青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
網町 あみまち
所在地:大津市木下町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明(昭和42年頃?)
付近:フレンドマート大津西の庄店 バロー大津店 大津湖岸なぎさ公園




↓滋賀大学前を出て、石坐神社の前を過ぎて、この大きな屈曲を左に曲がります。

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曲がると、2010(平成22)年5月に開店したばかりの、フレンドマート大津西の庄店が左手に見えます。

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これからほとんど直角のようなカーブが何回か続きます。これは地形的な制約もあるのかもしれませんが、寧ろ、城下町に特徴的な鍵形の街路と考えるのが自然でしょう。防御上の理由で、すんなりまっすぐ通さないことで、わざと見通しを悪くしたり、攻撃に時間がかかるようにしたのです。

これをバスで曲がるのはかなり厳しそうです。普通車も、よほど気を付けないと簡単に正面衝突したり、曲がった先で道の真ん中をひとが歩いていたりしたら撥ねてしまいかねません。

↓昭和37、38年の地図によれば、相模川にかかる小さな橋を渡ったこの辺りにバス停があったようです。これは石山方面を望んでいます。

IMG_1428_20131104123351a5a.jpg

右に路地、左にも路地、この、路地と路地が相対しないで互い違いになっていることがよくあるのも膳所の特徴です。こんなちっぽけな路地もちゃんと地図に載っていて、この路地の、旧東海道との交点と交点の間の空間にバス停があったようですが、もちろん、どこまで正確なのかはわかりません。

1951(昭和26)年から1964(昭和39)年まで膳所網町でしたが、元は「膳所錦町小字網町」だったということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P418)。現在は、相模川を境に西側は西の庄、東側は木ノ下町となっています。
慶長6年に膳所城下町を整備する時に、漁民の居住地となったことによる地名で、明治に町村制が敷かれたときは錦村の一部とされていました(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P75)。

次の木ノ下町との間にある響忍寺(こうにんじ)には、今も旧町名の看板が残っています↓

IMG_1409_2013110413195138a.jpg

↓自治会名としても残っています。

IMG_1423.jpg

↓浜大津向き

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↓網町を出ると、再び曲がり角。これを右折します。

IMG_1422.jpg

次は、木下町です。
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コメント
この記事へのコメント
バス
もうこのあたりまで来ると、京阪バスの走っている姿が想像できなくなってきます
どうやって走っていたのでしょう。。
運転手さんごくろうさま。。と 言いたくなります。
2014/06/11(水) 22:16:37 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: バス
> もうこのあたりまで来ると、京阪バスの走っている姿が想像できなくなってきます
> どうやって走っていたのでしょう。。
> 運転手さんごくろうさま。。と 言いたくなります。

私も想像できません。
この時代を知っている運転手さんはもうとっくに退職されているでしょうから、今の運転手さんがこの記事を読んでも、誰も信じず、おとぎ話のように思われるだけではないかと思います。聞いてみたい気もしますが、現実の私は不愛想で、ぶっきらぼうなので、恥ずかしくて何も言えませんw


余談ですが、最近、アナウンスが山科や大阪の大半と同じものに変わってしまいはしないかと恐れて、時々録音に回っているんですが、乗降客が少ないところを、それも行きと同じバスで帰ったりすると、「変な奴がいるなあ」とかなり不審に思われているんじゃないかな、と心配で…。ひょっとしたら気軽に、「いや実はこうこうで…」と事情を話せばいいのかもしれませんが、それがうまくできないんですよw
2014/06/12(木) 21:36:07 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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