青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
四ノ宮が先になってしまいましたが、今回から一旦バックして4回にわたって緑ヶ丘を取り上げたいと思います。

追分からは旧道を歩きました。石碑を通り過ぎると、右手に「旧藤尾小学校跡地」の石碑が見えてきます↓

IMG_7715.jpg

現在は北の小金塚寄りにあって、京阪バスのバス停名ともなっている大津市立藤尾小学校ですが、1971(昭和46)年に現在地に移転するまではここにありました。
このフェンスの向こう側は、西大津バイパスの藤尾南ランプで、湖西方面から京都方面に抜ける通路が南、その北に浜大津方面から西大津バイパスに入るための通路―――恐らく京阪バスの旧40号経路(西大津駅-浜大津-藤尾・小金塚)の藤尾・小金塚行きが通っていたのでしょう―――があり、更にその向こうは走井餅本家と上横木児童遊園になっています。

そのまま旧道を歩き続けると、国道1号線との合流地点付近に、「緑ヶ丘」バス停が見えてきます。

IMG_7719.jpg

緑ヶ丘 みどりがおか
所在地:(三条京阪方面)大津市横木一丁目
    (浜大津方面)(1982年5月16日~現在)京都市山科区四ノ宮奈良野町 (1974年?~1978年?)大津市横木二丁目 (1979年頃?)大津市横木一丁目
開設年月日:1928(昭和3)年3月14日設置 同26日より「グラウンド前」として営業開始 改称年月日不明
        ※但し藤尾・小金塚系統の藤尾・小金塚方面用としては1982(昭和57)年5月16日
付近:西大津バイパス藤尾南ランプ 名神高速道路京都東インターチェンジ 上横木町自治会館 スーパーフレスコ四ノ宮店 藤尾市民センター(大津市役所藤尾支所・大津市立藤尾公民館) 藤尾市民運動広場 下横木児童遊園 上横木児童遊園 (現在ないもの)旧大津市役所藤尾支所 旧大津市立藤尾小学校・藤尾幼稚園 緑ヶ丘運動場 京阪緑ヶ丘運動場前駅 山科警察署検問派出所 大津市消防団藤尾支団




数ある京阪バスのバス停の中で、現在、2府県に跨っているバス停は恐らくここだけだろうと思います。また、府県を跨いでポールが移動したケースもなかなかないのではなかろうかと思います。

この辺りは、西大津バイパスの開通、国道1号線の拡幅によって、道路の通り方、景観が大きく変わっていて、バス停の位置もそれに合わせて、特に浜大津方面は頻繁に移動している様子です。
住民の生活も、きっと鉄道や道路の開通、拡幅に翻弄されてきたのでしょう。

※本停留所については西大津バイパス線(京津国道線47号経路)や、旧山科北部循環線(旧30・30A・30B号経路 現 山科北部線45・48号経路)が深く関わり、特記することが多い半面、記事を別にすることが難しいため、全て京津国道線のカテゴリである本項で扱うものとし、西大津バイパス線及び藤尾系統としての緑ヶ丘バス停の記事は作成しない予定のでご了承願います。

↓近くの歩道橋からの大津方面の景色。手前右手に見えるのは、上の写真でも写っている三条方面のバス停です。

IMG_7723.jpg

上の写真で見える範囲は、全て大津市です。逆に背後は100mも行かないうちに京都市に入ります。

この辺りは、国道1号線をはじめ、道の幅が広くて、またその通り方も非常に複雑で、横断歩道を設けると歩行者が危険かつ、信号機の制御方法が複雑になり過ぎると判断されたのか、横断歩道というものがありません。地下道や歩道橋の果たす役割が大きそうですが、障害がある方や高齢者は、ちょっとそこまで行くのも大変です。自然と、国道やバイパスを渡らない範囲でできるだけ生活を完結させるような動き方になるかもしれません。

↓西行きのバス停、西方を望む。

IMG_7721.jpg

↓対向車線から見ると、三条方面のポールが遠いです。

IMG_7739.jpg

移動が多かった東行きと比べ、三条方面は少なくとも何と1955(昭和30)年頃からほとんど位置が変わっていないようです。
なぜそんなことが分かるかというと、こんな写真が残っていたからです。

↓1955(昭和30)年6月27日付京都新聞

S30.6.27K 京津国道線緑が丘で事故b

事故記事なのであまり気持ちのいいものではないし、どうしようかと思いましたが、不幸中の幸いで死者が出るような事故ではなく、写真が非常に分かりやすいのでUPします。強いて言うなら、今のバス停より僅かに東にずれているような気もします。
因みに、いちいち拙ブログ内で言及しないだけで、実はバスが絡む交通事故の記事は、湖城が丘から南郷から枚挙に暇がありません。

バスがこんなに長い距離押されるなんて、トラックはよほどのスピードだったんでしょうね。まあ戦後10年しか経っていませんし、ブレーキ性能も今とは比較にならないような貧弱なものだったのでしょう。

右端のお宅は当時はたばこ店だったようです。また、その先、旧東海道を挟んで向こう側が1960(昭和35)年の住宅地図ではまたちょうど山科署の「検問派出所」とされていたので、早速に事故処理が進んだのではないかと思われます。でも、旧東海道を越えてもそこまではまだ大津市内なのに「山科署」というのが不思議です。



↓三条方面を歩道橋から見ましたが、短い間に右手の「三条」方面のレーンに入らないといけないので、運転手さんは結構技術が要りそうです。

IMG_7726.jpg

因みに、赤い矢印の位置に、浜大津、藤尾・小金塚方面のポールがあります。

↓ガード下の空間をうまく利用しているとも言えますが、薄暗く圧迫感があります。

IMG_7729.jpg

利用者は、バスが来るのと反対側を通る側道から出入りします。ここは京都市です。

IMG_7728.jpg

かなり特異な立地条件のバス停でありましょう。

IMG_7727.jpg

↓歩道橋の向こうに、三条方面のバス停が見えます。

IMG_7730.jpg

実はこのガード下の東行きの乗場については、1982(昭和57)年5月15日付京都新聞市民版でその設置がしっかりと取り上げられているのですが、これについては、次回以降、旧バス停位置などと共に別途取り上げます。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/724-4e624f11
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック