青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
私みたいなモテて困る男には、「なつかしいバレンタイン」もかもくそもないのですが(?????)、ギロック(1917-1993)に「なつかしいバレンタイン」といういい感じの曲があったので、ご紹介まで。練習初期段階の時の録音ですが、新しいのを撮っている暇がないので恥を忍んでUPします。



音が多い曲はもちろん難しいんですが、少ない曲は少ない曲なりに難しいです。ピアニスト顔負けにピアノの腕前が素晴らしかったと言われる、日本を代表するバリトン歌手・中山悌一(1920-2009)は、ピアノ科の学生が、音の少ない曲が下手クソで話にならないと怒っています(『ショパン』1984年6月号P28-29)が、そういう曲はタッチの能力が如実に出て、変なことばですが、スピードでごまかせないからだと思います。

「なつかしいバレンタイン」でもないのですが、ちょうど2年前の今日は雪がひどくて、夜、ダイヤが乱れていて、なぜかB車が次々と一般運用に現れました。

↓20:40発の南郷二丁目東行き。B-1904。チョコレートの入った大きな紙袋を2つも3つも提げながら撮影するのは大変だった……なんて述懐してみたい…。

ssIMG_3475 (2)

もうこの車もないんですね。

↓B-3969
ssIMG_3477 (2)

一旦回送で引っ込んだ後、また新浜行きとして現れました↓

ssIMG_3490.jpg

↓B-1905も現れました。

ssIMG_3479.jpg

特にB-1904、1905がヘッドライトを照らして走行するのを見たのはこれが最初で最後でした。岩間寺臨時便か競艇・競輪の無料送迎、あとは貸切や朝ラッシュに何か起きた時の代走くらいしか走らないので、毎日のように利用していても夜の走行はまず見ることがありませんでした。

話が飛びますが、「なつかしすぎるバレンタイン」へ…。60年前の今日、1953(昭和28)年2月14日付朝日新聞京都版↓

S28.2.14AK 学問より就職b

テレビなどで聞いたことはありますが、入試問題は本当に刑務所で印刷していたんですね!驚きました。
この当時の日本では、まだほとんどバレンタインなどというものは知られていなかったようです。知られていたところで、受験生はそれどころの騒ぎではありません。
現在の目で読むと女性差別ではないのかと思われるような表現もあります。そもそも京都大学に女子が入ることができるようになったのは昭和21年4月実施の入学試験からです(旧帝国大学でも、東北、九州など戦前から女子が入学できる大学もありました)。

「学問より就職」…60年前こう書いた記者は、今の大学を見たらどう書くのでしょう。

そのすぐ横には、ここにはUPしていませんが、京都市動物園でメスのヒョウがオスのヒョウをかみ殺したという記事。一昨年の9月、アメリカの動物園で「三角関係のもつれ」で、メスのトラがオスのトラを殺したなどというニュースがありましたが、日本でも似たようなことが60年も前に起きていたことに驚きです。愛を表す日のはずがとんだ物騒なニュース。

↓印刷が悪くて読みにくいですが、その横に違う意味で愛のある記事をやっと見つけました。

S28.2.14AK 警官が情の家b

大阪の印刷所経営者が騙されて商売道具である印刷機などすべて売り払わざるを得なくなり、子ども3人を抱えて、文字通り「路頭に迷った」ところを、京都の警官が助けます。

GHQの占領から独立して、まだ1年も経っていない60年前の今日の日本。この時の隔たり、積み重なりは、遠いのか、近いのか、いずれにしろ、日本にこんな時代があったことを知らないといけないのではないか、と古い新聞を読むときに私は思うのです。
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