雄琴まで来たところで、雄琴に関係する面白い新聞記事をご紹介したいと思います。1962(昭和37)年10月14日付朝日新聞滋賀版↓
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関西弁、江州弁どころか、「雄琴弁」です。
「そち」(きみ、あなた)
「きらる」(来る)
「わんら」(きみたち、あなたたち)
「おとろしい」(恐ろしい)
「となだ」(戸棚)
「ようよう」(ありがとう)
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関西弁、江州弁どころか、「雄琴弁」です。
「そち」(きみ、あなた)
「きらる」(来る)
「わんら」(きみたち、あなたたち)
「おとろしい」(恐ろしい)
「となだ」(戸棚)
「ようよう」(ありがとう)

今よりずっと、方言の違いが地域ごとに大きかった時代、集落ごとに微妙に言い回しやイントネーションが違っていたとしてもおかしくありません。多分、この当時だと同じ大津市内でも南の端の大石のひとと北の端の雄琴のひとが会って話すと、大きく括れば江州弁、関西弁の一種なので通じないということはないにしても、お互いに何か微妙な違和感を覚えたかもしれません。
「そち」は古語に由来するものだから、追放してよいかどうか、といった迷いはあるものの、基本的には方言は劣るもの、間違ったもの、という考え方が強かった時代のことで、この先生はバッサリ追放しようとされていたようです。
農村と都市の差も、今では考えられないくらい大きかった時代なので、このままでは都会では通用しない、と考えられたその意図は分かります。
先生の名前をネットで検索すると今でもいくつか著書や論文がヒットするので国語教育の分野ではそれなりに知られた先生だったのかもしれません。今もご健在だったとしておかしくない年齢のようなので、方言が見直されつつあるこの時代をどのように考えられていることでしょう。
ただ、
「先生、そうじ」
を
「そうじが終わりました」
と言い直すように指導するのはいいことだと思います。
私の子どもの頃も、担任の先生が似たようなことを言っていたのを覚えています。
テレビで、地方の一般のひとにインタビューする場面を見ていると、「何をされているんですか」とスタッフが聞いても、結構「サバ」「大根」とか単語しか言わないひとがいるので、失礼な言い方かもしれませんが、サバを何しているのかを聞いているんや、とイライラすることがあります。隣のオッちゃんや嫁ぎ先から遊びに来た姉貴と話をしているのとは違う、とは思わないのでしょうか。
戦後日本の教育は、表面的な欧米理解だけで「はっきり言うということ」を重視したように思われてなりません。そうか、はっきり言えばいいのか、と勘違いして、意図してかせずか、ひとを傷つけてでも言いたいことを言う、(私もことば遣いが汚いので自戒を込めて書くのですが)嫌な印象を与えていることにさえ気づかない、そういうひとが時々見られるように思います。
寧ろ、はっきり言うというのは、相手や状況に応じたことば遣いで、しっかりと語尾まで用件を話す、ということではないでしょうか。
欧米人も日本人が思っているほどはっきりとは言いません。「個」を重んじますから、ずかずか土足でひとの心に出入りするようなことはしませんし、すごく気を遣ってことばを選んでいます。
この雄琴小学校の先生が「ことばがひとを作る」と仰っているのはよく分かります。
それにしても新聞に載っていた「雄琴弁」 果たして今はどうなってしまっているのでしょうか…?
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