青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
唐橋前 からはしまえ
所在地:(石山寺・南郷方面及び迂回用)大津市唐橋町
    (その他のポール)大津市鳥居川町 
開設年月日:(京阪バス)? ※国分方面は1965(昭和40)年4月22日
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:京阪唐橋前駅 瀬田橋(瀬田の唐橋) 大津市立晴嵐(せいらん)幼稚園 福井銀行大津支店 長徳寺 下之町自治会館 大津あいあい保育園 
キロ程:栄町から0.3キロ(石山駅から0.8キロ)




瀬田の唐橋のたもとだから「唐橋前」というより、京阪電車の唐橋前駅のそばだから唐橋前なのでしょう。
橋が駅やバス停の名前となる時に「前」を付けるのは全国的にも珍しいでしょう。

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「瀬田の唐橋」は唐様(からよう)の橋であったために俗にそう呼ばれ、正式には単に「瀬田橋」といって、「勢多橋」とも書いたようです。

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山崎橋、宇治橋とともに日本三橋と言われます。
歴史上はじめてその名が現れるのは「日本書紀」の壬申の乱(672)に関する記述で、大海人皇子の軍勢が美濃から瀬田まで攻め上った時に、大友皇子の軍勢は橋の西側に陣を構えて、橋の中央を落として、大友皇子軍が渡ってくるのを妨げたということです。今の唐橋前の駅やバス停の辺りに陣を構えていたのでしょうか。
その後も交通の要衝にある橋の宿命なのか、戦乱の度にしばしば落とされたり焼かれたりしたという記録が残っているそうです。

一方で、「太平記」には何と橋の下から竜宮に通じている、という記述があるそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P423)し、何と言っても滋賀県民が必ずと言っていいほど知っているのは俵藤太の伝説でしょう(東詰南側の石碑)↓

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退治したムカデの体がぶつかって、三上山(近江富士)のてっぺんが欠けたのだと言われています。

橋が特に美しく見えるのは「近江八景」として名高い「瀬田の夕照」のことば通り、夕暮れ時です。びわ湖放送でリバイバル放送されていた1972(昭和47)年頃放送の『近江風土記』第41回「近江八景今昔」では「ゆうしょう」と発音されていましたが、これは間違いで、「せきしょう」です。
「夕」の音読みは「セキ」、「ゆう」は音読みのように聞こえますが、訓読み、つまり伝統的なやまとことばに基づく読み方です。

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橋は、写真にも写っている「青年会館」などがある中ノ島で2つに分かれています。3月16日付拙稿熊野神社前【京都比叡平線開通30周年記念特集21-1】で取り上げた、滋賀県を主要な舞台とする数少ない小説の一つであり、「近江絹糸労働争議」をモチーフとした三島由紀夫の『絹と明察』では、この島で駒沢紡績の社員が、駒沢社長がチャーターした接待船を止めて、会社の入社歓迎映画会で発生した火災を報告する、という設定になっています(P29-30)。

『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』ではこの橋に関して3ページ以上を割いて解説しています(P257-261)。
面白かったのは橋の管理の仕方で、直接の担当は、東詰は橋本村と神領村、西詰は鳥居川村、補助は大江、大萱、北大路、国分の4村で、南郷や、大石の多くの集落が大津宿の助郷として何かというとひとを出すように求められた中、これらの村々は、橋の管理をすることで助郷が免除されていたということです。
前の3村については、それぞれ橋の両側の番所で昼2人、夜4人の「橋番」を配置して、藻などが橋げたに引っかかって橋を傷ませないように注意することが命じられていたということですが、大変ですね。いつ仕事をしていたのか、あるいは一種の公務員のようなものでこれで収入を得ていたのか…。
橋の近くが火事になった時は、これらの村だけでなく、他の村も消火に駆けつけるように命じられていたとのことで、いかに大事にされていたのか分かります。

肝心のバス停ですが、石山駅も含め、大津管内のどの停留所と比べても乗り場が多く、分散しています。

京阪バスに関係するポールだけでも迂回用を含めて5か所。

↓石山団地、南郷方面

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ただ、もともとは数十m北寄りの、今は駐車場になっている三角形のスペース↓がバス停だったことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。

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土地の持ち主から移動を求められたようで、住宅地図を調べると1997(平成9)年から1998(平成10)年にかけて移動しています。これは私の記憶ともほぼ一致します。

もともとのバス停の位置でバスを待っていると、こんな感じに見えます↓

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土日の日中から夕方にかけてや、平日の朝、バスがこの南郷方面のバス停にたどり着くのは結構大変で、下手するとダイヤ通りなら南郷に差し掛かるような時間がかかることもあります。20年ほど前は朝の時間帯、石山駅に行く方が混んでいましたが、最近は唐橋の踏切さえ渡れば、意外に石山駅まではスムーズです。

長くなりましたので、続きは次回
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