青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
↓石山駅を出てすぐ差し掛かる交差点。南郷方面はここで右折します。今となってはとても信じられませんが、1975(昭和50)年頃までは、この信号で右折すると、あとは南郷大石方面には信号機が1か所もなかったのだそうです。

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かつて、石山商店街の夜市で迂回運行する時は、まっすぐ突っ切っていましたが、いつの間にか左折して粟津中学校の脇を通って湖岸道路に出るようになりました。

↓都市計画道路が完成すると、またここを通るように改められるのかもしれません。

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↓県庁所在地とはいえ代表駅でもない駅前で、ウソだろう?と信じられないのですが、1970(昭和45)年の開店当時、全国最大規模のスーパーマーケットだったという平和堂石山店。

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この前を通り過ぎて、京阪電車の踏切を渡ると間もなく松原です。

松原 まつばら
所在地:(南郷方面)大津市松原町
    (石山駅方面)大津市粟津町
開設年月日:(京阪バス)?
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:京都信用金庫石山支店 京都中央信用金庫石山支店
キロ程:石山駅から0.3キロ


※キロ程は、「駅すぱあと」(京阪宇治バスの路線があった当時の版のものを含む)や「Yahoo!JAPAN 路線情報」、1979(昭和54)年1月1日現在の「京阪宇治交通路線図」等を参考にしております。京阪宇治交通と京阪バスのキロ程は一部食い違いがありますが、計測の仕方や端数の処理の仕方の違いなどに起因するもの、或いは道路の改修等で距離が変わったものを反映しているかいないかといったことに原因があるものと思われます。基本的に京阪バスのキロ程を優先し、食い違いがあることが明らかな場合は特記します。



「松原」はもともとは「石山村(町)大字鳥居川字松原」という小字でした。1933(昭和8)年大津市と合併した時に「大津市石山鳥居川町」とまとめられましたが、1951(昭和26)年から「大津市石山鳥居川松原1~5区」となり、更に1967(昭和42)年の住居表示施行の時、隣の粟津東町の一部とともに整理されて、今の「松原町」となりました。
(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P99)


「鳥居川」は、別保の若宮八幡、または北大路の御霊神社の鳥居に由来するということです。東海道五十三次の正式な宿場町ではないものの、大名のための休憩所や、庶民向けの旅籠、茶店が並んで、セタシジミの佃煮などが売られていたということで、文化10年には何と大津宿から、鳥居川、寺辺、神領、橋本の4村に宿泊客が取られて困る、と幕府に訴えが出されるなどということがあったそうです(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P247-248)

住居表示施行の時に、東京や大阪、その他多くの市で行われたように、有名な地名や比較的広い範囲を指す地名に代表させて、そこに丁目を付けたり、それで広すぎる時には単に東西南北をつけてまた丁目を付けるというような乱暴なことがされず、小字が生かされた比較的幸運なケースでしょう。「膳所〇丁目」「瀬田〇丁目」はあるのに、「石山〇丁目」とされなかったのは不思議です。

尤も同辞典のP1053の「小字一覧」に「松原」の記載はありませんでした。ただ、「粟津の松原」とも言われるように、古くから知られる場所だったのでしょう。

2011(平成23)年6月3日付拙稿1982(昭和57)年6月3日 「歓びの街 パル」オープンでも触れましたように、現在の京都信用金庫のATMコーナーの部分が広場になっていて、待合所もあり、南行きはいつも賑わっていた記憶があります。

↓現在は待つスペースが少なく、窮屈です。

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↓北行き。「東レ前」というサブ停留所名が見えます。このような共通標柱になったのがいつのことなのかはっきり覚えていませんが、帝産は伝統的に「東レ前」と呼びならわしているようです。

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1971(昭和46)年12月9日付京都新聞大津市民版では「バス停の名称マチマチ」という見出しでこの「松原」バス停が取り上げられております。京阪バスと京阪宇治交通は「松原」、近江鉄道バスは「松原東レ前」、帝産湖南交通は「東レ前」と名称がバラバラなので、付近の住民や商店会、バス利用者からの苦情が多く、陸運事務所がバス協会を通じて「統一を図るように」とのお達しを出したということです。他のバス停でもたまにこれに近い問題が起きていますね。

東レまではだいぶ距離がありますが、門柱のようなものがあります。

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石山駅ができたばかりの頃は、ほとんど何もなく荒涼としていたこの地は、東レができ、従業員向けの飲食店ができ、従業員とその家族向けの商店ができて、発展してきました。先ほど引用した『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』の記述にあった「鳥居川」の宿場はどちらかというと、現在の唐橋前付近の方だったようで、古い地形図ではそちらの方に民家が密集している様子がよく分かります。時代が下がるにつれて、駅の方にそれがのびていきます。

上の写真の「門」を通って数百m歩くと迂回運行時に北行き用として使われるバス停ポールがあります↓

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↓こちらは迂回運行時の南行きのポールです。湖岸道路沿いにあります。

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「JRバス」は消されていますが、「宇治交サービス」が未だに残っています。

次は、栄町
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コメント
この記事へのコメント
大変ご無沙汰しております。木津川です。
子供時代に親しんだエリアの登場で懐かい気分で一杯です。

「この信号で右折すると、あとは南郷大石方面には信号機が1か所もなかったのだそうです。」

→そうです。当時鳥居川交差点に信号がなく、晴嵐幼稚園方面から早朝割引の平和堂ボーリング場へ行くのに、朝なかなか渡れず、何で信号機つけてくれないんだろうと何度思ったことか。S50年頃にはついてたのですね。
2013/04/20(土) 12:42:50 | 木津川 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
こちらこそご無沙汰しています。

> →そうです。当時鳥居川交差点に信号がなく、晴嵐幼稚園方面から早朝割引の平和堂ボーリング場へ行くのに、朝なかなか渡れず、何で信号機つけてくれないんだろうと何度思ったことか。S50年頃にはついてたのですね。

いや本文は、そういう特定の交差点について逆に昭和50年頃に信号がついていた、と断言する意味の文脈ではありません。誤解を招く表現で申し訳ありません。
2013/04/20(土) 20:01:13 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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