青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

岡野が駒沢善次郎にはじめて会ったのは、昭和二十八年九月一日、京都嵐山のある割烹旅館の朝食の席である。岡野はたまたま骨休めにここに泊まっており、前夜来紡績業界の大立者(おおだてもの)の懇親会が催おされていることは知っていたが、翌朝になって、廊下で旧知の桜紡績社長村川にたまたま出会い、無理に誘われて、朝食の席に列なることになった。
(三島由紀夫「第一章 駒沢善次郎の風雅」『絹と明察』P7 1964 新潮社)



(今回は交通関係の話題はありませんので、興味のない方はスルーして下さい)

三島由紀夫というと、文壇で不動の地位を築いた『仮面の告白』や『潮騒』『金閣寺』辺りが代表作で、さすがの私もそれらは読んだのですが、堅田を歩いた時に、この作品に関わる文学碑を見て、初めてこの作品を知りました。
本作は彼の作品としてはどちらかというとマイナーに見える作品ですが、数少ない滋賀県を主たる舞台とする小説で、石山寺や唐崎など、大津市内についても詳しく描写されているため、拙ブログでもしばしば引用しておりました。

絹と明察 (新潮文庫)絹と明察 (新潮文庫)
(1987/09)
三島 由紀夫

商品詳細を見る


彼についてはその思想や1970(昭和45)年11月25日のあの驚くべき死に方とが必要以上にクローズアップされている感がありますが、私はもっと作品1つ1つを丁寧に読む必要があるのではなかろうかと思います。

「近江絹糸争議事件」という1954(昭和29)年の彦根で実際に起きた労働争議事件を下敷きにしながらも、独自の見解でこの事件を分析し、1つの小説に仕立て上げています。

ちょうど60年前の今日、語り手である「岡野」が、京都で駒沢社長に出会うところから物語は始まります。

IMG_1900.jpg

(引用者注 彦根工場の)見学がすむと中食(ちゅうじき)が出て、それから工場の桟橋へ導かれ、駒沢のもてなしの眼目がそこにあった。すなわち駒沢はこの日のために、百五十噸(トン)の遊覧船湖月丸をチャーターして、客を近江八景へ案内しようとしていたのである。
 近江八景は彦根からはるか南下しなければならない逆路で(引用者注 一行は京都から車で彦根に来ていた)、忙しい客を相手のこんな野暮な田舎くさい接待に今さらおそれをなして、十人の客のうち四人までが、忘れていた約束を口実に、一行と別れて帰った。(中略)船が岸を離れると、駒沢は他の客の手前押し隠している落胆の色を、すでに隠しきれない様子になった。
(中略)
 岡野はそのとき、船が岸を離れる際、千人余りの女子工員が整然と居並び、駒沢紡績の白絹の馬の社旗を振りかざして、
「湖畔にそびゆる絹の城……」
 云々という社歌を合唱して、来賓を見送った異様な光景を思い返していた(後略)



最近、どこかの国で「戦勝60周年」を一糸乱れぬパレードで祝った国がありましたが、何だかそれに近いものを感じさせます。

「さっきの歓送の光景は感動的でしたね。千人余りの女子工員が、きれいに整列して、美しい声で社歌をうたって…」
「よう言うてくれはった。わしも船からあれを眺めてましたら、お恥かしい話やが、何やらこう目頭が熱うなりましてな」
 これは、出帆の際思わず正直に見せた落胆の色を、今になって後から言いくるめようとしているのだ、と岡野は考えた。



岡野氏、恐るべき意地悪です。

彦根を発った一行が、この後堅田に着いてからの様子は、堅田港周辺に立てられた文学碑に書かれています。

IMG_1873.jpg

IMG_1937.jpg

窄(せま)い堅田の町…↓

IMG_1884.jpg

ところどころにクリークや入り江のようなものがあり、同じ大津市でも南部の住民である私には不思議な景色です。

IMG_1752.jpg

IMG_1863.jpg

「ほとんど蘆におおわれた川面にかかる小橋をわたる」というのは、この橋のことでしょうか?


IMG_0314.jpg

IMG_0312.jpg

文中の郵便局は、この「大津本堅田郵便局」です。

IMG_1860.jpg

恐らく、三島は取材した当時のこの郵便局を描写したのだと思いますが、今は建て替えられたのか、様子がだいぶ違います。

IMG_1859.jpg

IMG_1858.jpg

9月1日ですから、まだ夏空だったことでしょう。秋というにはあまりに早く、夏というにはもう遅い中途半端な季節。出迎えた町長らと、社長連と芸者衆、黒い服が赤い花によく映ったと三島は書きますが、これを読むだけで、残暑が伝わってきそうです。


「その道を突き当たって、左折すると…」

IMG_0304_20130831215325bc1.jpg

IMG_0305_20130831215326b04.jpg

IMG_0306_2013083121532752e.jpg

「そこがもう浮御堂である」

IMG_1829.jpg

IMG_1866.jpg

IMG_1836.jpg

この後一行は、琵琶湖を南下して行きますが、その途中の唐橋で、新入社員歓迎映画会で火事が発生したという知らせを受け取ることになろうとは駒沢社長は夢にも思っていません。この火事は、この日ではありませんが、実際に発生した火事で、女子工員が何人も亡くなっていて、労働争議に何らかの影響を与えただろうと言われています。

社員はみんな子どもで社長である自分は父親(てておや)、みんな自分のことが大好きで尊敬を集めているとはなから信じ込んでいる、恐るべき独善ぶりに辟易させられますが、そんな体制が長く続くはずもなく、労働争議で倒壊させられます。

しかし、最後に京大附属病院で臥せってしまう彼は、語ります。

今彼らは、克ち得た幸福に雀躍(こおどり)しているけれど、やがてそれが贋(にせ)ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で考えるなどとい怖ろしい負荷を駒沢が代りに負ってやっていたのに、今度は彼らが肩に荷わねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に生きてゆかなければならない。(P283-284)



これが強ち単なる負け惜しみとも思えない、不思議な底力を持って聞こえます。

「父親」の死と、それを乗り越える「息子」―――乗り越えた「息子」、そしてそのまた「息子」くらいの世代に当たる私たちは、では今、本当に自由なのか?本当に幸せなのか?日本はどうなってしまったのか?そら見たことか、と言われているような気もするのです。

しかし、上には上がいるもので、この彼を、いやこの物語のすべてを操っているのは、今も京都市右京区にある、国立宇多野療養所に結核で入院している彼の妻・房江でしょう。

しらぬ間に、療養所でもっとも古手の、また、もっとも愛されない患者になっていた。(P92)



良人(おっと)がかえったあと、安静時間の午後の二時間を、房江は医者が命じるような無念無想の境に入ることはとてもできなかった。心には暗い喜悦がくすぶり、今年も亦、陰気な勝利に酔うことができたのだ。(P105)



年に1回しか見舞うことができない夫に、工場で胸を悪くして亡くなった数知れぬ女工たちと同じ病気になって、自分が「罪亡ぼしをしている」のだと、夫の首を真綿で締めるようなことを言っては、「透明な支配」をするのが彼女なのです。

デュ・モーリアの『レベッカ』は、原作では名前さえ与えられていない語り手の「わたし」ではなく、既に死んだ「レベッカ」が主人公で、物言わぬ彼女が物語を全て動かしていますが、それを思い出させられました。

三島は、駒沢社長に象徴される、このむせ返るような暑苦しい日本の家族制度の精神風土の根幹を支えているのが実は女性たちなのだと言いたいのでしょうか。人間は女からしか絶対に生まれないのですから。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/675-6837824c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック