物のある辺から団地にかけてが、かつての膳所の浜田であった」
(『京都滋賀古代地名を歩くⅡ』P170)
ということなので、市民センターや浄水場の辺りは良質なコメが穫れたのでしょう。

↓今も自治会は「浜田町」を名乗っています。

IMG_0847.jpg

この消火器は、クリーニング店の前にあるのですが…

IMG_0846_20131027125346da9.jpg

すごい建物です。旧大津市内線が走っていた時代には確実に存在したことでしょう。もともとどんなひとが住んでいたのでしょうか。

付近はちょっとした商店街で、旧大津市内線が走っていた昭和30年代頃を彷彿とさせます。

↓隣は歴史のありそうな和菓子屋さんです。

IMG_0848.jpg

スーパーマーケットが普及するよりも前、全国のあちこちにあっただろうな、と思われるような町並みです。

膳所浜田町のバス停は、かつての滋賀刑務所の前にあったようで、開通当初の停留所名は「刑務所前」でした。

↓石山駅の方向

膳所浜田町?石山向

↓浜大津の方向

膳所浜田町?浜大津向

↓滋賀刑務所のあった方向。現在は膳所団地になっています。

膳所浜田町?旧滋賀刑務所向

↓上の写真から湖側に、普通の住宅の並ぶブロック1列分を過ぎたこの辺りに門があったようです。

IMG_1293.jpg

滋賀刑務所の沿革を見ると、何と江戸時代の牢獄からの歴史が書かれています。そんなところ直接につながっているわけではないと思うのですが…。1885(明治18)年6月、大津市内から膳所城跡であるこの地に移ってきたときは驚いたことに「膳所監獄」という名前でした。

「監獄」というと、「刑務所」ということばより一層「閉じ込める」という絶望的な印象になります。1922(大正11)年10月に、「滋賀刑務所」と改称されます。
現在の石山団地北側に移転したのは1966(昭和41)年4月のことです。

受刑者の移送には京阪バスも一役買っていたことが、1966(昭和41)年4月26日付滋賀日日新聞の写真から分かります。当然、法務省の予算で貸切料金が支払われたのでしょう。

刑務所の移転など全国的にも滅多にあることではなく、この時の運転手は大変珍しい仕事をしたことになりますが、パトカー2台に挟まれ、刑務所職員がバス1台につき10人同乗して監視の目を光らせ、何より受刑者たちが乗っている、という状況での運転は神経を使ったことでしょう。

↓もはやそんなことを思い出させるようなものは何一つない膳所団地。

IMG_0854_201310271253491c5.jpg

因みに、湖岸道路が一部未完成だったからなのか、コースは、膳所本町で京阪電車を渡って相模町の交差点で国道に出て、東レ、唐橋前、石山寺を経由するというルートだったということです。膳所本町から相模町交差点までは、当時もバス路線はなく、今は膳所本町駅付近の一部が東向きの一方通行になっているような道なので、写真に写っているような大型のバスを通すのは大変だったのではないかと思います。

旧大津市内線が廃止されるのは、はっきりしたことは分かりませんが、「車両制限令」が出され、湖岸道路も完全に整備された1965(昭和40)年から1967(昭和42)年にかけてと思われるので、旧大津市内線が走っている時代はずっと刑務所の前のバス停であり続けたのでしょう。

職員が通勤で利用したかもしれませんし、受刑者に差し入れや面会をするひとも乗降したかもしれません。

近くには、Y字路上の踏切として有名な「小姓町踏切」があります↓

小姓町踏切

↓地図でもはっきりとわかります。



全国的にも交差点上の踏切は大変珍しく、調べた限り西武新宿線の「東村山1号踏切」以外にはなかなか見当たりません。石山坂本線にはここの他に「椿が原」「本町下手」の2か所の計3か所があります。このような集中度は異例でありましょう。石山駅からの復路では後者二か所を渡ります。

次は、中ノ庄です。
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コメント
この記事へのコメント
因みにクリーニング屋さんは元銭湯であったと聞いています。
膳所学区の一つ、二つ上の学年の人は刑務所があった姿を記憶しているのですが、私の場合全く日常的な場所ではなかったので、「膳所に刑務所があった」と言うのは実感がありません。気がついたら膳所に団地が出来て、友達が引っ越して行った。。
そんな記憶です。

どんな姿だったのでしょう。
2014/06/17(火) 21:25:06 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: タイトルなし
yume様、お返事遅くなりました。

> 因みにクリーニング屋さんは元銭湯であったと聞いています。

1966(昭和41)年版の住宅地図を確かめると、確かにその通りでした。

> 膳所学区の一つ、二つ上の学年の人は刑務所があった姿を記憶しているのですが、私の場合全く日常的な場所ではなかったので、「膳所に刑務所があった」と言うのは実感がありません。
> どんな姿だったのでしょう。

大津市歴史博物館のページより→http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/shashin/data/ks_100.html
ただ、こういう空から見た感じの写真ばかりがヒットして、地上からの様子はよく分かりませんね。もう少し探してみます。「矯正展」とかを見てみるのもよいのかもしれません。
2014/06/18(水) 21:55:32 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
国道に出るルート
>今は膳所本町駅付近の一部が東向きの一方通行になっているような道なので、

相模町の交差点で国道に出るときは、膳所本町駅の石山方にある
一方通行路を通らず、膳所駅方面へ進行して、相模川の手前を左折
したのだと思います。当時は、
東海道本線との交差はまだ踏切だったのではないでしょうか。

小姓町、本町下手、椿が原の3踏切、いずれも膳所小の学区に
あったので、ネットが普及するまではそんなに珍しいものだとは
思いませんでした。
特に、小姓町踏切は下校時に毎日通っていましたので、
思い入れがあります。
2014/06/22(日) 00:11:41 | 膳テツ | #-[ 編集]
Re: 国道に出るルート
> 相模町の交差点で国道に出るときは、膳所本町駅の石山方にある
> 一方通行路を通らず、膳所駅方面へ進行して、相模川の手前を左折
> したのだと思います。当時は、
> 東海道本線との交差はまだ踏切だったのではないでしょうか。

私がイメージした、一方通行路というのは、膳所本町駅の真西の道です。膳所高と膳所神社の間の道を通り抜けて膳所駅方面ではない、南側の「膳所本町」踏切(「本町下手」でなく)を渡って、相模川に突き当たって左折、あとは川沿いに行くと、名前が当時と変わっていない限り『相模町』の交差点だろう、と思ったのですが。
膳テツさんのおっしゃる「石山方の一方通行路」がどこなのかよく分からないです。
新聞記事中には「相模川橋」を渡るという記述もあるのですが、橋の名前というのはネットで検索しても、大きなものでない限りなかなかヒットしないし、地図にもしっかり書かれていなくて、確かにルートを確かめるのに少し困った部分ではあります。

> 小姓町、本町下手、椿が原の3踏切、いずれも膳所小の学区に
> あったので、ネットが普及するまではそんなに珍しいものだとは
> 思いませんでした。

そうなんですね。あれはもっと取り上げられてもいい、すごいものだと思います。ただ、自分で車を運転して通った時に感じましたが、電車に気を付けることがまず第一なのに、踏切上で交わる交差点から来る車や歩行者のことも気にしなければならないため、安全面を考えるとあまり宜しくはないですね。
2014/06/22(日) 09:52:46 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re2: 国道に出るルート
私の説明不足でした。

膳所神社方から来ると、膳所本町駅の手前で右に折れて膳所駅方向に
進み、本町下手踏切を渡り、相模川に架かる橋の手前で鋭角に左折し、
あとは相模川に沿って相模町交差点へ出るルートです。

上記経路は膳所学区の湖岸側から国道へ出る時に使う経路となっています。
逆の国道→湖岸方向は、喜撰猿丸さんが仰る膳所本町駅南側の一方通行路を
通ることになります。
2014/06/22(日) 12:31:38 | 膳テツ | #-[ 編集]
Re: Re2: 国道に出るルート
追加のご説明ありがとうございます。
そのルートも考えたのですが、えらい鋭角で、バスが曲がれるのかな?苦しいのではないかな、と思ったのです。まあ、もう50年近くも前のことで本当のところを突き止めるのは難しいですが、膳所本町踏切の西側が当時から今と同じ東行き一方通行の規制がかかっているなら、確かにおっしゃるルートしかないですね。
2014/06/22(日) 20:57:03 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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