青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
穴太

穴太 あのう
所在地:(北行き)大津市穴太三丁目
    (南行き)大津市穴太二丁目
開設年月日:1970(昭和45)年から1976(昭和51)年の間
廃止年月日:2006(平成18)年7月1日
付近:京阪石山坂本線穴太駅 財団法人泉会びわこ老人の家 
キロ程:滋賀里から0.9キロ


滋賀里からは、間にもう1つバス停があってもおかしくない0.9キロもの距離があります。そもそも道路自体がごく新しく、路線が開設されたばかりの頃は宅地開発も進んでいなかったのでしょう。電車の駅と駅の間も距離があり、客の取りこぼしがもったいないです。



「付近」として京阪穴太駅↓を挙げましたが、少し離れていて、今バス路線が復活したとしても十分棲み分けができるだろうと思われます。

IMG_5329_201410191837343ae.jpg

日本書紀の中では「穴穂」、延喜式では「穴多」などと書かれるほか「穴尾」「穴生」などとも書かれる古い地名ですが、現在は「穴太」で統一されています。古代律令制のもとでは、馬5疋(ひき あえて「頭」でなくこう数えるようです)だけの小規模な「穴太駅」という宿駅だったそうです。

「穴」のつく地名のあるところに限って、これといった洞穴などはないことが多く、寧ろ広々とした平地や、見晴らしの良い場所であることが多いことを、吉田金彦は指摘しており、穴太についても、名前の「ナ」に接頭辞の「ア」がついた「アナ」と、「秀(ホ)なるところ」、つまりすぐれたという意味の「ホ」と組み合わさって、有名なところ、優れた場所、といった意味合いではないかと言っています(『京都滋賀古代地名を歩く』P186-187)。

何と言っても有名なのは「穴太衆積み」と呼ばれる石積みで、この穴太に優れた石工集団が住んでいて、安土城建設の時に有名になったと言われています。(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P71)

IMG_5238_20141018205749008.jpg

↓大坂城などの城郭もいいですが、穴太では盛安寺の石積みが特に美しいと言われています。

IMG_5422_20141101011532013.jpg

IMG_5423_201411010032041a6.jpg

↓盛安寺の門 時代劇でも見ているような気分になってきます。

IMG_5424_20150104123352329.jpg

↓盛安寺本堂

IMG_5425.jpg

拝観料300円と書かれているのですが、ひとけがなく、どこで支払ってよいのか分からず、庫裏(くり)に行ったら、
「観音さんのところでお賽銭を入れてもらったら」
と言われたので、道を挟んで南側にある観音堂に…。

IMG_5443_20141101003203c29.jpg

↓素晴らしい…

IMG_5439_20141101003201265.jpg

↓重文の指定書なんて初めて見ました。誇らしげに示されています。

IMG_5441.jpg

他のサイトさんの中には、「拝観料はいいと言われた」なんて書いてあるところもあって、何で対応が違うねん!と納得いかない感じ(笑)ですが、これだけのものを見せて頂いて300円なら安いものです。

拙ブログで何度も引用している、大正期に活躍した作家・田山花袋も、この辺りをよく歩いたようです。

仲哀天皇が產湯をつかつたといふ井戶のあと―――井戶の跡と言ふよりも、むしろ水溜だと言つた方が適當(=適当)な、さゝやかな水、そこには落葉や埃塵が一杯に溜められてあるのを私は目にした。
(田山花袋「高穴穂宮址」『京阪一日の行楽』P629)



↓ここのようです。

IMG_5600.jpg

ネット上では写真がいくつかヒットするのですが、現在は立ち入り禁止で、離れた位置からしか見ることができません。周囲に倒れ掛かっている木があることからもわかるように、恐らく災害の関係で安全が確保できないためではなかろうかと思います。

肝心のバス停の話がまだでしたが、長くなったので、バス停の詳細は次回別途書かせて頂こうと思います。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/687-f9c328d1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック