青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
前回に続き、「五百羅漢前」です。

肝心の「五百羅漢」(圓福院)がどこに行ってしまったのか、ですが、結論から言うと中ノ庄を見下ろす遥か山手、富士見台に移転しています。



「大津のかんきょう宝箱」圓福院(五百羅漢堂)(富士見台)によると、「近年」移転したことになっていますが、実際には近年どころか、1970(昭和45)年頃のようです。
中には1960(昭和35)年と書いているサイトさんもありましたが、1966(昭和41)年版の弘報社の住宅地図では、まだ中ノ庄の「フォレストヒル」の位置にちゃんと圓福院がありますし、富士見台などというところは大津市火葬場が1933(昭和8)年の膳所町・石山町合併の翌年にできた以外に昭和40年代までほとんど何も開発されていないはずで、不自然だと思われます。

↓逆光になってしまいましたが、現在の圓福院。

IMG_2676.jpg

この建物の中に、極彩色の美しい五百羅漢像が収められています。特別に事前に申し込まないと拝観することはできません。大津市の観光データベース円福院/五百羅漢[えんぷくいん/ごひゃくらかん]に写真が掲載されている他、検索すると幾つかのサイトさんで写真がUPされています。手抜きで申し訳ないのですが、ご興味がおありの方はそちらもご覧下さい。

IMG_2675.jpg

建物も、昭和40年代と考えるのが自然な雰囲気です。
1971(昭和46)年版の住宅地図には、既に「五百倉かん」という記述があります。周囲はまだぱらぱらとしか住宅がなく、圓福院が富士見台開発のパイオニアとも言えましょう。
それにしても「五百倉かん」とは、ワープロもパソコンも全くない時代に、変換ミスはあり得ず、単なる誤字脱字とも考えられない、変な間違え方です。

寺院や神社は、めったなことで移転するようなことがないので、私も「取材」の時には昔のバス停や建物の位置を特定するときによく目安にするのですが、こんなにごっそりあっさり移転しているケースは珍しく、なぜ中ノ庄を離れてしまったのか不思議です。

また移転するにしても、大きなお世話かもしれませんが、どうしてまたこんな不便な所を選んだのかと思われます。強いて言えば「滋賀病院」が最寄バス停ですが、住宅が密集しているのに道が狭くて恐ろしく勾配がきつくてバスが乗り入れられず、普通車でも離合はおろか、車体を擦らないように角を曲がることにも神経を使うような場所で、昭和40年代なんていったいどんな状況だったのだろうか?と思われます。

その代わり眺めは素晴らしいです↓

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富士見台の「富士見」は近江富士(三上山)なのでしょうか?

因みに、もはやネット上でもほとんど全くヒットせず、すっかり忘れられてしまったらしい、かつて近江鉄道バスが走っていた「東洋精器」の工場はこの近くにありました。
「石山駅⇔東洋精器」の行き先表示をイメージできるひとはもうほとんどいないのでしょうか?

中ノ庄の旧東海道に戻ります。

↓「五百羅漢前」を出てしばらく歩くと左手に広い道が分岐します。

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この通りは、「五百羅漢」と並ぶ「五百羅漢前」バス停の大きな謎のひとつです。
旧東海道よりずっとバス通りらしいこの広い通りは、昭和37年時点では既に存在していました。といっても途中までのようで、翌年の地図からは「計画線」であるかのように薄い線が引かれています。

御殿が浜側から撮影

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全体的に、バス通りだとしてもおかしくないくらい広いのですが、途中の記恩禅寺辺りに大きな三角形の土地があってその辺りから道が狭まります。

国土地理院の公式HPで見ることができる、1946(昭和21)年の空中写真でも、何と既にこの道路の存在を確かめることができます。

これについては、「膳所情華街新聞」というサイトさんで、膳所で最初の都市計画道路として取り上げられていました。私は、戦時中に飛行場として計画されたのだろうか?と思っていましたが、どうも都市計画道路のようです。

↓ばったり床几のある家。ワンルームマンションから一気に江戸に遡ります。

IMG_1252_2014010100304611a.jpg

次は、別保です。
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コメント
この記事へのコメント
この通り
この通りは本当に謎ですし、この道路について正確に答えられる人に出会った事がありません。

主人が始めて大津に来た時、「どこに行けるかと思ったら行止りだった」と。。 実際の所 行止りではありませんが、突然に細い道路になるので行止りのようです。 ナビのない時代はここに迷い込む人も多かったのではないでしょうか?

五百羅漢。。 驚きました。
こんな素晴らしいものが、ひっそりと大津の地に存在しているのですね。
殆どの市民は知らないと思います。。。
2014/06/25(水) 22:16:18 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: この通り
yume様、お世話になります。

> この通りは本当に謎ですし、この道路について正確に答えられる人に出会った事がありません。

気にしているひとはきっと多いはずなのに、ネットで検索しても大した情報はヒットせず、現時点で唯一の有力な情報が、本文中でも触れた「膳所情華街新聞」さんです。


> 主人が始めて大津に来た時、「どこに行けるかと思ったら行止りだった」と。。 実際の所 行止りではありませんが、突然に細い道路になるので行止りのようです。 ナビのない時代はここに迷い込む人も多かったのではないでしょうか?

以前は、完全にスルーで直進できるような形だった気もするのですが、今は入口をわざと少し曲げて、意識的に入ろうとしなければ入れないような作りになっています。

> 五百羅漢。。 驚きました。
> こんな素晴らしいものが、ひっそりと大津の地に存在しているのですね。
> 殆どの市民は知らないと思います。。。

拝観には許可が要るそうなので、ネットでも公開されている電話番号に1週間の間に何回も電話したのですが、いつも留守電で、お参りしたいのはこちらなのに返事を頼むのは変だからと最初は吹き込むのを遠慮していました。しかし、らちが明かないので最後には連絡先を吹き込んだのですが、結局返事がなく、大変困ったことを覚えています。

2014/06/26(木) 00:14:16 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
都市計画道路
あの謎の幅の広い道路は、昭和十五年に完成、と点線で書かれている地図が掲載されている書物を見たことが有ります。
東洋精器のバス停は圓福院から見てちょうど真南にある信号(バス停があった時は無かった)と旧•火葬場の間に有りました。私が中学生であった四半世紀前の時点で、確か一日一〜三往復しか走っていませんでしたよね。
2014/07/05(土) 15:57:29 | むっくん | #-[ 編集]
Re: 都市計画道路
むっくん様、初めまして、コメントありがとうございます。

> あの謎の幅の広い道路は、昭和十五年に完成、と点線で書かれている地図が掲載されている書物を見たことが有ります。

何という本なのか分かったら、またぜひお知らせ下さい。

> 東洋精器のバス停は圓福院から見てちょうど真南にある信号(バス停があった時は無かった)と旧•火葬場の間に有りました。私が中学生であった四半世紀前の時点で、確か一日一〜三往復しか走っていませんでしたよね。

「東洋精器」懐かしいですね!始発のアナウンス、何を言うのかな?と昔、石山駅で耳をそばだてて聴いていたことがありますが、何も流れないので、おかしいなあ…と思っていました。もしかしたらあまりに本数が少なく、距離も短くて利用者も工場関係者に限られているから、アナウンスがなかったのかな、と他のサイト関係の方などと話したことがあります。

今は工場跡が住宅地になっていますね。何かのタイミングで拙ブログでも取り上げられたら、と思って、圓福院の取材がてら、付近の写真を撮影しております。UPしたあかつきには、ぜひ、バス停はこの位置です!などのコメントを下さればと思います。
2014/07/05(土) 21:05:32 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re2:都市計画道路
喜撰猿丸さん
初めての書き込みに対するコメントありがとうございます。

まず、あの謎の幅の広い道路について書かれていた書物を再度見てみました。書名は日本図誌大系近畿2(編:山口恵一郎、発行:朝倉書店、S48.5.10)で、p77ページの図1『幕末膳所城下町の図』に、昭和15年頃開通、と記載されていました。

> 「東洋精器」懐かしいですね!
(中略)
ぜひ、バス停はこの位置です!などのコメントを下さればと思います。

小学生の時、私はあの辺りは通らずに、専ら山側のラクダ坂もしくは国道一号線を自転車で通っていたので記憶が曖昧になっています。過大な期待は無しでお願いします。

あと、『寺院や神社は、めったなことで移転するようなことがない』と書かれておられますが、京都市役所北隣にあった妙満寺も遠く離れた岩倉の地に昭和43年に移転していたりします。
2014/07/07(月) 17:56:05 | むっくん | #-[ 編集]
Re: Re2:都市計画道路
むっくん様、早速にお調べ下さり、恐縮です。県立図書館に蔵書があるようなので確認してみようと思います。

> 小学生の時、私はあの辺りは通らずに、専ら山側のラクダ坂もしくは国道一号線を自転車で通っていたので記憶が曖昧になっています。過大な期待は無しでお願いします。

ええ、もちろん構いません。そもそもいつ取り上げられるかもわかりませんw

> あと、『寺院や神社は、めったなことで移転するようなことがない』と書かれておられますが、京都市役所北隣にあった妙満寺も遠く離れた岩倉の地に昭和43年に移転していたりします。

もちろんケースがないとまでは言いません。三条京阪のバスターミナルも、かなりの部分が寺院の跡地です。ただ、それにしても一般企業や商店などと同程度の可能性で動くでしょうか?寺社は地域の生活と結びついていたり、また神社は鎮守の森が一体化しているようなこともあるから、それはないと思います。何かそういう統計がないか、私も調べてみます。
2014/07/07(月) 20:18:55 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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