青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

東海道を通っていくと、其處(そこ)に依然としてその關(せき)の址(あと)があるといふ。逢坂の關の淸水と幾度か歌にうたはれた淸水も昔のまゝにながれてゐるといふ。その下を今は汽車が通つてゐる。嵐影の多い山の中を高い音を立てゝ煤煙(ばいえん)をあげて、そして通つて行つてゐる。そして大谷の小さな停車場がその逢坂山のすぐ下のところにある。白い札には、『逢坂關址へ三町』とかう書いてある。私達の乘つた汽車は、そのさびしい停車場から一人二人の客を乘せて、そして向ふに進んで行く。
(田山花袋「東海道 畿内」『田山花袋の日本一周 前編【近畿・東海】』P420)



片原町を出ると、右手に常夜灯が見えますが、そこから歩道が通行止めになって、京都向きで言うと左側、つまり南側の歩道しか歩けません。

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↓途中にある弘法大師堂。

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蝉丸神社などに比べると、情報が少なく、どういう云われや歴史があるのかよく分かりません。

2013(平成25)年9月の台風18号の影響がまだ残っています。

↓恐らくこの辺りが峠の最も高いところで、且つ最も掘り下げられたところなのだろうと思われます。

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登坂車線が終わります。向こうに見える橋は、東海自然歩道の橋です。昔から気になりながら、渡ったことはありません。

↓ああ、なるほどこれはダメだ。

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どうして通行止めになっているのか分かりました。
上の写真の左手にある石碑が「逢坂の関址」の碑なのですが、これでは近づけません。

ここを過ぎると、京阪大谷駅と大谷バス停跡が見えてきます。

大谷 おおたに
所在地:大津市大谷町
開設年月日:1928(昭和3)年3月14日設置、同26日営業開始
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:京阪大谷駅 大谷町自治会館 大津市営大谷団地 大津市大谷乗馬場 蝉丸神社 月心寺
キロ程:片原町から0.7キロ




江戸期から続く地名で、旧市街から大分離れますが、大津百町のうちに入っています。

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あらゆる説があってはっきりしたことが分からないとか、驚くような歴史的人物や歴史的事件が絡むこともある地名も多い中、ここは、見たままそのまま、誰もが想像できる実にあっさりした由来であることが分かります。

↓びわ湖放送の「近江風土記」第12回「東海道を行く」では、この旧道との東側の分岐点と思われる国道1号線が写っていて、ちょうど、信楽行きの帝産バス滋22か(?)157が走る姿が映りました。

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本放送は昭和46、47年頃のことですから、恐らく平成の初期くらいまでの20年前後、だいぶ長生きした車ではないかと思います。

正面に写っている看板の、うなぎの「かねよ」については別途取り上げます。

↓歩道橋から見た浜大津方面全景。

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↓このアングルの写真はたくさんあるので、見飽きられている方も多いかもしれませんが、大谷駅は、岐阜県の明智鉄道の野志駅と並んで、30‰の急勾配の途中に設けられていて、ベンチの脚の長さが異なっています。

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駅を作る際、線路の勾配は10‰までが原則なのですが、ここは当時の技術ではその傾斜に押さえ込むことができなかったのか、開通当時の内務大臣の特別な許可で、このような形になったそうです。今の電車はブレーキ性能がよくて大丈夫だろうと思いますが、開通当時に何を根拠に内務大臣はこれを許可したのでしょう。
幸い、今までここで電車が転動して事故になったというようなことはないようです。

↓京都方面のバス停は、少なくとも1983(昭和58)年頃から廃止時まで位置は変わっていないようです。

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あまり使われているという感じがしない自治会館の真ん前です。
一応バスポケット?らしいものがあります。谷底のなけなしの土地でやっとひねりだしたという感じがします。

一方、浜大津方面のバス停は位置が変わっているようでした。

↓1988年版から98年版までの住宅地図上では、現在駅のホームがある辺りにバス停があったことになっているのですが、とてもひとが待てそうな雰囲気ではありません。

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地図やネットを調べ直した結果、恐らく、1997(平成9)年10月の地下鉄東西線開通、片乗り入れ開始に先立って、前年の11月16日に4両編成への対応を考慮して駅を浜大津寄りに71m移設したことが関係しているのだろうと考えられました。

現在の「大谷旅客通路」という構内踏切が、この移設の時までは、線路北側の団地から国道に出るための通路で、その踏切のそばにバス停が置かれていた、と考えれば強ち不自然ではありません。ただ、住宅地図の印刷は多少ずれているかもしれません。

↓推定位置。

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↓1997(平成9)年版以降確認できる位置は、現在の大谷下手踏切のそばです。

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私がおかしなことを書いているように思われる方がいるかもしれません。
それなら、1997年と1998年は浜大津方面のポールが2か所あるのか?と。そうなのです。住宅地図上は2か所あることになっていますが、もちろん何らかのミスだと思われます。

峠越えでお腹が空きましたので、ここで腹ごしらえをしたいと思いますが、少し長くなりましたので、これについては次回にしたいと思います。
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