青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
中書島に京阪のミュージアムトレインが来るとのことでしたので、行ってきました。
多くの方は、中之島の方に行かれたようですが、私は遠いので、中書島まで来てくれるのを待っていました。
京阪「バス」のことはともかく、京阪「電車」の方は全くの素人なのですが、参考になることがあればと思ったのです。

その前に、京阪バスの聖地???「京阪バス発祥之地」の石碑を見に1つ北寄りの伏見桃山に行ってきました。
京阪伏見桃山駅と、近鉄桃山御陵前駅の間です。京阪バスは、ここと桃山御陵を結ぶ路線を開設したことにその歴史が始まり、合併や分離を繰り返して現在の姿になりました。
下の説明を読むと分かるのですが、たった0.8キロから全てが始まったんですね。千里の道も一歩からです。

京阪バス発祥之地石碑   碑文

近くに後継会社の路線がある京阪宇治交通の発祥の地の石碑(宇治田原町岩山)と違い、ここには路線がなく、周りは賑やかであるが故、一層寂しいです。
1997(平成9)年7月26日まで、旧京阪宇治交通の110系統が1日2往復だけ走っていて、近鉄のガード下付近に「京阪桃山」バス停があったそうです。
ただ、「寂しい」と書いておいて矛盾するようですが、下の写真の通り、バスが走るのは苦しい道です。

伏見桃山


うわ~!今日は何かのお祭りか、と思うような賑々しさ。浜大津のシャッター通りに慣れていると、商店街にこんなにひとがいる、というのが逆に不思議に思えてしまいます。人口規模が全く違うとはいえ、うらやましいです。

大手筋

中書島に移動すると、日中はほとんど使われない4番線にミュージアムトレイン。

ミュージアムトレイン

こういう展示としては珍しく、中での撮影が自由だったので、いろいろ撮りました。
門真市駅前など、京阪バスが写っている写真はやはり目を引きます。

門真

見にくいですが、昭和10年の路線図でも、ちゃんと外畑は書かれています。この時点で、前身の会社も含めれば、開通から既に10年ほど経過していたはずです。

昭和10年 路線図

浜大津は大きく特集されていました。

浜大津界隈

このモノクロ写真の京阪石山寺はいつごろの撮影なのでしょう。瀬田川がいやに近く、またものすごいひなびた終着駅に見えます。大津の旧市街から石山団地や南郷方面に引っ越してきたひとや嫁いできたひとが、冗談半分で「石山寺より南にひとなんて住んでいるのか?と思っていた」と地の果てのような言い方をするのを何度か聞いたことがありますが、こういう写真を見ると、あながち嘘でもなく思えます。

京阪石山寺

しかし、私が更に心を奪われたのは、京阪坂本駅前追分の、バス停が写っているところでしょうか。

京阪坂本全景  京阪坂本駅前 拡大

右の写真は、左の写真の真ん中に写っている写真の右に見えた文字を拡大して写したものです。
右から「坂本港 近江神宮前 浜大津 国鉄大津駅 のりば」と書かれています。「坂本港」がよく分かりませんが、廃止された29号経路(石山駅-湖岸道路-浜大津-比叡山坂本駅)の前身の路線はかなり昔からあったことは確かなようです。 

追分はもっとすごいと思いました。

追分全景  京阪追分 拡大

見にくいですが、「石山寺 瀬田 浜大津 方面行 のりば」と書かれています。
ポールは、いわゆる「食パン型」の昔の京阪バスのポールと違って、まるいポールで、それでいて今のバスの絵が描かれたものとも違います。他社と共用なのかな、と思うのですが、でも「京阪バス」としか書かれていません。

京津国道線がまだまだ元気いっぱいで、瀬田町行きがあったな昭和30年代から42年頃ですね。「瀬田町」行きはやっぱり京都から直通していたのですね。どこかに昭和30年代の時刻表があったと思うのですが、こないだから探したおして見つからないので、また出てきたらご紹介します。

展示の本筋ではないなと思うのですが、これだけのことでも、わざわざ中書島まで行ったかいがある、と思われてきます。
 
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
セピア色の思い出
写真の京阪石山寺駅・・・私の生まれる前ですね。
 私が物心ついたときの京阪石山寺駅前の交差点はまだ信号がなかったですが広い道は通ってました。。信号ができたとき、父にせがんで車で観に行ったこと(通過したこと)を覚えています。
幼稚園から小学校二年生の時まで、私は膳所の某空手道場へ通っていましたが、京阪石山寺駅では和服を着たおばあさんが切符を売っていて、いつもお世話になってました。一度、お金を持っていくのを忘れたことがあって(京阪バスは回数券を持っていたので大丈夫でした。)ただで(立て替えて?)切符を出してくれたことがあります。勿論次に道場へ行く日、切符代はおばあさんに返しました。
「三丁目の夕日」のエピソードに使えそうですね。(昭和50年代だから5丁目?)昔の石山坂本線の各駅には委託でしょうか、切符の窓口にはおじいさんやおばあさんが座っていました。
なお、空手道場は、小学校二年のとき、行く途中石山団地で帝○バスにはねられてから、通わなくなりました。
浜大津の写真は江若鉄道が走っていたときのものでしょうか。うちの母は大阪から江若鉄道でマキノまで会社の仲間とスキーに行ったことがあるそうです。スキーの帰り、グループの一人がスキー板をマキノに忘れたことに気が付き、先輩の男性がマキノまで取りにいったそうです。
母とその仲間たちは浜大津駅前のパチンコ屋で時間つぶしをして先輩の到着を待ったそうです。
母とは妹も交え、よく浜大津を通って大阪へ出かけました。将来、子供をつれて浜大津を行き来するとは、母も想像できなかったでしょうね。
浜大津西口に着いた三条発の準急(または急行)を降りて、東口に向かって母と妹、私の三人で走って坂本発石山寺行きに飛び乗ったのもいい思い出です。(1971年生まれの妹は覚えてないらしいですが。)
以上駄文失礼しました。
2010/09/27(月) 01:48:02 | K2 | #-[ 編集]
No title
K2様 いつも素敵な思い出をコメントして頂き、ありがとうございます。
今となっては信じられないことですが、石山駅以南には、信号はほとんどなかったようですね。地域で支えるという感じの委託駅の雰囲気も好きですね。
それにしてもお母さんのスキーの思い出もすごいです。その当時としては最先端でしょうね。私は、新聞で、マキノのスキーの記事を読んだり、こうした展覧会を見ながら、こんな大変な道のりで、スキーに行ってはってんやな、と思って読むだけでしたが、リアルにそれを経験されている方が身近にいらっしゃったとは…。
また何かありましたら、宜しくお願いします。
2010/09/27(月) 23:21:18 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/69-bb230a42
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック