青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

現在此の学園の中で共に働きつつある全職員に対して、私は運命の必然を今感じるのである。一人ひとりはお互に偶然の手に導かれてこの南郷の丘に集まった。それはここに来るようになった子どもたちも同様である。広い世間の中でたまたま乗合バスにのり合わせたような偶然であるといってしまえばそれまでであるかも知れない。しかし、この南郷の丘の学園は全てその偶然を必然と化する不思議なものをもっている。一体それは何であろうか。
(糸賀一雄「Ⅲ 発展のなかの危機」『復刊 この子らを世の光に』191 NHK出版 2003)



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岡の平 おかのひら
所在地:大津市南郷六丁目字岡の平
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
旧称:立木北口? 近江学園前
付近:旧滋賀県立近江学園(1971(昭和46)年9月 石部に移転)
キロ程:南郷から0.4キロ(石山駅から5.8キロ)







「岡の平」は法務局で公図を見ると、小字として記載がある地名で、ほぼ今の南郷六丁目に相当します。自治会の名前としては生きていますが、『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』の「小字一覧」(P1053)には記載がありません。小字は時代により変動が大きいので、典拠となっている資料の時代や書き方によってはこんなことが起きてしまいます。

↓石山駅方面 

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↓石山駅方面、大石方面を望んでいます。

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↓大石方面のポール

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ご覧の通り、付近に民家は全くなく、つい最近まで一体だれが利用するのだろうか?と思っていましたが、最近、南郷よりこのバス停の方が近い位置に新興住宅地ができています↓

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しかし、決して利用者が多いとは思えないこの目立たない停留所には「運賃区界」「折り返し地点」という重要な役割があります(ありました)。

南郷までで1区、そこからバス停1つ空けてここから、分かりにくいのですが実はゴルフ場前・外畑までが更に別の1区というのがもともとの形です↓

ss平成元年8月現在路線図

こんな形にされているがために大石小学校からは、僅かな違いで、3区運賃を払わねばなりません。今は京都大阪も含め、京阪バス全体でもまとまった本数とまとまった利用者がある「3区」というのは大変珍しく、PiTaPaパンフレットの「3区」の例は石山駅-大石小学校間とされています。

T.F.様が石山駅前で撮影されたA-1480号車。1981-1982年頃と思われます。

滋22か777

「岡の平」の行き先を表示している写真は、私が知る限り本記事UP日時点でこの1枚しかなく、大変貴重なものです。

因みにリンクさせて頂いている「京阪バス情報局」内「すこし昔の京阪バス写真集」内では、この車両が旧53号経路内畑行きとして南郷中学校バス停で乗降扱いしている様子のカラー写真が掲載されています。

現在は「新浜」行きが常識ですが、「新浜」まで延伸したのは、1983(昭和58)年ないし1984(昭和59)年頃だと思われます。「石山南郷団地」が開発されるのに合わせてロータリーができたのです。

↓一旦堤防の方に頭を突っ込んでターンしていたというようなことを聞いたことがありますが、今様子を見ても想像がつかず、かなり危険な感じがします。

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しかし、この折り返しは実は驚くべき長い歴史を持っています。2010(平成23)年10月15日付拙稿1955(昭和30)年10月15日 京阪バス大津地区ダイヤ改正で取り上げた1955(昭和30)年10月15日付朝日新聞滋賀版↓

S30.10.15 朝日新聞

「近江学園行き」――――これが「岡の平行き」のことです。「新設」とあるので、この時から27、28年程度ここでの折り返しが続いたのでしょう。「南郷」の項で書きましたように、南郷で旅客需要が一段落するものの、南郷では適当な折り返し場所がなかったので、岡の平を折り返し場所としたのでしょう。1967(昭和42)年4月の特殊区間制導入時に、運賃区界もこれに合わせれば、石山駅―岡の平間は均一で整理券の発行の必要もなくてちょうどいいのに、なぜかバス停1つ分だけはみ出させています。

「近江学園」―――――このバス停が、日本の障害児福祉・教育のパイオニアの1人として、その歴史を語るのに絶対欠くことのできない、糸賀一雄が設立した「近江学園」の最寄りバス停で、その名も「近江学園前」だったことを記憶しているひとが、今どれほどいるでしょうか?

この、今は僅かな民家と農地しかない丘の上で、高い理想を掲げ、時に失敗や挫折もしながら、たくさんの職員や子どもたちが、汗と涙を流しながら必死に生きていたのです。

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近江学園は、大石小学校行きのバスに乗ると、右手に見えるよく目立つこの坂を上ったところにありました。

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近江学園はバス停名にも採用されていて、近江学園を外して岡の平バス停を語ることはできませんし、南郷の地が実は戦後日本の障害児福祉・障害児教育を大きく動かした場所であるという歴史を、ここに蘇らせたいと思いますので、次回は、近江学園についても掘り下げて書きます。
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この記事へのコメント
淡い記憶なんですが
大石方面行きのバス停に写っている「諸車通行止」と書かれている所の奥が砂利道になっていて、現在資材置き場になっている?所あたりまで道があって転回していたはずです。かすかな記憶で申し訳ないです。
20年以上前までは近江学園の建物が残っていましたね。当時国道沿いに歩道はなく危険やからと丘の上の道から新浜の住宅街へ行っていた記憶が・・・
でも建物は廃墟と化して通るのが怖かったですね。
2013/05/21(火) 23:35:57 | まんたろう | #-[ 編集]
Re: 淡い記憶なんですが
まんたろう様、いつもお世話になります。洗堰の項の写真もありがとうございました。

> 大石方面行きのバス停に写っている「諸車通行止」と書かれている所の奥が砂利道になっていて、現在資材置き場になっている?所あたりまで道があって転回していたはずです。かすかな記憶で申し訳ないです。

なるほど、今のスペースだけだと、それこそ近江学園があったような交通量が今より遥かに少ない時代でなければ、大型車が折り返すのはずいぶん厳しいなあと思っていたんです。そのくらい余裕があるなら十分ターンできそうですね。

> 20年以上前までは近江学園の建物が残っていましたね。当時国道沿いに歩道はなく危険やからと丘の上の道から新浜の住宅街へ行っていた記憶が・・・
> でも建物は廃墟と化して通るのが怖かったですね。

おお!正にそのことを次回書こうとしていたんです。
私の同級生も、同じようなことを言って、よくここを通ったと言っていました。
20年以上前どころか、ほんの数年前まで一部の建物が残っていたんです。
名前ははっきりとは書いていないものの、どう考えてもこことしか考えられないような情景を描写して、「廃精神病院」だと全く事実無根なことを書いて、「心霊スポット」だと書いているサイトもありましたが、周囲に民家もあり、寧ろこちらの方が安全だとされていたのに、とんでもないなと思います。

2013/05/22(水) 00:05:56 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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