青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
県病院前 けんびょういんまえ
所在地:大津市御殿浜 
開設年月日:不明
付近:滋賀県立衛生科学センター(旧滋賀県立衛生環境センター) 日本電気硝子株式会社 粟津第一団地 大津市立粟津中学校 (現在ないもの)滋賀県立大津病院 大津警察署別保交番(別保駐在所)
※現「衛生科学センター前」に相当


別保を出て、日本電気硝子のビルが見えてくると、「県病院前」は間もなくです。

県病院前?石山向

日本電気硝子株式会社は、記事UP日時点ではオプテックス、滋賀銀行とともに大津市内に本社がある数少ない東証一部上場企業です。
1949(昭和24)年創業なので、こんな大きな建物ではなかったかもしれませんが、旧大津市内線があった当時、すでに何らかの建物はあったことでしょう。1966(昭和41)年の住宅地図では、同社の寮ということになっています。

↓「粟津」の交差点が見えてきました。ここからは久しぶりに現在もバス路線がある道路に重なります。

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↓現行の路線は石山駅から走ってくるとここで右折して、湖岸道路に向かいます。

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↓湖岸の御殿が浜の方向を眺めています。湖岸道路がない、旧大津市内線が走っていた頃は、こんなに広い通りではなかったようです。

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左手の角にある民家の位置は少なくとも1971(昭和46)年までの住宅地図を見る限り、もともと別保交番(別保駐在所)でした。大津警察署にはきっと何らかの資料が残っているのだろうと思いますが、ネットで検索しても何もヒットしません。

↓旧大津市内線は一方通行なので、北から走ってきて、この交差点を直進していたのでしょう。

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左手に写るお宅の前の電柱に「旧東海道」の標識が見えます。

↓「県病院前」のバス停の位置は、現在の「衛生科学センター前」に相当するものと思われます。

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上の写真は、石山駅方面を眺めています。さすがに昭和30年代のことまでははっきりしませんが、恐らく位置はほとんど変わっていないのではなかろうかと思います。



↓こちらは浜大津方面を眺めています。

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何か不思議なことに気づかれましたでしょうか?

↓この、最上階6階にある外に出るような扉は一体何なのでしょう?

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↓よく見ると2階にも同じような扉がありますね。

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さて、現在の滋賀県には「県立病院」という名前の病院はなく県立成人病センターと、県立小児保健医療センターなどがこれに相当します。
しかし、実は滋賀県にもかつては「滋賀県立大津病院」という県立病院が存在しました。

1971(昭和46)年2月3日付滋賀日日新聞には赤字経営と老朽化のため、これを廃止するという記事が載っていました。県立病院というと、大きな総合病院をイメージしますが、ここは産科と婦人科で30床だけという小規模なもので、記事が載った時点で、入院患者は8名にすぎなかったということです。

記事の末尾に、
「将来は妊婦や新生児の検診、指導をする母子保健医療センターを建設したい構想」
とあることから、この当時は恐らくまだ普通には使われていなかった用語と思われる「周産期」の医療センターを作る構想はあったのでしょう。現在守山市にある、県立小児保健医療センターに間接的につながっているのかと思いますが、同センターには産婦人科はなく、あくまでも子どもの医療センターなので、県立大津病院廃院当時の方がより広い範囲の医療を扱うセンターを作ろうと考えられていたことが分かります。

現在、ここにあるのは同じ県立の衛生科学センター↓なので、県の土地をそのまま利用していることが分かります。

IMG_1057.jpg

石山駅方面のバス停は正に「衛生科学センター前」だということが分かります。
現在のバス停は2005(平成17年)衛生環境センターの改組・改名とともに「衛生科学センター前」に名を改めました。それまでは京阪バスのLEDの車内表示は字数の都合で、「環境センタ」と書かれていました。

厳密にいうと県立病院があった当時から現在の衛生科学センターの前身の前身ともいうべき衛生研究所が併設されていて、敷地の西半分が病院だったようです。

1971(昭和46)年8月21日付滋賀日日新聞には、3月末で廃院になったはずの「県立病院」が未だにバス停名として存在しているとの記事。
こういう情報は貴重です。今と全く同じ形の帝産バスのポールと、近江鉄道バスの古い、しかし今も一部ではまだ見られるタイプのポールが並んでいて、その前に中学生らしい男の子2人がバスを待っている写真が掲載されています。帝産の方は判読できませんが、近江の方のポールには明らかに「県立病院前」と書かれています。古新聞を見ていて、ああよかった、いい資料を見つけた、と思う瞬間です。

京阪バスのポールは写っていませんが、記事中には京阪バスの名前も書かれています。

「いつか名称変更されるだろう」と気にしていなかった利用客も、すでに閉鎖後五か月たった今ではバス会社の無神経さにアキレ顔



とあります。
バス会社は県から閉鎖について一言もなかったので名称変更が遅れた、とのこと。

九月一日の浜大津バスターミナル開始に合わせて“県立衛生研究所前”に改称する予定だ。それまではテープの吹き替えなどもあり時間がかかるだろう。



この当時既にかなりワンマン化が進んでいて「テープの吹き替え」が必要だったということも分かり、興味深いです。

次は、新日本電気前です。
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コメント
この記事へのコメント
帝産バスの「都築紡」のバス停の位置もここ?
>↓「県病院前」のバス停の位置は、現在の「衛生科学センター前」に相当するものと思われます。

本来は再度2011/04/02日電前 都築紡 大津署前でのコメント欄に書いた方が良いかもしれませんが。。。
まずは、不明とされていた都築紡績の位置についてです。国土地理院のサイトhttp://mapps.gsi.go.jp/maplibSearchMobile.do
で石山駅北側のルネサスの辺りにある青緑色の丸をクリックすると、工場の具体的位置が分かります。
これからしますと、帝産バスの「都築紡」のバス停の位置も、現在の「衛生科学センター前」とほぼ同じ位置にあった、もしくは、新日本電気と衛生環境センターの中間点辺りにあった可能性が高いものと推測できます。
2014/07/11(金) 23:07:35 | むっくん | #pzlAAE2A[ 編集]
Re: 帝産バスの「都築紡」のバス停の位置もここ?
むっくん様、情報ありがとうございます。

> 本来は再度2011/04/02日電前 都築紡 大津署前でのコメント欄に書いた方が良いかもしれませんが。。。

もう3年も前の記事なんですね。いやですね。成長がなく見えて…。

工場の位置は、そうですね国土地理院の公式HPや地形図で見るのが一番確実ですね。私はもっと細かい部分を見るために、古い住宅地図を多用していますが、あまり古いとバス停は書かれていないのが残念です。
改めて見てみると、今のルネサスの北半分が都築紡績だったんですね。
衛生科学センターだとちょっと北過ぎるようにも思われますが、少なくとも1971(昭和46)年時点でポールがあったことは、「県病院前」の項で引用した1971(昭和46)年8月21日付滋賀日日新聞の写真から確実です。

特定輸送ならば、構内ということも考えましたが、大津署前までそのまま線が伸びていることを考えるとその可能性は低いですね。

2014/07/12(土) 00:26:13 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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