青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1月14日付拙稿に続き、山中町を取り上げます。

山中越は古くから京と近江を結ぶ逢坂峠に次ぐ重要な交通路として知られており、数々の古典文学、特に和歌で多数取り上げられております。

中でも著名なのは、「志賀の山越えに女のおほくあへりけるに、よみてつかはしける」(山中越えを通って、志賀の崇福寺に参る女性たちに出会って詠んで贈った)という詞書(ことばがき)に始まる、

梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける (『古今和歌集』春115)

という紀貫之の歌と、百人一首第32の、

山川に風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(春道列樹 はるみちのつらき 『古今和歌集』巻五秋下303)

です。
「山川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れることができない紅葉だったことよ」くらいの解釈でしょうか。
句切れもなく、ちょっとあっさりし過ぎている気がしますが、要は、本当はひとが竹や木の枝で作るはずの柵を風が作ったという擬人的な視点と、流れることができずにとどまっている紅葉の美しさを表したいのでしょう。
この歌の語順通りに読むよりは、「風が紅葉を散らして作った柵」と順序を入れ替えて考える方が理解はしやすいのですが、風がかけた柵とは一体何だろうか?と上の句で思わせておいて、下の句で答えを明かすという手法なのでしょう。

「ちはやふる」で俄かに有名になった、百人一首第17の、

千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平『古今和歌集』 巻五・秋下294)

が、流れの中の紅葉の美しさを表しているのとは好対照です。

今回の「取材」は秋に歩きましたので、春道列樹の歌を彷彿とさせるような美しい景色がないかと川を見ながら歩いておりましたが…。

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せっかくきれいな流れだと思ったのに、見えますか?牛乳かジュースの紙パック。どうしてこういうことをするんでしょうね。地元では昔からハイカーやドライバーが落としていくゴミに苦慮しているようです。

気を取り直して歩くと、柵(しがらみ)こそありませんが、それらしい水の流れや、美しい紅葉が…。

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この辺りは白川の源流部です。流れが留まるほど紅葉が積もっていたわけではありませんが、春道列樹もこの辺りを歩きながら、歌を詠んだのでしょうか。

集落の中に入っても、辺りはすっかり秋色です。

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しかし、52年前の今日1961(昭和36)年1月21日、この静かな山里を揺るがすバス事故が起きてしまいます。京都比叡山線京都駅行きの京阪バスが横転したのです。最低でも60歳以上の古くから住んでいる方しか覚えていないことでしょう↓

S36.1.21K夕 山中町で京阪バス横転b
(1961(昭和36)年1月21日付京都新聞夕刊 手違いで、見出しが切れた状態でコピーしておりました。申し訳ありません)

14日に取り上げた今の志賀小学校山中分校跡とこの当時の分校の位置が同じなのかはわかりませんし、写真に背景らしい背景が写っていないので、もはやどこなのかよく分かりませんが、今の分校の前ならばこの辺りなのでしょうか↓

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「ドドノ上」なんて今でも使われている通称なのでしょうか?小字でしょうか?『角川日本地名大辞典』には、山中町の小字として「広小場」「上ノ町」など計6字の記載がありましたが、その中にありませんでした。

「十数人の乗客がいたが、ゆるく横転したため非常ドアから飛び出し、全員無事だった」
のが不幸中の幸いですが、よく飛び出せたものです。
乗客は病院に運ばれることもなく、「ジープと乗用車を使って京都駅へ送った」のだそうです。……逞しいなんていうことばを使っていいのか分かりませんが、すごいですね。今だと後で痛みが出たり何かあるといけないので、一応は病院に行くか、最低でも連絡先などは確認するでしょうね。

原因はこの直前に左後輪が外れてブレーキが利かなくなったことだそうですが、タイヤが外れるなどということを、今のバス会社で想定したような緊急時の訓練なんてやっているのでしょうか。もっと勾配が厳しい比叡山ドライブウェー内でこんなことが起きたらこの程度で済まなかったことでしょう。
この前年、1960(昭和35)年7月24日に比叡山ドライブウェイで大きなバス事故が起きてからちょうど半年ほどしか経っていません。
(同事故の詳細は2011(平成23)年7月24日付拙稿1960(昭和35)年7月24日 比叡山バス転落事故発生をご覧下さい)

何事もなかったように、バスがやってきました。シャッタースピードを調整する間がなく、行き先が切れてしまったのが残念↓

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道路が狭いためなのか、午前中は三条京阪行きばかり、午後は比叡平行きばかりが来るという変則的なダイヤで、それ以外の時間帯は、「山中」や「山中上」を利用する必要があります。

午後になるとこうして比叡平行きがやってきます。

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1本別の記事を挟んだ上で、山中町の記事をもう一度続けます。
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