青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
本題に入る前に、バスの広告について、イギリスの面白いニュース記事を見つけたので、ちょっとご紹介します。5月11日付mail onlineより。

Anger at 'ride me' bus adverts(「私に乗って、という広告に苦情」)

A storm of complaints has followed a bus company's decision to advertise its fares with pictures of half-naked male and female models and the words: "Ride me all day for £3."



「半裸の男女の写真と、『3ポンドで私に1日乗り放題』という文言を使ったバス会社の運賃広告に、苦情の嵐」

という感じでしょうか。

話の本筋ではありませんが、ああ、イギリスの英語だなと思いますね。centreなんて序の口(アメリカ英語はcenter)。テレビのtellyはイギリス口語の代表格で、感動ものです!話には聞いていたけど、本当にそういう単語を今も実際に使っているんですね。

66歳の年金生活の女性は、「下品すぎる。テレビと違ってチャンネルを変えるわけに行かず、街を走り続ける」とか、34歳の2児の母は「性差別的で子どもに見せたくない」と批判しています。

一方で、「みんなが言うほど悪くないと思う。面白いよ。いずれにしろ、広告は役割を果たした。みんなの話題になったからね」(42歳店員)という意見も。

バス会社側は、
「コピーは舌足らずだったが、ひとを物扱いするような意図はなかった。率直にお詫び申し上げる」
として、すぐに広告を取り払うことを決めたようです。批判を受けてすぐにお詫び、すぐに撤去、というあたり、意外に日本と似ているなと思います。どうも若者を惹きつけたいという意図があったようです。

どんな広告か、是非記事の写真を見て頂きたいですが、皆様はどう思われますか?日本のバスでこれをやったらどうなるのでしょうか?

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国分町 こくぶちょう
所在地:大津市国分一丁目
開設年月日:1965(昭和40)年4月22日
付近:
キロ程:泉福寺から0.3キロ


1965(昭和40)年4月22日に開通したのは、ここまでです。当時は、旧大津市内線の延長として扱われていて、三井寺が起点でした。



国分は、奈良時代には瀬田にあった国分寺が、平安期からここに所在したことによる地名と言われています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P319)。
膳所藩領とされ、明治期までほとんど農家だったようです。

住居表示の施行は1丁目が1967(昭和42)年4月1日、2丁目が1974(昭和49)年4月1日と7年もずれていて、「国分一丁目」だけの状態が7年続いたことになります(同辞典P758)。
また、この直前の町名は「石山国分町と新開発地」とされているのが不思議です。よほど埋立地とか北海道の原生林か何かでない限り、何の町名もなく「新開発地」などということは普通あり得ないのではないでしょうか。

ここの石山駅方面のバス停は、桜の木が美しいです↓

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春はもちろん、秋の、カエデより一足早い桜紅葉も捨てがたいです。

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「国分町までが開通」したと聞くと、どうやって折り返していたのか、が気になるところです。
2011(平成23)年4月22日付拙稿1965(昭和40)年4月22日 石山駅-国分町延長にお寄せ頂いた、まさ様のコメントによると、この中古車販売店のある位置が曽ての折り返し場だということです↓

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確かに、国土地理院の公式HPで見ることができる、国分団地延伸開通直前の1968(昭和43)年5月24日撮影の空中写真で、この位置は空き地になっているようです。

↓石山駅方面を望む。

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↓鳥居は、この先の幻住庵近くにある近津尾神社のものです。

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幻住庵は、言わずと知れた松尾芭蕉の仮寓(かぐう)です。

↓国分団地方面のバス停

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芭蕉が、初田徳右衛門宅に風呂を借りる時に通ったという「風呂街道」という名が今も残る、と『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』に書かれていて、本当か?と思って検索したら、「大津かんきょう宝箱」で1件だけそれらしいページがヒットしました。芭蕉の風呂街道(国分2)

この、国分団地方面のバス停の脇から奥に入ると風呂街道に通じます。ただ、幻住庵に近いところからも入れる道があるので、芭蕉が歩いたとするとそちらかもしれません。

↓同ページにアップされているのとできるだけ近い位置で撮影しました。

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なお、「かんきょう宝箱」の地図で示されている位置は間違っています。

写真の撮影地は以下の地図の通りです。



「かんきょう宝箱」は他のサイトでは見られない面白い発見がある半面、ページにも書かれているように、時々正確でない情報が交ざっていることや、地図の動作が極端に遅くてイライラするのが難点です。

↓同じ場所を反対側から。

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↓奥の方の農家が、芭蕉が通っていた家のようです。

IMG_6101_2014120719414423a.jpg

周りをぐるりと新しい家が取り囲んでいます。
田んぼより一段高いところは雑木林か何かだったのでしょう。

↓逆に、その高台の方から「風呂街道」を眺めています。

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芭蕉がいた時代からすっかり変わり果ててしまったでしょうが、風呂街道の周囲だけは舗装とガードレールさえなければあまり変わらずに残されているのではないかという気がします。

芭蕉が国分で過ごしたのは僅か4か月ほどですが、概ね夏ですので、行きは汗を流すのを楽しみに、帰りはサッパリしたなと思いながら、夕暮れの、或いは月夜の道を、カエルの鳴き声に送られながら歩いたことでしょう。

なお、国分団地へ延長されてから更に後、1975(昭和50)年前後には旧4号経路(石山駅-国分町-大平山-石山団地)という路線があり、ここで分岐していました。現在の「南谷口」にほぼ相当するのが「大平山」のようです。

次は、幻住庵【国分団地方面】/大平山【旧4号経路石山団地方面】です。
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