青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
大門 だいもん
所在地:大津市大門通
開設年月日:不明
付近:江若交通労働組合 長等市民センター(大津市役所長等支所・大津市立長等公民館)
キロ程:三保ヶ崎から0.2キロ


行政上の地名は現在、「大門通」ですが、バス停名は単に「大門」です。大津市内で「通」がつく行政地名はここだけですが、特に道路式の住居表示をしているとか、京都のような通り名制ということではありません。
1965(昭和40)年から現在の町域となっていて、もともとは大津百町の一部だった下北国(しもほっこく)町、北保(きたほ)町の各一部と、上大門町、下大門町、南別所町が合併して成立した(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P438)とあります。

バス停名も、古い地図では「下大門町」と書かれています。「大門」というのは園城寺(三井寺)の大門を指しています。

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住宅地図が、ほぼ現在と同じような書き方になって、ある程度信頼できるようになる1985(昭和60)年版前後からは、位置が変わっていないようです。



↓1つ手前の「三保ヶ崎」との間にある京阪電車の「三井寺4号踏切」は、家1軒のためにある踏切として有名です。

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1966(昭和41)年版の住宅地図では住人の名前が書かれていますが、現在は見るからに空家のようです。

↓浜大津・石山駅方面のポール

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↓市役所前・滋賀里方面のポール

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↓そのポールから見た、三井寺方面全景

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この辺りは、国分周辺と並び、大津営業所管内でも屈指の狭隘区間です↓

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現在は朝の片道1本の26号経路(石山駅-湖岸道路-大津京駅)の他に、大津比叡平線の送り込みを兼ねた16号経路が通るだけですが、かつては市役所に通じる大動脈で、京阪バスと江若バスがひっきりなしに走っていたようです。私が知っている80年代後半でも、大石小学校から石山駅を越えて国道方面に直通するバスは、15時台最終の1回の28号経路西大津駅行以外全て26号経路の浜大津行きだった一方、逆に南に向かう便はほとんどが28号経路西大津駅発大石小学校行きです。従って、今となっては信じられませんが、ここを日中は1時間に2回、大石小学校行きが通っていたことになります。

因みに、上の写真で右手に写っている白い建物は、江若交通の労働組合本部です。

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江若鉄道が走っていた1966(昭和41)年時点の住宅地図でも、既にこの位置は組合本部となっていました。
それもそのはずで、乗務員宿泊所だったこの建物を、宿泊所が移転したのをきっかけに1964(昭和39)年12月1日から組合事務所用に改造したのがその始まりなのです。その前の組合事務所は、倉庫を改造したものだったそうです(『江若交通労働組合30年誌』江若交通労働組合30年誌編集委員会編P32 1998)。

↓建物の壁に描かれた地図が、何とも言えず役に立たないいい味(笑)

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三井寺駅は書かれていなくてなぜか、「市役所前」という架空?の駅が…。何か、和邇の駅前の衝撃の看板と、塗料のハゲ具合が似ているなあ…。どうせならあのくらい大胆な、「シュールレアリスムの爆発」みたいな絵にしてほしいなあ。え?私が描くの?いやいや、普通に下手なだけだから面白くないです。

この建物の北側を通る、京阪電車の線路を越えると、現在はミニストップ大津大門通店、ドラッグストアキリン堂と長等市民センター↓が並んでいますが、ここが正に江若鉄道の三井寺下駅と車庫、本社でした。

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江若鉄道が廃止になってからも、長らく江若交通が経営する「三井寺下駐車場」でした。

江若鉄道の遺構について、ちゃんと説明するような看板や碑文のようなものはほとんどないのですが、ここは例外で、長等市民センターに一応このような看板があります↓

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↓交差点付近から浜大津方面

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次は、三井寺です。
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コメント
この記事へのコメント
私は23歳まで下大門のバス停の前に住んでました、びわこ国体のときに江若もなくなっていたので、通りができました、甘納豆やさんとか江若労働組合、お風呂やさんもなくなって、昔の下大門は大きく変わりました。江若鉄道の入口には料理やさんとか旅館もあったんです。  大昔はバス停が上大門にあったのに(今と同じ)名前は下大門でした。しばらくすると、市役所方面は下大門のバス停がかわりました。このバスがないときは長等公園したで、三井寺からのって大津駅まで、このバスができてよかったです。昔は広い道だとおもってましたが、今は狭いですね。
2017/02/18(土) 02:07:10 | そば打ちおじさん | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
そば打ちおじさん様、久しぶりのコメントありがとうございました。びわこ国体というと、1981(昭和56)年ですね。
下大門、上大門の区別がよく分からないのですが、仰っていることからすると、恐らく今、大門のバス停がある辺りは上大門なのに、下大門を名乗っていて、もっと江若の線路より、今の三保ヶ崎バス停に近い方が下大門という通称なのでしょうか。

こういう通称のようなものや旧町名は本当に根っからの地元のひとでないと難しいですね。きっちりここからここまで、というのもあるようなないようなでしょうし。南郷や田上のような郊外だと、それが「赤川」といった小字や「湖南台住宅」など新興住宅地の開発業者名などに相当するのでしょう。
2017/02/18(土) 10:21:37 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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