青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
宮ノ内 みやのうち
所在地:(南側 石山団地・国分団地方面)大津市北大路二丁目 (それ以外の乗り場)大津市北大路一丁目
開設年月日:不明
付近:西方寺 北大路会館
キロ程:唐橋前から0.4キロ 東レ正門前へ0.4キロ




現在は「宮ノ内」という正式な行政地名は存在しないため、何がどう宮ノ内なのか、多分地元のひとも毎日通る京阪バスの運転手さんもよく分からないひとが多いと思いますが、1951(昭和26)年から1963(昭和38)年までは「大津市石山北大路宮ノ内町」という町名で、更にその前は「大津市石山北大路町字北町」といったそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P266)
同辞典P1053からの小字一覧には「宮ノ内」の地名がありませんが、「北町」から何の脈絡もなくいきなり「宮ノ内」になることはないと思うので、何かその前から通称や一覧にもないような小字として存在していたのだろうと思います。

現在は全ての乗り場が「大津市北大路」に所在していますが、私でもただ単に「北大路」と聞くと、京都の北大路通、地下鉄北大路駅の北大路をイメージしてしまい、この北大路は、言われればそんなところがあったかな、というくらいでピンときません。

ただ、現行の住居表示としての「大津市北大路」には、恐らく大津市では唯一の大きな特徴があって、一丁目と二丁目は名神高速道路の北側で地続きなのですが、三丁目だけは名神高速道路の南側の山手に大きく離れているのです。大津市立北大路中学校は三丁目の方にあって、その周辺の住宅街も三丁目に含まれています。どちらも面積人口がそれなりで、どちらが本体とも飛び地とも言いにくく、「分断」されているという感じです。

どうしてこんなことになってしまったのか不思議です。三丁目だけ別の町名が割り振られていてもおかしくないと思うのですが、適当な名前がなかったのでしょうか。

↓唐橋前方面全景

IMG_7275.jpg

交差点名は「北大路」です。

この時は素晴らしい快晴でした。左のポールが石山駅方面、右に見えるポールが、国分・石山団地方面です↓

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古い住宅地図を見ると、2007(平成19)年頃までは両方向とも今の位置より僅かに交差点寄りだったようですが、家一軒分、10mもあるかないかくらいの微妙な違いで、本当に移転したのかどうかよく分かりません。

↓こちらは唐橋前の方向からの眺め。

IMG_7272.jpg

↓国分・石山団地方面

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↓唐橋前・石山駅方面のポールをこういうアングルで撮影すると、落ち着いた古くからの閑静な住宅街という雰囲気です。

IMG_5969.jpg

↓一方、明らかに大きく動いているのは、東レ正門前方面のバス停の方です。

IMG_7280.jpg

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2008(平成20)年以降、現在の位置に移っているようで、それまでは下の写真の通り、現在は閉まっている店の出入り口付近にポールがあったようです。

IMG_5955_2014122114001255c.jpg

↓こちらは国分方面を眺めています。

IMG_5953.jpg

いずれの写真にも、現在のポールが写っているので、位置関係がお分かり頂けるかと思います。

しかし、この宮ノ内バス停の圧巻は何と言ってもこの、3A・30A・31A号経路専用の石山団地・国分団地方面の乗り場でしょう↓

IMG_4158_20130217220503.jpg

IMG_4157 (2)

初めて見た時、笑ってしまいました。
上の2枚の写真は撮影から10年近く経ちますが、現在も全く様子は変わりません。
ポールを置くスペースがないほど狭いわけではなく、何ならもっと狭くて危ない場所はいくらでもあると思うのですが、どうしてしまったのでしょう。

↓「取材」時、休日の日中なのに珍しくB-1939が動いていて、唐橋前に向かって行きました。

IMG_7271.jpg

↓北大路交差点から西、東レ方面に向かう狭い道を、かつて帝産バスが運行していたようですが、私は直接その姿を拝んでおりません。

IMG_7276.jpg

↓国分方面全景

IMG_7274.jpg

次は、晴嵐小学校前です。
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この記事へのコメント
北大路の謎
北大路が一丁目二丁目と三丁目に分断されたのは、名神と新幹線に挟まれた石山北大路旭町の区域が、国分一丁目になったからです。
期を同じくして、俗に永大団地と呼ばれている所が膳所別保町から石山北大路旭町となり、その後石山北大路OO町で唯一残された石山北大路旭町が北大路三丁目となりました。
現在、北大路三丁目の真ん中に学区の境があるのは、以前の村の境界が反映されているからです。
北側はM22.3.31までは別保村でM22.4.1より膳所村の区域で現在は富士見学区、南側はM22.3.31までは北大路村でM22.4.1より石山村の区域で現在は晴嵐学区です。
2015/05/02(土) 19:15:46 | むっくん | #-[ 編集]
Re: 北大路の謎
むっくん様、約1年ぶりのコメントありがとうございます。
住居表示の変更に関する資料も図書館で見たことは見たのですが、あの辺は地理が分からず、文字だけ見てもピンと来ないので読み飛ばしてしまっていました。
学区の境界線に、明治まで遡る歴史があるというのもすごいですね。
前の東レや東洋精器関係のコメントでも感じましたが、富士見、国分方面お詳しいですね!
私はそちらはやはり本当の地元ではなく、知識が薄いので、何かお気づきのことがありましたらまた是非コメントをお寄せ下さい。
2015/05/02(土) 21:34:55 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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