青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
前回に続き、下阪本です。

前回も書きましたように、下阪本バス停は、江若鉄道の叡山駅の代替バス停でした。
DRFC-OB デジタル青信号内の、今でも気になる江若鉄道(2)という記事にUPされている、廃止直前の同駅の写真には、このバス停を案内する地図や江若バスの時刻表が掲示されているのが写っています。

叡山駅の跡を見に行ってみましょう。

バス停近くの路地から奥に入ると、旧北国街道とクロスします。

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こちらをバスが通っていた時もあるようなのですが詳しいことは未調査です。

更に歩くと、神社と神社が向かい合っている変わった場所に行き当たります↓

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↓北側が酒井神社

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↓南側が両社神社

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神社が公道を挟んで向かい合っているというのは全国的にもそうそうある光景ではないと思います。両方が神社だから、という意味で、この辺りを「両社の辻」と呼ぶようです↓

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あれ?…記事を書きながらふと気づいたのですが、下から4行目、「本殿」の英訳として使われている"main parlour"、これはイギリスのスペリングですね。アメリカ英語はがない"parlor"です。

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少し古めかしいですが、喫茶店を「パーラー」と呼ぶことがありますね。その「パーラー」です。英語本来の意味は「客間」という感じです。

だいたい日本では表示も音声もアメリカ英語が多いので、わざわざイギリス英語が使われているとすごく目立ちます。
(身近なところでイギリス式の発音、言い回しが聴けるのは京阪特急や関空特急《はるか》などです)

余談ですが、「労働」の"labour"、「色」の"colour"など、イギリスの英語にはアメリカにはないuが挟まることがあります。他にもつづりの違いは多岐にわたります。
アメリカ建国の立役者の1人で、有名な教育者だったノア・ウェブスター(Noah Webster)は、
「イギリス英語のつづりは無駄に難しい。アメリカの英語はイギリスとは違う」
と言ってuをとってしまうなど、あらゆる単語のつづりを簡略化した辞書を作り、これが19世紀以降全米に普及したために英米でかなりの違いが生じてしまいました。centercentretheatertheatreといった違いもこの時生じました(赤がアメリカ、青がイギリス)

「粟津の晴嵐」もわざわざ、ヴィクトリア朝イギリス文学の大作「嵐が丘」の原題"Wuthering Heights"に因んで、"Wuthering Pine Trees"云々と訳されていたので、大津市各地にみられるこの案内板の英訳をしたのはイギリス英語の専門家なのか、また、イギリス人が監修したのかもしれません。
(きっと、訳した方はこれこそぴったりな名訳だ!と鼻高々だったことと思いますが、残念ながら「晴嵐」という日本語の意味が分かっていない誤訳です。「晴嵐」は嵐ではなく、簡単にいえば山から立ち上る霞なのです)

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話が横にそれましたが、道は真っ直ぐ歩くと、大津市立下阪本小学校が見えてきます↓

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耐震工事中のようです。

↓そしてその斜向かい辺りには、江若鉄道があった1968(昭和43)年の住宅地図にも記載がある工場が。

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江若鉄道が走っていた当時から既にこの建物だったのでしょう。

↓住宅地図と照らし合わせると、現在湖西線が走っているこの位置が、旧叡山駅だったものと思われます。

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当時を物語るようなものはありません。
昔は、それこそ原田泰治の絵のような鄙(ひな)びた田舎の駅の光景だったのでしょう。

たまたま京都、大阪に近かったこと、北陸への短絡ルートだったことで、景観が一変しましたが、そうでなければ今もJRのお古のようなディーゼルカーが1時間に1回ガラガラとエンジン音を響かせて走るような路線だったのかもしれません。

先述の、今でも気になる江若鉄道(2)中の写真で、下阪本のバス停に行く案内図が写っていますが、そこで示されている道は、こんな細い道です↓

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↓国道寄りが窄(すぼ)まっているため、国道側から振り返ると余計に狭く見えます。わざわざここを案内しなくても、と思うような道ですね。

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↓そして、国道に出たところの向かいに、浜大津方面のバス停がありました。

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逆に浜大津方面のバス停から反対側を見ると、前回の記事でUPした写真と同じで恐縮ですが、こういう感じに見えます↓

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そう、現在の北行きのバス停と、以前の北行きのバス停の間の狭い路地が、先ほどの道なのです。

1985(昭和60)年頃の住宅地図では、浜大津方面のバス停は既に現在地にあったようですが、江若鉄道が走っていた当時は、ここにあったようです。その後約16年の間に移転したのでしょう。

因みに、堅田方面のバス停は前回、旧位置としてご紹介した方のポールの位置でした。下の写真では、北行きの旧位置を青、南行きの旧位置を赤で示しています。

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↓ではこれから向かう南の方向に改めて目を向けて…

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次は、石川町です。
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