青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
粟津 あわづ
所在地:大津市別保一丁目または杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:別保一丁目自治会館 西念寺


粟津は、奈良時代以前から見える古い地名です。時代によって指し示す範囲は変わったようですが、概ね膳所から唐橋辺りを広く指す地名と考えられています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P79-80)

吉田金彦は「大津」という地名同様、「逢う津」から来ている可能性があるとしています(『京都滋賀古代地名を歩くⅡ』(P166-167)が、一方で坂本の日吉大社に粟飯を献上したから粟津というようになったという説も紹介しています(P172-173)。



ただ、現行の住所における「粟津町」からはだいぶ離れています。
↓旧大津市内線が走っていた当時は、どんな景色だったのだろうか、と思いながら歩くのですが、どうしても想像がつきません。

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↓昭和37年の地図にもこの道は記載がありました。私にとっては貴重な目印です。

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↓西念寺という寺の前です。

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なぜか卍の印は地図にありません。でも、この道にぴったりの道はほかにないのです。

↓粟津のバス停はこの交差点付近にあったようです。

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↓JRをガードでくぐってまっすぐ行くと、国道の「上別保」バス停のところに出ます。

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昭和37年の地図の記載によると、もともとは踏切だったようです。恐らく複々線化のタイミングで廃止されたのでしょう。線路の北側に至る道は、本来この道ではなく、付近の別の道だったようです。踏切を廃止したその位置で、そのままガードをくぐらせて線路の北側に来るようにすると、大掛かりな立ち退きを差せない限り、湖岸方面に抜ける道がなくT字路になってしまいます。湖岸に直接行き来できるように、大きく曲げられたものと推測されます。
地形図で分かるかな、と思いましたが、細かすぎてよく分かりませんでした。


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↓石山駅方面。左折すると京阪粟津駅です。

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驚いたことに、1964(昭和39)年現在の路線図では京阪の粟津駅前にもバス停があって、路線があったことが分かります。これについては何の手がかりもないのですが、また調査して何か分かり次第取り上げます。

↓瓦ヶ浜方面

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↓次の瓦が浜との間には、杉浦重剛(じゅうごう)の旧宅の案内がありました。

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私は不勉強で、名前しか知りませんでしたが、調べてみると明治の教育者、思想家です。何と皇太子時代の昭和天皇のご進講(教師)を務めたのだそうです。

↓旧宅は、住宅街の中にあり、この地域のところどころにある、古くからの住民の家と同じように見えて、最初は気が付きませんでした。

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次は、瓦ヶ浜です。
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