青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

鹿跳澗※ 勢多川の下流即ち滋賀、栗太兩郡の間に在る。兩崖相接して山峽を形成し、其幅約二十八間川底の岩まで六間餘に過ぎざるを以て、鹿一躍すれば之を跳越するを得るが故に此名があると云ふ。夏は水底の巌石處々に現出し、奇狀萬態言ふべからざるものがある。石山からいくらも隔つてゐない。
(※引用者注 ししとびたに 原文では澗はさんずいに"閒”)


(田山花袋「二十四 琵琶湖」『田山花袋の日本一周 前編 【近畿・東海】』415-416 東洋書院 2007(復刻版))


南郷から二十町ほど下つたところに立木観音堂がある。川の岸から西に眞直に百米ほどのぼつたところにその堂がある。此處(ここ)までは、參詣者が常に多くやつて來た。
鹿跳橋はそれから五六町先にある。そこから橋をわたると、澤野の方へ行く路がわかれて行つてゐる。このあたりはいかにも景色が好い。潭(ふち)もかなりに見事である。これから岸について川は西に曲がる。山と山とがすぐそのその(原文ママ)裾を溪の上に落してゐる。(田山花袋「宇治川の上流」『京阪一日の行樂』P488 博文舘 1923)



「景色が好い」「見事」ということばを使わないでそれを表現できる方が本当は作家らしい、という考え方もありますが、でも引き締まったいい文章だと思います。さすがです。「澤野」はご存じの通り、国鉄バス時代から、現在の信楽高原バスに至るまでバス停名となっている大石東町の小字です。

鹿跳橋 ししとびばし
所在地:大津市石山南郷町字奥山
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:鹿跳橋
キロ程:立木観音前から0.4キロ(石山駅から8.3キロ)


鹿跳橋は南郷と大石、ひいては大津市街と大石、更には宇治や奈良を結ぶ重要な交通路で、「南大津大橋」ができるまでは、ここを渡らなければ直接の行き来はできませんでした。

↓橋から見た大石の町

IMG_6502.jpg

岡の平、新浜辺りからずっと、谷底を走ってきて、急に視界が開けて、町らしい町が見えてホッとします。



橋の歴史は古く、1895(明治28)年5月28日に木造の初代鹿跳橋が架かり(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P360)、1964(昭和39)年3月、天ケ瀬ダム建設による水没の補償として現在のコンクリート橋が架けられました。

架け替え以前の旧鹿跳橋の写真が、古い新聞記事に載っていました。1951(昭和26)年4月18日付京都新聞滋賀版↓
S26.4.18KS 激流岩をかむ鹿跳b

↓こちらは現在の橋です。

IMG_6491.jpg

新聞記事中の「南郷ピーヤ」というのが何のことか暫く分かりませんでしたが、旧洗堰のことはそのように通称されていたことが、いくつかの文献で分かりました。

『瀬田川浚渫と瀬田川洗堰改築の想い出』(建設省琵琶湖工事事務所 1984)に収録されている1971(昭和46)年3月12日の「瀬田川改修史座談会」においては、次のように書かれていました。

古い洗堰は確かに滋賀県の観光名物だったんです。明治何年、その頃でいえば本当に大きな土木事業ですから。そういう意味で名所になったんでしょうから。
流行歌もできているんです。洗堰小唄という。洗堰といわないでピアといいまして、ピア節かなんか。ピアといわないでピイアといったんです。(P39-40)



結局どれやねん!とツッコミを入れたくなってしまいますが、録音をそのまま書き起こしているので多少の表現の歪みはありましょう。

「洗堰小唄」ってどんな唄だったんでしょう。

で、一体ピイアとは何かですが、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内旧瀬田川南郷洗堰保存検討第1回ワークショップ報告では、語源は「波止場」の"pier"か「堰」の"weir"だろうと書かれています。

発音は前者の方が近いですが、同サイト内「B-MAP」及び「B-BOX」で見られる英語版の瀬田川洗堰のパンフレットで、瀬田川洗堰の英訳が〝SETA RIVER WEIR”とされていて、『瀬田川新洗堰説明書』(1959 瀬田川洗堰工事事務所編)でも、専門的過ぎて意味はさっぱり分かりませんが、洗堰の図面の中である部分を「ピーヤ」と示しているところがあったので、私は"weir"が語源だろうと思います。だいたい、「波止場」では意味がかけ離れすぎています。

私の手元の辞書で、"weir"は強いてカタカナにすると、アメリカ英語ならウェア、イギリス英語ならウィアで、だいぶ無理があります。ただ、洗堰ができた当時は明治で、アメリカ英語中心の今の英語教育と違って、イギリス式の発音の方が優先であり、それを聞き取り間違えたのだとするとあり得なくはないと思います。

それにしても、"weir"というのはかなり専門的な用語で、私も"dam"はさすがにニュアンスが違いそうだな、と思いつつも、普通に"gate"や"barrage"ではダメなのかな?と不思議に思っております。

国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内「B-MAP」及び「B-BOX」の「増水時の瀬田川鹿跳橋付近の様子(資料番号A07009B00012)」にも、架け替えられる前のものと思われるこの橋と同じ形状の鹿跳橋の写真があります。

曾てこの橋の付近は「米かし」と言って、米が研げてしまうほどの急流と言われ、奇岩が多かったということですが、天ケ瀬ダムができて、水位が上がったため、今は以前ほどの急流ではありません。

↓大石方面のバス停

IMG_5228.jpg

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曾ては外畑方面もここに停まっていましたが、今、この停留所に停まる定期路線バスは全てこの交差点で左折して橋を渡ります。直進すると外畑、内畑、宇治川ライン方面です↓

IMG_5227.jpg

上の写真は、この石山駅方面のポールの辺りから撮影しています↓

IMG_5224.jpgIMG_5221.jpg

ここの、橋に対して垂直になっている方ではなく、東西に道路を横切っている方の横断歩道は、ほぼ石山駅方面のバス利用者のためだけのものということでしょう。

しかし、実際どの程度利用があるのか…。因みに、大石方面のバスについては私が見た限られた範囲でも、時々降りる客がいるので、橋の大石側のたもとにある駐輪場を利用するひとや、大石東町の旧集落方面に向かうひとの需要があるのでしょう。こうしたひとが石山駅方面に乗る時は、わざわざ橋と横断歩道を渡らずに宮前橋を利用しそうな気がします。

↓その駐輪場。これがない時は右端に写っている信楽高原バスのバス停の周囲、つまり当時のJRバス、国鉄バスの鹿跳橋のバス停の周囲に、信楽方面に通勤するひとびとの自転車が溢れかえり、通行の妨げとなるほどだったそうです。

IMG_5218.jpg

それを報じる1977(昭和52)年6月14日付滋賀日日新聞の記事には、私の写真よりもう少し橋に近寄った位置で、今まさに鹿跳橋を渡らんとするA-1220、ないしA-1218らしいバスの後ろ姿がはっきりと写っています。

↓橋の上から川の上流を眺めています。

IMG_6503.jpg

2010(平成22)年9月12日付拙稿京阪バス最後のボンネットバス②で、この橋を渡るRailbus様撮影のボンネットバス「滋2 い 887」(社番1133)の写真をUPしておりますので、よかったらご覧下さい。

この鹿跳橋は、かつてはバス路線の拠点でした。2010(平成22)12月19日付拙稿ありし日のJR(国鉄)バス近城線 信楽‐鹿跳橋開通55周年でも引用した、1955(昭和30)年12月18日付の読売新聞滋賀版をもう一度↓

S30.12.18 読 国鉄バス信楽‐鹿跳開設、京阪接続b

この他にも京阪バスや国鉄バスが鹿跳橋発着であったことを物語る記事はたくさんあります。

実は、今や大津営業所の一大幹線であるこの路線が大石小学校発着となった経緯や正確な時期は意外なことにはっきり分かりません。唯一分かるのは、大石小学校までの路線延長免許が認可された日付だけで、『京阪バス五十年史』の年表に、1962(昭和37)年5月4日、「浜大津外畑線 鹿跳橋-大石間0.2km路線延長免許」との記述があります。

ただ、大石小学校のバス停の位置がこの時から変わっていないとすると、現在の鹿跳橋のバス停からは0.5キロあるため、0.2kmという数字では辻褄が合いません。逆に大石小学校側から見て0.2キロというのは、今の宮前橋バス停に相当します。国鉄バスもかつて信楽からやってきて鹿跳橋で折り返していたことは明らかで、今も信楽高原バスのバス停に継承されている、国鉄バスの「鹿跳橋」のバス停は橋の東詰、寧ろ宮前橋に近いところにあるので、ひょっとしたら宮前橋の位置がかつての鹿跳橋のバス停で、交通量が少なかったころはこの三差路でターンできたのかと思われるのです。

しかし、この説も多少無理があり、私が入手している戦前から昭和3,40年代の古い京阪バスの路線図に記載されている「鹿跳橋」又は「鹿跳」は、瀬田川の西側なのです。

但し、1971(昭和46)年の住宅地図では、今の宮前橋に相当するような位置に「鹿飛橋」(原文ママ)と書かれたバス停があることが分かります。
これについては今後も調べます。

IMG_6530.jpg

次は、宮前橋(大石・維中前方面)/白洲不動尊前(外畑・宵待橋方面)
※開通の歴史的な経緯を考えると、外畑方面を先に取り上げるべきですが、予めお知らせしました通り、維中前方面をそのまま継続して取り上げる関係で、次は宮前橋に進みます。
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コメント
この記事へのコメント
国道422号
こんはんわ。お世話になっております。とうとう瀬田川の東側へ突入ですね。調査お疲れ様です。

記事では触れられていませんが、石山駅~大石小学校の区間、昔と比べて信号機の数が大幅に増えましたね。交通量の増加に伴って必要に迫られたところがある一方で、信号機が出来たため本線の流動を妨げていると思われる箇所もあり、感応式信号を上手に配置できないものかと思います。

そういう意味でも信号制御システムが役立っているのでしょうが、効果のほどがよくわかりません(信号管制も掘り下げると面白そうですね)。とはいえ慢性的な遅延を交通事情のせいにしてはじめから守れないようなダイヤを組むバス会社もある中で、京阪バスは現実的なダイヤを組んで、また定時運行確保に努めていると感じますがいかがでしょうか。
2013/06/09(日) 21:20:05 | METEOR | #-[ 編集]
Re: 国道422号
METEOR様、お世話になります。

>とうとう瀬田川の東側へ突入ですね。調査お疲れ様です。

もともと自分の調べたことのメモ程度にできればというくらいの気持ちで始めたことが、エラく広がって自分でも持て余し気味ですが、納得がいくまでやります。

> 記事では触れられていませんが、石山駅~大石小学校の区間、昔と比べて信号機の数が大幅に増えましたね。

いや、松原や石山小学校の記事で、何かしら書いたと思います。1975年前後まで、石山駅を出て右折すると、あとは信号はなかったと聞いています。

> そういう意味でも信号制御システムが役立っているのでしょうが、効果のほどがよくわかりません。

効果がないことはないでしょうけれど、片側1車線の道で、踏切まで絡むようなところにはあまり向いていないと思います。

>(信号管制も掘り下げると面白そうですね)。

ごめんなさい、ご存じの通り私は全く完全な文系人間なので無理です(汗)。そもそも時間がありません。
理系・技術系の方、お願いしますwww

>京阪バスは現実的なダイヤを組んで、また定時運行確保に努めていると感じますがいかがでしょうか。

もっとよそのことも知らないといけないのだと思いますが、もはや古い資料の山の中に埋もれて途方に暮れながらこのブログを維持するのが精いっぱいで、他社さんがどういう風にダイヤを組んでいるのか全然わかりません…(汗汗 。
何か、レスにならないレスですみません。勉強します…(-_-;)
2013/06/09(日) 23:46:02 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
推測ですが…
こんばんは。

あくまでも推測に過ぎないのですが、宇治交通石山線開通までは、鹿跳橋にはバスが通っていなかったのではないでしょうか。国鉄バスは橋の東側、京阪バスは橋の西側に鹿跳橋のバス停を設け、徒歩連絡。免許申請時に、国鉄バスの停留所からの距離を記した…とは考えすぎでしょうか。

大石延長の時期についても、鹿跳橋の架け替えにあわせたような感じがしますが、橋の開通と同時であれば、新聞に載っていそうですよね。
2013/06/10(月) 00:11:15 | 膳テツ | #DAFdELt6[ 編集]
PTPS
続けてのコメント失礼します。

>信号制御システムが役立っているのでしょうが、効果のほどがよくわかりません(信号管制も掘り下げると面白そうですね)。

一応、専門のお話なんでコメントさせていただきます。

現在、石山駅~大石小学校前の路線では、PTPS(公共車両優先システム)というものが導入され、交差点手前にある感知器の下をバスが通過すると、バスが通過したという情報が、先の信号機に送信され、バス通過方向の青信号の延長、もしくは交差側の青信号の短縮が行われ、バスが優先して通過するように制御されます。

この制御をおこなうためには、バス側にも車載機を搭載する必要があり、車載機非搭載のバスの場合は、上記の制御は行われません。京阪バス大津営業所の全車両が車載器を載せているかは不明ですが、事業者によっては対応車を限定してPTPS路線で運用しているケースもあります。

信号制御も掘り下げると面白いですよ。
2013/06/10(月) 00:27:32 | 膳テツ | #DAFdELt6[ 編集]
Re: 推測ですが…
膳テツ様、興味深いご意見ありがとうございます。
徒歩連絡の可能性は十分ありますが、ただ、ダイヤ改正を報じる新聞記事に、橋を渡る必要がある旨、記載がないというのがちょっと弱いですね。

> 大石延長の時期についても、鹿跳橋の架け替えにあわせたような感じがしますが、橋の開通と同時であれば、新聞に載っていそうですよね。

古い橋ではバスが通れない、ということではないことは宇治交通が架け替えより前に走っている、ということで明らかですし、橋の架け替えが1964(昭和39)年で、免許がその2年前というのがちょっと不自然ですね。

新聞についてはもう一度京都新聞と滋賀日日新聞を丹念に洗い直してみます。
2013/06/10(月) 22:19:48 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: PTPS
膳テツ様、いつもありがとうございます。
ご解説頂いた部分についてはさすがの私も一通り存じています。ただ、膳テツさんのようにすっきりまとめて説明する力はないので、ありがとうございます。大津営業所の車両は全車が対象になっています。

METEORさんが、「信号管制」と書かれていたので、PTPSというレベルを越えて、信号全体の管制システムのことだと認識し、とても私にはついて行けない、と思った次第です。膳テツさんだと多分、私からすると、信号のシステム、歴史、関連法規その他について、大学で講義できるくらいなのでは、と仰ぎ見るような感覚なので、何か機会がありましたら、ご教示のほどお願い申し上げます。
2013/06/10(月) 22:37:37 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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