青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
京阪バスだけでも思っていたよりボリュームがあり、正直なところ初めは宇治田原まで取り上げなくてもよいかな、と思っていました。

でも、子どもの頃に見ていたこの路線図↓の、「至 岩山・宇治」とだけ書かれて、描かれていない「その先へ」行きたい、昔は石山、南郷から乗り換えなしで直接行けたはずのそこが、どんなところか知りたい、と思って書き進めております。

ss平成元年8月現在路線図

そこではたと突き当たるのが、宇治田原町内の思いも寄らない道路と路線の変遷です。旧道からバイパスへの載せ替えはよくあることですが、一気にある特定の日を以て完全に載せ替えられたわけではありません。私なりに整理するために、単純ではありますが、模式図を作りましたので、ご覧下さい。

1979(昭和54)年4月1日現在の路線図と各年度の『京阪時刻表』、『地域とともに60年』の記述を元に作成したのが以下の図です。

赤い線が石山線に関わる部分です。青い線は石山線以外の路線で、石山駅、南郷方面からの直通がない部分です。

sScan0028 (2)

宇治田原バイパスが全通するのは1980年のことで、その直前の1979(昭和54)年にはまだ旧道を通るバス路線しかありません。

岩山がいわばジャンクションとなっていて、その後停車することになる長山口は通っていなかったことが分かります。

バイパス開通以後、1985年の京阪時刻表で確かめられる時点までは、旧道が西向きの、バイパスが東向きの一方通行であったことに驚かされました。これは知りませんでした。

石山駅行き、禅定寺行きなどの便は、バイパスの長山口と旧道の長山口、両方に停車していたのかどうかまではよく分かりません。ただ、『京阪時刻表』の路線図にできるだけ忠実に書くとこうなります。

この当時は、下手の回で取り上げた旧道からバイパスに分かれる道、廃止時点で長山口から下手まで通っていた道はまだありません。従って、宇治から来て岩山に向かうバスは、必ず現在の長山口バス停を通って、一旦鋭角で旧道に入らなければなりませんでした。

1987年版の『京阪時刻表』になると、旧道の路線が完全に姿を消します。従って、1985年版発行からの2年の間にバイパスに完全に載せ替えられたのだということが分かります。なぜこのような形を取ったのかまではよく分かりません。

sScan0029.jpg

この時期になると、バイパスと旧道をつなぐ現在の道ができているため、下手の次は長山口となっています。
また、犬打線が姿を消しています。
なお、この間の1991(平成3)年頃に立場(たてば)林道線が定期路線化します。1981(昭和56)年9月29日付京都新聞で、土砂災害による宇治川ライン線通行止めにより、臨時にこの道路を利用する旨が報じられて以来約10年、落石や土砂崩れが多くて不安定な宇治川ラインに代わって、JR宇治駅も道順的に自然に通りやすい立場林道線が徐々にメインのルートになってきます。
石山線が全て維中前止まりになるのは1998年です。

↓こちらは2000年以降です。

sScan0027 (3)

宇治川線・石山線用と、新田辺方面および立場線用とに分かれていた「下町」が、「高尾口」(こうのぐち)と「下町」に分かれます。
しかし、これも長続きせず、2005年7月31日を以て宇治川線の運行が終了して、バス停も廃止されました。

私は宇治川線の廃止を全く知らず、何か月も後になってからサイト関係の知り合いに教わって衝撃を受けました。

かつてドル箱と言われた京阪宇治交通の骨格ともいえるいちばんの基本路線の1つですから、単なる一路線の廃止ではありません。京阪バスの「京津国道線」の廃止に相当する、京阪宇治交通(京阪宇治バス)の歴史上屈指の大事件と言えると思います。
しかし、まだこの「商売」を始める直前だったとはいえ、私が気付かないくらい、その廃止は静かな、密やかなものだったのでしょう。

旧道とバイパスの経年変化を簡単に頭に入れて頂いたうえで、次回から本題に戻り、まずは旧道を先に取り上げます。

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