青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
大石小学校 おおいししょうがっこう
所在地:大津市大石中一丁目
開設年月日:(京阪バス)?
      (京阪宇治交通)1963(昭和38)年3月19日
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:大津市立大石小学校 大津大石郵便局 大石市民センター(大津市役所大石支所・大津市立大石公民館) 大津市立大石幼稚園 大津警察署大石駐在所 大津市消防局南消防署大石分団 佐久奈度神社 医療法人緑生会 介護老人福祉施設リバプール 大石緑地 大石中町自治会館 滋賀銀行南郷支店大石出張所
 



大石学区の表玄関であり各種行政機関などが集まる中枢、大石小学校に着きました。回転場だけとはいえ南の一大拠点です。今もごくまれにネットオークションで出品されることがある、10数年前の「京阪バスすごろく」では、ここがゴールとされています。

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↓そういえばここを裏側から撮影したことがあまりなかったな、と思って撮った写真。

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2010(平成22)年12月19日付拙稿ありし日のJR(国鉄)バス近城線 信楽‐鹿跳橋開通55周年「今の、大石小学校のロータリーがいつできたのか?という、実に基本的なことが全く分からなかったりします」と書きましたら、最近、じゅうしまつ様が国土地理院などの航空写真で少なくとも1974(昭和49)年頃には存在が確認できる、などの貴重な情報を下さいました。
大石小学校区全体の面積は36.91平方キロと、京阪エリアでいうと、守口市や門真市の3倍ほど、寝屋川市や交野市と比べてもだいぶ広いのですが、5000人強しか住んでいません。大半が山地で、南郷や石山に比べてまとまった土地のある場所が少なく、交通の便利なところが小学校周辺に限られるといったことからか、行政機関その他の一極集中の度合いが高い印象です。

↓バス停の南にある大石市民センター(大津市役所大石支所・大津市立大石公民館)。仰木の里東学区以外の全学区にある大津市内36か所の市民センターの中では最南端です。かつての村役場の跡なのでしょうか?

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1889(明治22)年7月、郡区町村編成法が施行されて、全国の大半が町村にまとめられ、多くの江戸時代以前の集落としての「村」はいくつかがまとまりました。この時、中世の「大石荘」という荘園に端を発したという共通の土壌があるということで、中、東、淀、龍門、小田原、これに周辺の曽束、富川の7カ村がまとまって「大石村」となり、以来大津市との合併(1951年)以後も1つの学区としてまとまっています。

2013年現在のダイヤではここに来るバスは全て「終着」で、ここを発車するバスは全て「始発」ということになります。ここを跨って通し運行する便は1本もありません。

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↓京阪宇治バスの運賃表。

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時代により、大石小学校発着の京阪宇治・宇治車庫方面行きもありました。

バス停名の由来である、大津市立大石小学校↓尤も、宮前橋からは見える大石小学校の校舎も、このバス停からは見えず、私も以前はどこに小学校があるのかと思っていました。

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大津市立の小学校は全部で37校ありますが、市民センターとともに大石小学校が最南端です。
さすが大石、駐車場の隅に、鹿跳伝説に因んだ彫像があります。

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その歴史は何と1872(明治5)年の「富川小学校」にまで遡ることができ、各地区の学校がまとまって、「大石小学校」という形になった1886(明治19)年から数えても130年近い歴史を持っていて、これは、地域としてはもっと先に開けていたであろう石山小学校よりも古いものです。

その割に校歌の歌詞は新しく、3番の「大津の子供はよい子供」という部分から、1951(昭和26)年の大津市合併以降にできたものだということが分かります。「大石の子どもは」としないのは、もちろん語呂もあるでしょうけれど、合併して大津市の一部となったのだということをアピールし、意識づけるためなのでしょうか。

↓時刻表

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バス停名はもともと「大石小学校前」だったはずですが、私の記憶では1995(平成7)年のアナウンス合成音声化のタイミングで「前」がつかない「大石小学校」になりました。

ただ、京阪バスの行き先表示は昔から単に「大石」で「小学校(前)」は入りません。これは、小型幕の時代も同じです。

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1976(昭和51)年2月11日T.F.様 浜大津にて撮影です。この時期の大石行きの写真は数が非常に少なく、貴重なものです。

これは「小学校」という「点」より「大石学区」という面的な広がりを重視した表示なのかと思っております。

1981(昭和56)年1月25日付読売新聞「わが町」という特集記事で「大石中町」が取り上げられていますが、ここでは、当時86歳の男性が、
「京都まで行くときは夜中に起きて行ったもの。今はずいぶん便利になりました」
と述懐しています。
この当時で86歳というと、何と1895(明治28)年生まれです。路線バスについても記事中で触れられていて、

大正十年に地元の有力者が協力して乗り合いバスを運行させるまでは、歩いて草津、宇治、信楽まで行った(中略)最近は朝夕の通勤時間帯には十分おき、終バスは午後十一時まである。



とあります。
大正10年の段階でこの方は25歳ですから、確かに20歳前後の頃は、夜中に起きて京都に行ったという経験があったとしてもおかしくはないということになります。記事中には、京都どころか大石に住みながら大阪まで通勤するひとのインタビューも載っていましたが、時代の流れは凄まじいものです。

この「地元の有力者が協力して」できたバスは、もちろん後に京阪バスに継承される大石自動車商会だと思われますが、同商会に路線免許が出るのは大正12年ですので、厳密には記事は間違いです。

京阪バス旧石山外畑線(大津市内総合線2・4号経路)としての記事はここで一旦終了し、次回からは京阪宇治バス石山線単独の記事として番号だけ通して続けて行きます。

末筆ながら、T.F様、貴重な写真をいつもありがとうございます。

次は、大石中(寿長生の郷・維中前方面 ※本シリーズ)/東大石淀町(曽束方面)/桜谷口(桜谷パークタウン方面)
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