青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
あけましておめでとうございます。読者の方々やご協力下さる皆様のおかげで無事に新年を迎えることができました。本年も宜しくお願い致します。

さて、早速ですが、今日は60年前の正月の新聞記事から。

↓1954(昭和29)年1月1日付朝日新聞滋賀版

S29.1.1A 三が日バス大増発b1

当時既にスキーは大人気です。読んでいると乗換の繰り返しで、行くだけで疲れてしまって、スキーどころではなさそうな気がしてきます。でも、このくらい苦労していくからありがたいんでしょうね。
「スキー船も復活」とあることから、戦時中中断していた運行が再開された、ということなのでしょうか。民家での宿泊も想定されています。1泊300-500円。

↓こちらは同日付の朝日新聞、路線バスや電車の増発の案内。

S29.1.1A 三が日バス大増発b2

京津線も増発されるのに、更に京津国道線のバスが増車されています。増発より車両の台数を増やす、という書き方が多いのもこの当時の特徴です。利用者にしたら、台数よりダイヤが問題だと思うのですが。
何にしろ、いかに京津間の交通において京津国道線のバスのウェイトが高かったのかが、こういう記事を見てもよく分かります。

↓近江神宮は3万人の人出が予想されています。比較的新しい神社で、当時はできてからまだ15年も経っていなかったはずですが、既に大津市民の生活の中になじんでいたのでしょうね。

S29.1.5A 初詣バスb

昨年はネットで調べたら15万人と書かれていましたが、数え方や数える期間が同じかどうか分からないので、単純に今は5倍も来るのか、とは言えないかと思われます。ただ、当時の日本の総人口自体も8,400-8,500万人と、今の7割ほどしかいないので多少増加していたとしてもおかしくはありません。

印刷が悪くて申し訳ないのですが、後半に、

「京阪バスは暮の三十日から始めた大津市内線が、正月の客足運びに役立ち、四台で一日平均二千人以上は運んだとか、三条浜大津線もに、三台を増発、平日の五割以上の人を運んだ」


とあります。
拙ブログにて特集をスタートしたばかりの旧大津市内線が、暮の変な時期の開通が不思議でしたが、幸先の良いスタートです。
4台で2,000人なら1台は500人、ボンネットバスの定員はだいたい50人なので、1台は少なくとも10回は走ったということになり、4台が最低でも延べ計40回は走らないと運べない人数です。実際には、完全に満員で走った便ばかりだとは考えにくいので、もっと多く走ったのでしょう。
三井寺発基準で区間運行を含めて当時1日28回の運行だったので、いかにたくさん走って、たくさんのひとを運んだかが分かります。

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